終章 第二百二十四話:もう一回
ミルフィリア・A・高坂は部屋の戸口を鋭い目つきで睨んだ。何せ足音が聞こえなかった。突然透明人間が部屋の前で顕在化し、ノックしたかのようだった。電話口の相手に「切ります」と短く伝えて、部屋の向こうの相手に「どうぞ」と短く伝えた。当たりはついていて、やはり数時間前に地下への鍵を渡した男だった。いつもヘラヘラと軽薄な笑みを口の端に乗せている青年は、ここぞという時にとても切れるしキレるので、取り繕ったような笑みを返した。
「誰と話してたんだい?」
「部下ですよ。と言っても私のではなく、遊案のですが」
へえ、とわざと興味なさそうに。世間話の類だった。ミルフィリアとこの青年は鍵を渡した、返した、はいさようならというような味気ない間柄ではなかった。
「俺のアメリカ行きがなくなったことが関係してるのか?」
仁は申し訳なさそうな顔。妙に板につくそれは、彼の処世術として凝り固まっているのだった。
「貴方が気に病むことでもありませんよ」
柔和に笑う。
「遊案に会っていきますか?」
「おいおい」
「ラストチャンスだと思うのですが?」
ミルフィリアは口元は締めず、目だけ力があった。仁は小さく溜息を返した。
「何が気に入りませんか? 私より幾らか女らしい体をしているでしょう? 気立てもいい。私なんかより男を立てる術が生まれもってあります」
「……いちいち比較するのは、俺がもし奈々華のお守りがなかったらお前を選ぶって言って欲しいのか?」
「違いますか?」
「そうだよ。多分、どちらかというとお前の方に惚れてる」
「妹さんとは結婚できませんよ?」
「そういう対象ではないよ、流石に。勿論。でも…… 今はダメだよ」
「いつならいいんですか?」
「それは奈々華に聞いてくれ」
「……最低ですね」
矢継ぎ早に飛び交う質疑応答。仁は休憩するように前髪を深く長く、掻きあげた。
「会っていってください」
「俺にはお前がわからんよ。どうして妹と変わらないような存在をわざわざ傷つけるような相手と鉢合わせる? どうしてお前と俺がくっついても良しとする?」
「一つ目は、貴方をあの子が好いたから。簡単なことです。チキンの貴方と違って、欲しいものはどうやっても手に入れたがる子です」
「……」
「二つ目は、あの子の特殊性。私と貴方が結ばれるということは、あの子と結ばれるということでもあるからです。私と貴方が絡み合っているところに、あの子が裸で加われば、貴方はあの子を抱くでしょう?」
「生々しいな」
苦笑い。
「悲しきは男の性かな」
「一番でなくても良いんです。あの子にとって家族であり、仲間ですらあれば」
「随分と都合のいい女なんだな」
「そう思うなら遊びでもいいから抱いてやればいいでしょう?」
ミルフィリアの足が動く。二人のプライベートルームの扉が開かれる。ミルフィリアの笑みは、娼婦が誘うような妖しさがある。仁は吸い込まれるように部屋へと足を踏み入れる。しかしその目には強い光があって、彼女は悟る。悟って尚、切れない想いがあって、口を開いた。
「最後のチャンスですよ。本当に」