第五章 第百九十三話:タイガー
奈々華を賢い子と仁が評するのは、仁が咄嗟に見せた利己よりもっと建設的な機知を僅かな時間で発揮するところにあるのかも知れない。尤もそのエゴイズムは、友より自分を選んでくれたことは、奈々華にとっていくら不謹慎でも嬉しいものではあるのだが。
奈々華は兄の無事にただただ歓喜する段階から、一段進んでいた。仁と村雲が激突した場所へと戻るまでの数分の間に、彼女が仁にすべき治療の心構え、自分が持つ情報の伝達について、足を素早く回転させながら、頭もまた負けず劣らず回していた。
だから彼女は治療が終わりに差し掛かる頃合には、予め聞いていた両足の損傷や傍に眠る巨大な戦士の亡骸に怯むことなく、仁に大切なことを伝え終えていた。その冷静な声音に呼応するように、仁も先の木室との電話での動揺を収めて、自身の次なる行動への準備に心を砕けた。奈々華の手が、雪の上に放り出してやや赤みを帯びた両足を包み込む間、仁は微動だにせず、瞳を閉じ、口元に小さな笑みを浮かべていた。それは友人を助けるために気を吐くのではなく、持て余した怒りの矛先を定めた高揚からなのは誰の目にも明らかだった。瞼の裏には、きっと虎のような目が嗜虐に輝くのを待っているのだろう。
仁よりも一回り小さな手の平は、雪に溶け込むように白く光り輝いていた。穏やかに眠る赤子を見守る母のように、四つ歳の離れた兄の顔を見つめている。幾年もの年月を寄り添って過ごした彼女には、仁がこれから行う更なる蛮行についても察しがつかないはずもないのに、
「今度スネ毛剃ってもいい?」
口から出たのはおよそシリアスとは程遠い言葉。
「ダメだよ。これは俺の足を守るために生えてんだから」
仁もまた本当に状況を理解しているのか疑わしいほどリラックスしたものだった。
唯一他者で居合わせた静は絶句する。妹に。兄に。何か得体の知れない気味の悪ささえ感じさせる。
「ああ。段々足の感覚が戻ってきたよ」
殊更仁の口元が緩む。そこにやはり他意は見えず、純粋な奈々華への感謝だけ。奈々華もまた嬉しそうに顔を綻ばせるのだった。
「村雲さん居なくなっちゃったね」
そのままの顔で奈々華がデリケートな話題に及ぶのは、二人の絆を確信しているから。目を開いた仁は腐っても怒ってもいなかった。
「ああ。今まで闘ったどんな相手よりも強かったよ」
一瞬寂しそうな顔をして、すぐに誇らしげに鬼の巨体に目をやる。再びその戦士の骸を見て、なおも口を開きかけて、それ以上飾る言葉がないことに仁は気付く。おこがましいと感じられるのならそれでもいい。だけど彼を素直に称えなければ、彼の優しさを、彼との激闘を冒涜することになる。再び目を瞑った彼の胸に去来するのは鎮魂ではなく……
「遊び相手には物足りないだろうけど」
静かに開いた目には、強い光が宿っていて、坂の先、愚かな獲物に照準が定まっていた。