終章 第二百二十一話:返還
それから三日経った頃だった。仁は姉妹のゴーサインと共に発つ準備を進め、向こうの気候や風土に合わせて替えの服などを数着用意したり、預けるにあたって鬼の少女の名前を決めたり、存外やることがなく暇を持て余したりして過ごしていた。実際最大の難関は渡航手段だったわけだから、当然と言えば当然だった。
突然来たのだった。本当に何の前触れもなく、そのヘリコプターは学園の中庭に降りたった。応対に行ったミルフィリアから仁に連絡が入ったのが正午を少し過ぎたあたり。そこから祐やミルフィリアの両親の墓を管理する例の寺に連絡を入れ、葬儀の予約を取り付けたのが少し前。火葬、葬儀は明後日行われることになった。遺体の保管場所は、学園の地下に決まった。劣化を懼れてか仁は戸惑った顔をしたが、冬の気候、ミルフィリアの魔術で冷凍保管が可能だということを聞き、了承した。
近藤正輝の遺体が国連から学園へと返還された。
「多分そこは妹なんだと思う」
奈々華の難解な答えに、シャルロットはこちらも相応に難しい顔をした。奈々華はそれ以上自分から言葉を重ねる気がないのか、鬼の少女をあやす作業に戻る。「カティ」と名づけた。最初に大きく興味を示したものをモジろう、と仁が言うので、それはカチューシャだった。買い物に連れて行った時だった。
「……どういうことだい? ドライな部分ってことかい?」
シャルロットがしたのは「一緒に居なくていいのかい?」という質問。仁は出ていた。
「例えばお兄ちゃんがお兄ちゃんでなければ私は今頃とっくに求婚していて、べったりだったと思う。勿論オッケーしてもらえたらの話だけど」
溢れる想いが口をついて出ないのは、理性が律しているから。理性の正体は……
「遠慮ってことになるのかい?」
シャルロットは釈然とせず、奈々華もまた首を大袈裟に捻ってみせる。
「慎重さと、妹の部分、って言ってもわからないよね?」
諦めたように笑うので、シャルロットはほんの少しの寂しさを抱く。
「何となく慎重さって部分はわかるよ。タブーをぶっちぎるようなことだからね」
「まあそうだね。妹の方はさ。私にも上手く説明出来ないんだけど」
そうとだけことわって、奈々華の手が止まる。カティは言語が通じないはずなのに、仁がすぐに戻ると言い聞かせるとぐずるようなこともなかった。今は奈々華に絵本を読んでもらっている。絵の下のひらがなを読み上げていくことに、あまり意味がないことにすぐに気付き、奈々華はただ膝を貸してタイミングを見計らってページを繰るだけの作業だが、どことなく褐色の少女は嬉しそうだった。
「今は一人にして欲しいんだろうなってわかるんだ」
「まあ、近藤とか言う男のことは結構気にかけていたみたいだからね。正確にはその死体だけど」
シャルロットはさっきから自分の推測を言ったり、奈々華の意に同調を示したり、様々手を尽くしているが、中々彼女の主人が大きく頷くことはなかった。奈々華は「ううん」と唸ってから、
「それは勿論そうなんだけど…… それ以外にもちょっと考えることがあるみたい」
仁は奈々華には少し用事を済ましてくるとしか告げなかった。兄妹だからわかる部分と言うのもあながち馬鹿に出来ないのかもしれない。「勘」というものは経験則から導き出される。重ねた年月が物を言う。
シャルロットは参ったね、と漏らす。やはり少し残念そうな顔。彼女に一定以上の精度を誇る勘を働かしめるほどの経験則をもたらすには、半年足らずのこの日々は圧倒的に少なかった。そしてそんな彼女の胸の内を機敏に察知したのか、奈々華は優しく笑って言った。
「遠慮ってのも間違ってはいないんだよ。私が本能のままに動いていたら、お兄ちゃんは今頃禿げるに任せてると思うから」
色んな意味で冗談にならない。
「コレで遠慮してるってんだから最早私はなんて言っていいかわからんよ」
シャルロットは何度も首を振り、この場に居ない仁に向けて心の中で合掌した。