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第五章 第百八十六話:ストレンジャー

「折角兄妹が絆を深めているところを悪いのですが……」

耳慣れた声。ふらりとガードレールの向こう、木立の間に人影。年を感じさせないシャンとした足取りが、落ち葉と雪に覆われた地面を進む。声だけでその主を正しく判別した二人は即座に抱擁を解き、仁が一歩前へ、奈々華が一歩後ろへ。引き抜かれた村雲の刀身に白い雪が舞い降りる。黒い男物の傘の下から覗く白髪は、雪をちりばめたよう。口元に仁もよく知る薄い笑みを浮かべている。

「……木室さん」

名を呼ぶと、木室カエデはより優しく笑んだ。それも仁が知るものだった。仁の顔には憎悪ではなく、悲しみと失望が混ざったものが浮かんでいた。涙を堪える少年にも見えた。

「お久しぶりですね」

穏やかな挨拶もまた、事情を知らない者が見たらこれから刃を交える者同士だとは夢にも思わない。仁は言葉が出ない。何を喋っていいのかわからない。本当に裏切っているのか? 愚問。祐を殺した。どうして祐を殺した? 愚問。敵が敵の陣営を殺す、当然のこと。坂城に申し訳ないと思わないのか? 愚問。そんな殊勝な考えがあれば裏切ったりしない。

突然木室が深い溜息を吐いた。顔にはさっきまでの温もりは失せ、鉄仮面のような無表情。仁には嫌でもわかる。それが人を殺す者の顔だと。フロイラインの幹部の顔であると。

「その様子だと…… そうですか」

「いつから裏切っていたんですか?」

仁はようやく、その顔を見て、口が開いた。顎をぐっと引き、木室の顔を真正面から見据えたとき、既にそこには優しい兄の顔はなかった。

「裏切っていたとは人聞きが悪いですね。騙していたことは認めますが」

ニヤリと嘲笑を浮かべる。柿木やエリシアにあったものと同質の嫌悪を抱かせる。

「同じことでしょう?」

「似て非なるものですよ」

仁の顔が一層険しくなる。元より細い目がより細く、残酷な色さえ含んで、絞られた。

「アンタと言葉遊びをする気はねえよ」

低い声。そこに閉じ込められた憤怒を察せぬ木室でもなかった。

「……なるほど。すごい威圧ですね。ここは素直に命令をこなすこととさせて頂きます」

その言葉を皮切りに動き出した。

仁が刀を正眼に構えたまま、木室へと目標を定め、足に力を込めたのと、奈々華の悲鳴は同時。恐ろしい反応速度で足に込めた力はそのまま、重心を後ろにやり反転する。そのまま駆け出すのと、事態の把握は同時。仁の両目に映ったのは、奈々華を囲みこむ無数の人形。雛人形のような大きさのそれらが、蠢き、奈々華を包囲しようと迫っている。それが何色の精霊なのかも、もっと言うと精霊なのかも判別つかぬまま、風のような速さで群れに刀を一閃。横薙ぎの一撃は十体近くのそれらの胴と頭を切り離した。僅かに開いたスペース、それでも仁と奈々華を繋ぐ線上には何の障害もなくなる。その結果に満足する暇もなく、人形の亡骸を踏みしめ、仁は奈々華と合流する。一連の動きに何ら無駄はなく、瞬きするほどの間だった。そこで改めて仁は人形の風貌を確認する。黒い和服を着ている。袖口からは腕が出ていない。足には足袋を履いており地肌というものが見えない。顔には般若の面をつけている。それらが無数。木室のいた反対側のガードレールの向こう、木々の合間にうじゃうじゃといる。見る物に怖気と戦慄を与えるような光景。

「念のために聞きます。私達の仲間になりませんか?」

木室の声は幾分遠い。既に退却の準備を始めているらしい。それは今までにない提案であり、フロイラインの方針転換を匂わせる。しかし仁にそんな冷静な頭は残っていない。奈々華の危機がなければ木室はそこいらに散らばる人形と同じ姿になっていたはずだ。

「断る」

「そうですか」

木室の声はそれっきりしなくなった。相変わらずガードレールをよじ登り、次々に人形達が迫ってくる。振るう剣には血すらつかない。ただ骸を晒すだけの不気味な、生き物かもわからないモノ達。先日の呪翅討伐にも似た不向きな多対一。仁が苦戦を覚悟し、刀を納め、奈々華を乱暴に抱き寄せる。そのまま抱え上げると高く跳躍する。当然進行方向は後ろ。敵の発生源からは反対のサイドに降り立つと、奈々華をガードレールに押し付ける。奈々華はその間「きゃ」だとか「わ」だとか短い悲鳴は上げたが、暴れたりするようなことはなかった。

「とりあえず俺より前には出ないで。あと俺の傍からは離れないで」

「は、はい」

アスファルトの上には既に吐き気さえ催す光景があった。数えきれない数の人形。仁の喉仏がごくりと動く。

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