第一章 第二十二話:殊勝
「今日は出かけないの?」
奈々華が夕食後、仁に遠慮がちに尋ねた。仁はテーブルの前に座ったきり、テレビを漫然と眺めている。テレビやギャンブルやインターネットだとか、娯楽が仁のいた世界と大差ないのは、彼にとっては唯一の救いと言ってもよかった。
「うん…… 実は坂城に注意されてね」
「そうなんだ。確かに学園長さん、授業中も不機嫌そうだった」
奈々華がこじんまりとした台所から返す。仁と奈々華が住む、他の学生達の部屋もそうだが、この部屋には玄関を開けてすぐに、靴を脱ぐたたきがあって、居間の様な六畳一間。たたきの横のスペースに簡素な台所が位置している。居間の中央にはテーブル、壁側に二段ベッド。家具は最低限。反対の壁にテレビが置かれていて、その隣に洋服箪笥。台所の隅に小さな冷蔵庫があるだけだった。
「ん? アイツ初日だけじゃないのか?」
奈々華の話では今日も授業を行ったことになる。学園長という役職にあらざるフットワークの軽さだ。
「多分責任を感じてるんだよ。巻き込んだのは自分だし」
「なるほど……」
彼女なりの仁たちへの気遣いを無碍にされたというやりきれなさもあったのか。
「それに言いたくないけど、クラスの皆も……」
奈々華はそこまで言って、口を閉じた。クラスメイトたちの冷たい対応は、やっかみ半分、行方の言ったように調和を乱す者への反感半分。
「そうだね…… 明日は行くとするよ」
テレビから切った真剣な視線を急に向けられたものだから、奈々華は皿を取り落としそうになった。
翌朝、一日ぶりに教室に足を踏み入れた仁は歳の離れた同級生たちの特異な視線を感じ、奈々華にも同質のものが向けられていることに気付いた。気付いて愕然とした。友達と話しながらだったり、さりげない風を装ってはいるが、実際には彼彼女等の関心は城山兄妹のことで九割がた占められているようだった。
「お兄ちゃん、昨日のノート」
クラスメイト達の視線を受けても、奈々華は仁を気遣ってか、はたまた本当に気にしていないのか、部屋で見せるのと変わらない笑顔を、自筆のノートを添えて仁に向けた。表紙に“城山奈々華”と丸っこい字で自分の名前を書いている。
礼を言ってそれを受け取った仁は、パラパラと頁を捲る。
内容はほとんど、頭の中を右から左。仁は奈々華にかける言葉がなかった。
ごめん。また俺のせいで。
それはきっと彼女の優しさに水を差す。野暮であり、本質からずれた言葉。
「苦労したんだよ。何せ全然馴染みのない言葉だし。学園長さんは丁寧に説明してくれたけど」
ノートの端には、キレイにまとめられた語句説明のようなものが付いていた。奈々華は仁の去った教室で一人、誰にも頼ることも出来ず、必死にノートを取り、内容を理解しようと奮闘していたのだった。
「……俺は本当にダメなのかもしれない」
口元に手を当て、いつになく真剣な呟きに、奈々華は苦笑を返した。
きっと昔なら、今頃そんなこと気付いたの、なんて茶化せたのだろうけど、今の奈々華にはそれは出来なかった。