第五章 第百九十四話:矛先
ロッペン・ラインハルトは困惑と怒りを丁度半分ずつ混ぜ合わせたような表情だった。
仁が学園に戻ってきて真っ先に叩いたのは、学園長室の扉だった。いや、正確ではない。ノックもなく突如室内に入り込んできた闖入者を見る目は三者三様。ミルフィリアは然程表情を変えず、しかし微かな驚きは隠しきれていない。坂城は仁の姿を見るなり、すぐに表情を輝かせた。そして来客ラインハルトの顔は先述のように。
「またお前か」
それが第一声。より険しい表情を作り、半ば仁を睨みつけるようにして言った。入り口に近い側のソファーに坂城とミルフィリア。向こう側にラインハルトが座っている。黒いスーツに包まれた両腕を空段前で組んでいる。
奈々華が電話をしたのは、坂城。返ってきた言葉はラインハルトの襲来と仁の早期の帰還を望む内容だった。奈々華は状況を鑑みて、優先順位を過たず、仁と丸太鬼の戦いの後に伝えたのだった。優先順位とは即ち兄の無事を至上命題に組み立てられている。従ってその場ですぐに伝えて、僅かでも動揺を植えつけるようなことがあってはならなかったのだ。
「それは俺のセリフだ」
仁は不愉快を隠そうともしなかった。入り口からカツカツと歩を進めると、手前のソファーの裏側に立った。立ったまま向こうのラインハルトを見下ろす。
「近藤さんの遺体は?」
「報告では近藤正輝の一人息子、祐とやらは死んだようだが?」
「質問してんのはこっちだよ」
ドスの利いた声に、仁の後ろに控えめに立つ奈々華でさえ、仁の表情は容易に察せた。据わった目をして薄く唇を開いているのが。
「お前に、近藤を殺したお前に、その遺体を引き取る権利があるのか?」
「ないね」
だけど、と繋げた。
「お前等にもあるとは思えない」
だったら祐の傍に葬ってやるのが、せめてもの人情だろう。ラインハルトは一つ呆れたような溜息を吐いて、仁から目を切った。
「今日来たのはそこのフロイラインの幹部の引渡しと、お前の二つ名の承認」
「元幹部だ」
ミルフィリアは真っ直ぐ前だけを、坂城は首を忙しなく動かして自分を挟むようにして対峙する二人を見比べていた。体よく仁の力を封じるには絶好の口実を、仁は歯牙にもかけない。
「報奨金と付されるべきだった近藤さんの遺体を、返しもしないで新たな要求か?」
「……」
「呑むと思ってんのかよ」
抑えきれない怒りが、語気を荒くさせた。
踏み込んだ右足すら見えなかった。ダーンと大きく床を打ちつける音から判断するしかなかった。ソファーからは白い綿が飛び出し、横一閃の斬激が襲ったのがわかる。しかしラインハルトの体はそこにはなかった。ソファーから大きく飛び退き、坂城の事務机の手前に降り立っていた。
「承認の過程には、昔はAMCの代表が直接相手の力量を見極めるというのがあった」
そのラインハルトは口の端を軽く持ち上げ、悠然と笑っていた。
「いいだろう。私に刃を向けることがどれほど愚かしいことか、教えてやろう」
声からは圧倒的な自信。世界最強の名を欲しいままにする王。
ゆっくりと後退していくと、そのまま窓ガラスを突き破り、中庭へと飛び降りていった。その後を仁が追う。あっという間の出来事に腕一つ動かすことが出来なかった三人は、数テンポ遅れて動き始める。
「マズイ。我々も追いましょう!」
坂城が奈々華を押し退けるようにして、学園長室を飛び出す。あっという間に見えなくなった背を、奈々華はのんびりと見つめていた。
「貴方は追わないのですか?」
ミルフィリアが余裕のある声。
「どうして?」
「貴方の大好きなお兄ちゃんの危機じゃないですか」
「危機?」
「……」
少しポカンとして、奈々華はあまりの間抜けな質問に噴き出す。ミルフィリアは怪訝な顔を作ってそれを見つめていた。ははは、と大きな声を上げて一しきり笑うと、目元の涙を拭い、ミルフィリアに答えを返す。
「何が危機なんですか? ミルフィリアさんこそ早く行ったほうがいいですよ?」
「……」
「学園長さんは今精神的に弱ってるんでしょう? あまり刺激的な絵は見せないほうがいいですよ」
そう言い捨てると、奈々華は急ぐでもなく、学園の廊下を歩き出した。