終章 第二百二十八話:詰まらない最後の一歩
冷静に読み返してあまりに酷かったので二段落以降を書き直しました。二度手間を取らせてしまった方には陳謝いたします。
夢を見た。なんだかよくわからない夢だった。中学時代の同級生の夢だった。俺は彼女に確かに好意を抱いていたように思う。本当に淡くてしょうもない想いだった。押せば壊れるような。もう何年も会っていない彼女は夢の中では大人になっていた。「恋人がいる」と言った気がする。俺は告白したんだろうか。時制もバラバラで、俺は中学時代のその下らない想いをぶつけたということだろうか。そのシーンはなく、ただ彼女は「恋人がいる」とだけ。嘲笑われたようにも、哀れまれたようにも感じた。ふられた俺は何故か奈々華を思った。重ね合わせた。夢の中の俺の思考回路は俺にもわからない。奈々華もいつかああいう顔をするのか、と。「恋人がいる」と。寂しいのか、怖いのか、何だかわからない気持ちになった。鉛が心にのしかかったようだった。奈々華は器量がいい。冷静に起き抜けた頭で考えると、恋人の一人や二人いてもおかしくはない。ひょっとすると元の世界に戻れば俺はもうとっくに要らなくて、ただこの世界に頼れる人間が俺しか居ないだけなのかもしれない。
頭をふった。奈々華もカティもすやすやと眠っていた。暗闇の中でやけに遠く感じた。窓の外も暗くて、置時計を見ると午前三時だとわかった。
暗闇で煙草を探し、火を点ける。まずい。口の中がカラカラだ。コタツの中に足を入れようとしてやめた。いやに寝汗をかいている。しばらく冷やそう。頭も体も。周囲を見回すと電化製品の待機電力の賜物か、小さな光点が暗闇を完全にしていない。そして口元に灯る煙草の火。抗っているようで可笑しかった。ベッドの方に目をやると、もう手が届くことはないのではないかと錯覚するほど遠かった。
どれくらい経ったろう。もう何本目かも知れない煙草に火をつけようとライターを擦った時だった。
「……眠れないの?」
急に声がして、体がかすかに動く。脳内で何度も再生しなおして確認するまでもなく、この部屋で俺に大っぴらに話しかけてくるのは奈々華だけ。衣擦れの音が無音の空間に響いて、目をやっていたベッドに突然人影が浮かび上がる。綺麗な顔。俺とは似つかない顔。
「別に」
何を否定しているんだ。そう思ったが、それ以上に仕方ないとも思っていた。さっきリフレインしたときに、奈々華の心配げな声に、齟齬を発見していた。お前が思っているようなんじゃないよと言ってやりたかった。俺は近藤さんの夢すら見ていないんだよと。
来るなよ、なんて言えるはずもなく、奈々華はベッドを抜け出し、こちらに歩いてきた。覚束ない足取りに、支えようか、なんて言えるはずもなく、ただ黙って見ていた。隣に座った。
「何を怖がっているの?」
俺がお前を? また齟齬。噛み合わない。わからないから聞いているだけだった。
「……お兄ちゃん震えてる」
知ってるよ、んなこと。そうだよ、孤独。怖いのかも知れない。贅沢だと思った。分をわきまえろ。俺の自己犠牲は当然だけど、奈々華にまでそれを強いてどうする。この子には幸せになって欲しいんだろう? だったらどこかで俺とは違う道に行ってもらわないと…… なんでかトロッコを思った。暗い炭鉱を走るやつだ。二人で乗ってるそれはいつか行き止まりにぶち当たって砕けるんだ。だから奈々華には途中の分岐で光の方へ繋がる道へ下りてもらうんだ。
「……寒いだけだよ」
そうだよ、寒いんだ。冬の夜にコタツにも入らずに寝巻きで起きてりゃ寒いだろう? 暗闇でも大きく光る奈々華の瞳が二つ、俺のどんな些細な心の機微も見逃さないと言わんばかりに真っ直ぐ向けられている。鋭くて困る。
「そうだね。寒いね…… 戻ろう?」
見逃したんじゃなくて、見逃されたようだった。奈々華にも思うところがあるのだろう、と思う。踏み込むにはそれ相応の覚悟がいる。そんな気配を感じ取ったのかもしれない。やっぱり賢いよお前は。同時に助かったとも思った。お前も俺が望むだけ俺の傍に居ろ。どの口がほざく。
提案を突っぱねるほど頭も体も熱くなかった。立ち上がった奈々華の背中を追うようにして歩くとふらついた。ヤニくらなんて久しぶりだな、と思うことにした。