終章 第二百五話:やっぱり野焼ラーメン
「野焼きだね」
お兄ちゃんがスンスンと鼻を二回鳴らす。目を閉じて匂いを堪能している。言われる前に、私も乾いた空気の中に、何かが燃える匂いを嗅ぎ取っていた。
「どこかな?」
目を開けて、お兄ちゃんはキョロキョロと辺りを見回す。お寺の近くは、都会の喧騒と縁遠く、緑もちらほら見られる。家々の中には自前の畑を持つものもあって、発生源はわからない。
祐君のお墓を掃除して、お花を供えて、学園に帰る途中。他のお墓には全て雪が被さっていたのに、祐君のだけは綺麗に払われていた。何も言わなかったけど、きっと昨日の晩、お兄ちゃんは一人で追悼に行ったんだ。だって…… 酔えないくせにお酒を呑んで帰って来て、今日は一緒に階段を登ったから。憑き物が落ちたような顔で私の横を歩いている。
スンスン。また鳴らす。
「本当に好きなんだね?」
心が柔らかい毛布に包まれたようで、心地良い空気が鼻から漏れる。お兄ちゃんは草が燃える匂いが好きだ。やっぱり変わってなかった。枯れて、静かに終わりを迎えた自然を弔うような所作を私もやっぱり好きだ。なんてのは後づけで、きっとお兄ちゃんが好きだから、私も好きなんだと思う。
「ああ。良い匂いだ」
終わりの美学。郷愁。前を向けば、古い家々に囲まれたアスファルトの道が続いている。泥混じりの雪の上に、自転車のタイヤの跡や人が歩いた足跡。踵の方で踏むと転びそうになる。だから爪先で。ザクザクザク。
「昼はどこかで食べて帰ろうか?」
大分通りも賑やかになってきて、ダウンタウンが近いことを告げている。野焼きの匂いはもうしないけど、お兄ちゃんの顔は穏やかなままだった。
廃れても栄えてもないラーメン屋さんに入る。「何が食べたい?」と聞くお兄ちゃんに「お兄ちゃんが食べたいものでいい」と返すと、適当に目に付いた此処を選んだ。大通りから少し外れている店内は昼時を少し過ぎてもサラリーマンが数人居た。カウンターに二人で並んで座ると、人懐っこそうな笑みを浮かべた店主が注文を聞く。豚骨ラーメンを二つ頼むと「あいよ」と元気な声で答えてくれた。
少しは整理がついた筈だった。祐君の墓に行ったのは、きっと少しは吹っ切れたから。多分。それに一役買った自負もある。過信はしないけど。私にお兄ちゃんがいないとダメなのと一緒で、お兄ちゃんにも私が要るんだ。
村雲さんの遺骨についても、処置は決まった。昨日帰って来て、静さんと話し合って、決めた。人の慣習に則して葬るのは、彼も望まないだろうと。全てが終わって、契約が終わって、静さんが精霊の世界に帰るときに、一緒に持って帰って埋葬する。「撒く」と言っていた。きっと村雲さんが生まれて、育った、愛すべき土地に。その上に花が咲けばいいな。そう思った。
「まだかな? お腹空いたよね」
店主に聞こえないように、お兄ちゃんは声を落として私に笑いかける。
「チャーシュー大きいと良いな」
人の気も知らないで…… でも可愛いから許してしまう。
ゲームソフトの発売を待ちきれない子供のように目を輝かせて。だけど時々、やっぱり曇る。どうしてだろう。それでも完全には吹っ切れていないから? 近藤さんの遺体がまだだから? それともまた何かあった?
「はい。豚骨二つね」
ドンブリ鉢が二つ、ぬっと差し出される。受け取って目の前に置くと、隣のお兄ちゃんは「いただきます」もしないで、飢えた獣のように顔ごと鉢に埋めんばかりの勢いで麺をすすりだす。薄茶とも白ともつかない色のスープには気泡のように油が浮かんでいる。焼豚は比較的大きかった。