表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
201/243

終章 第二百一話:友の範疇

「何を話していたの?」

部屋に戻ると奈々華の早速の質問。朗らかに笑っている実、目だけは笑っていなかった。兄の表情の変化を、微かな感情の揺れさえも、見逃さない。詰問されるよりも余程気味が悪くて、仁はたじろいで妹から目をそらした。

「坂城の様子について聞いてみただけだよ」

「ふうん。それで?」

「いや。新居先生は何も知らないって」

「心配?」

「そりゃあ」

仁の目が窓の外へ。雪は永遠とはいかず、今朝二人が目を醒ましたときには止んでいた。それでも溶けるまでには至らず、斜陽を取り込んできらびやかに中庭を彩っている。午後の四時を回った頃、もしかするとまた夜半にかけて降るのかもしれない。凛とした空気。

「見に行くの?」

対象は新居から坂城へ。奈々華も忙しい。表情が晴れないのは、仁が肯定を返すと思っているから。

「いや……」

だけど小さな否定。

「え?」

「ここまでだよ」

「何が?」

得心いかない奈々華は仁の横顔を見つめたきり。

「他人の俺が踏み込んでいいのは、ここまでだよ」

線引き。ソフトパックのケースから一本、メンソールの煙草を取り出して火を点ける。もう部屋でも気兼ねなく吸えるようになった。

「ミリーに任せよう。家族の問題は家族にしか解決できない」

「……」

「お前がまた俺と一緒に居るのは……」

ふううと大きく煙を吐き出す。続くセリフが少し臭いから。

「俺にしか、家族にしか満たせない感情もあるからだろう?」

それは仁自身にも言えた。今もこうして本音を口に出せるのは、家族の前だから。

「いずれ元居た世界に帰る俺が何を言っても響かないよ」

締めくくった言葉は、卑屈になっているわけでもなく、厳然たる事実だった。



仁の携帯電話が鳴ったのは、もう辺りがすっか暗くなった頃だった。ヒメネスからだった。夜勤に向かう足を伸ばして、仁のもとへ村雲の遺骨を届けに来てくれると言った。

指定した時間通りにやって来た。昨日まで村雲の遺体があった場所。一人出迎えた仁は、いつも彼に向ける笑顔を見せた。まるでまだ在職で、これから共に勤務に向かうような、そんな雰囲気だった。

「広畠さんは?」

「夕方から仕事」

やり取りも同僚のようだった。仁は小さな寂しさを胸に感じていた。しかしそれも自身で選び取った道の帰結だった。

「……そうか」

「うん…… これ」

ヒメネスの腕には、陶磁の骨壷が抱かれていた。漆を塗った黒に、金の菊があしらわれている。一目見て安物ではないとわかった。きっと広畠が気を利かせ、用意してくれたものだろう。慎重に差し出されたそれを仁もまた丁寧に両手で受け取った。

偉大な戦士、優しき友。利用して、選ばず、切り捨てた自身に彼を友と呼ぶ資格があるのか、仁はわからなくなっていた。

広畠の気遣い。察するに、仁の心を正しく汲み、丁重に葬ってくれた。幻創痛や、黒の精霊騒ぎで迷惑を掛けた自分に、彼の厚意を受ける資格があるのか、わからなくなっていた。

仁は目頭が熱くなった。そんな彼を、今だってヒメネスは我がことのように、眉を曲げて見ている。分かち合おうとしてくれている。慌てて別の話題を振るのが精一杯だった。

「そういや、俺が辞めてから精霊はどうだ?」

苦し紛れの話題転換に、仁はまた自己嫌悪しそうになった。本来なら再会してすぐに聞くべき話題だった。彼らは自分が仕事を辞めてからも、変わらず親愛を向けてくれている。それに引き換え、自分はどうだ、と。仕事を辞めてしまったらもう他人事。いきなり連絡を寄越したかと思えば、手伝ってくれ、と。虫の良い。自分のことしか考えていない。臍を噛んで、噛み千切ってやりたい気分だった。

「わからないんだ」

「……え?」

「どうしてか、ジンが辞めてからぱったり、黒の精霊も、強い精霊も出なくなったんだ」

仁は一旦自身の情けない後ろ向きな考えを頭の隅に追いやり、ヒメネスの言葉を反芻していた。

「おかしいよね。やっぱりジンのせいじゃなかったんだ」

「え?」

「だってそうでしょ? もしジンがやってたんなら、一人になった今の方が断然やりやすくなって、もっともっと出てくるはずだもん!」

ヒメネスは事態に我が意を得たり。嬉々とした声。仁は彼のあどけない笑顔を久しぶりに見た。一片の翳もなく、五月の空のように澄み切った笑顔。仁はいよいよ骨壷を持つ手に力を込めた。

心がぐちゃぐちゃになってしまいそうだった。ヒメネスの言うとおりであって、フロイラインの、平内涼子の仕業だったにしても、その意図は掴めないままなのに、仁にはそんなことはどうでも良いことに思えてならなかった。

「あ、もう行かなきゃ!」

「……」

「またね!」

「ああ…… ありがとう」

搾り出した声は、不恰好にかすれていた。背を向けて走り出すヒメネス。仁がちらりと腕時計を見ると、夜勤の勤務開始時刻までは一時間を切っていた。ここからだと走ってぎりぎり間に合うかどうか。小さくなる背中を、仁は見守っていた。突如立ち止まった。くるりと振り返ると、恥ずかしくなるくらいの大声で「またね!」と手を振る。

「ああ! またな!」

仁も叫んでいた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ