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終章 第二百二十二話:アイスマン

学園の書庫に不釣合いな氷の柱が一本立っている。無駄なスペースを割けないとでも言うように、本棚の一角に立てかけられていた。まるで異物のように扱われても、そこにしか置けないこともわかっていたし、そもそも自分が文句を言ったり出来る立場でもないので、それを見ても仁は特に表情を変えなかった。冬場の地下だというだけで自然と鳥肌が立つほどの気温なのに、その場所は一際寒かった。近藤正輝。何かの冗談か、昆虫の標本のように、氷柱に閉じ込められた人間。陳腐でもなんでも、仁の第一声は「眠っているみたいだ」だった。仁が最後に見た、そのままの姿をしていた。無駄な肉を排した裸体はきらめく氷の粒と相まって芸術品のような高貴さえ漂わせている。切れ長の目に整った柳眉は、血が争えないことを証明していた。そしてその似通った目もとの持ち主もまた、仁が守れず死んだ。

仁はただ黙って手を合わせた。そのまま動かなくなった。瞳を閉じ口を真一文字に閉じ、外界から閉じられているように静かだった。死者に懺悔してみても、弾劾も慰めも返ってはこない。逆に言えば彼にはそうするしかないのかもしれない。祐にしたように、自慰や決意表明も、ないのかもしれない。語る言葉がないのかもしれない。彼の最後の望みは、既に先に墓所で眠る。


仁がそうして一時間近く経った。真摯な祈りに閉じていた目を、徐に開け、口を開いた。

「僕は貴方の息子を守れませんでした。導けという言葉に何一つ報いることが出来ませんでした」

淡々とした独白に、静かな怒りがこもっていた。勿論自身の不義理への怒り。そして自分を叱責することによって、汚らわしく矮小な自慰を未然に封じているような節があった。

「……謝れません。謝ることは僕の心しか助けないからです」

手を解いた。後ろで組み直す。もし、もしも、近藤が氷を突き破って怒り狂い、仁を殴るのなら、仁はそのままの姿勢から動かない。

「僕は貴方に何かを返すチャンスがないんです。最後のチャンスをフイにしたんです。どころか……」

唇が震えた。仁の左手には、右手の爪が食い込んで、皮を掻き毟るようにして、石畳に赤い斑点を作っていた。しばらく何かに耐えるように、仁は動かなかった。近藤は瞳を穏やかに閉じたまま、そんな仁に目もくれない。

「……失礼します」

仁は慇懃に頭を下げると、身を翻した。振り返らずに歩いて行く。本棚の間を縫う足取りは、覚束ない酔っ払いの千鳥足よりは幾らかマシだった。


見計らったようなタイミングで、仁の腰にいつもの相棒が戻った。レリーフが施された荘厳な扉を閉めた辺りだった。黙祷は済みましたか、と聞くのでああと小さく返す仁は金色の鍵を隠すようにポケットにしまった。

「肩透かしを食らったってとこっすか?」

万端の準備は水泡に帰し、入れ込まんばかりの気合は霧と消えた。

「俺は別にバトルフリークでもないからね」

顎を引いて、前を向いて、

「戻ってくればそれでいい」

「へえ」

「お前が残念だったんじゃないか? 鬼ってのはそういうもんなんだろう?」

「村雲君はそうでしたね」

「お前は違うってのか?」

結論を急ぐ仁に、わざともって回った言い方。しかも返答は「さあ」と来た。仁は軽く舌打ち。

「やっぱりイライラしてるじゃないすか」

きっと顔があれば、静はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべているのだろう。

「別に闘えなかったからじゃない」

そんなものは唾棄すべきとでも言わんばかり。

「……気に入らないんだよ。何か俺の見えないところで、見えない力が働いてるみたいで」

「ほう」

「それに踊らされてるみたいで」

「確かにそんなタイミングっしたね。すると、神様がアンタにこれ以上罪を被せない為に……」

言葉は途中で遮られた。それこそ唾棄すべきような話だった。

「そんなわけあるか! 誰かが動いているんだよ。俺とラインハルトをぶつけない為に」

「木室さんって線はないんすか?」

「……わからない。そんな権力があの人にあるだろうか。それに見張っていたとしか思えないタイミング。そんなことが出来るか? どこから? いつも?」

最後の方はブツブツと。静にというより、自身の考えをまとめるために言語化しているだけのようだった。





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