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第五章 第百八十四話:カフェオレ

私は矛盾してるんだ。妹として大切にして欲しい気持ちと、いつまでも一緒に居たい気持ち。仲のいい兄妹としての時間と、どの兄妹もやがて迎える別離。それは本当に表裏一体のものなの? 兆候があれ? お兄ちゃんの気持ちが私から離れていくの?

イヤ。絶対イヤ。そんなのヤだよ。

恋は外へのベクトル。常に相手の気持ちを、相手の顔を、相手の仕草を測る。他者を自分に振り向かせることで得られる独占の喜び。それは極論すると容姿や服装、外的な魅力の向上の果てに相手に同一かそれ以上の見返りを求めることに執心する。

愛は内へのベクトル。常に相手の気持ちを、相手の顔を、相手の仕草を輝かせる。他者と自分が繋がっていることで得られる魂の充足。それは極論すると思いやりや忍耐、自己犠牲の果てに相手と同一になることに執心する。

家族でしか成し得ないこともあって、恋人でしか成し得ないことがある。私ならどちらもお兄ちゃんに与えられる。それは私の勘違い? 私が世界で一番お兄ちゃんを上手く包める。それは独りよがり?



「馬子にも衣装だね」

「それ使い方違う」

眼下には冬の結晶を享受する街並み。昼前からたちこめた暗雲は夕方を回った辺りから雪を運んできた。ふわふわと花びらのように舞い降りる。大丈夫。上手く笑えている。また明日から今まで通りの毎日が続くんだ。あんなの忘れちゃえばいいんだ。胸を刺す痛み。頬を刺す寒さより鋭く痛い。

「あんな汚い街でも雪化粧が様になるんだから…… 間違ってないよ」

「情緒がないなあ」

また同じようなことになったら? お兄ちゃんの気持ちが変わったら?

「付き合い長いんだから、いい加減慣れてくれよ」

「慣れてるよ」

慣れてるよ。その度、私は泣き寝入り? 

頼りなげに青白い顔をして、ポケットに手を突っ込んで、乾く唇を何度も舐めて。ごめんね、寒い思いさせて。お兄ちゃんなんか凍死してしまえばいいんだ。

帰り道。デートの終わり。毎日の始まり。報われるとも知れぬ努力。いつもの長い坂道を二人、雪でぬかるみ始めたコンクリートをひたすら登る。今日の収穫はあったのかな。それを望むのは時期尚早。優しい態度はない。欲しい言葉はかからない。だってお兄ちゃんが理解しているのは妹の気持ちだけ。だから否が応でもこれまでの生活を続けるしかない。それがイヤなら人生で一番の決断をしなければならない。怖い。上手くいく想像よりも、失敗する想像が易い。今まで通りの生活すら出来なくなるかもしれない。意気地なしと罵られても、もう私はこの人を失うわけにはいかない。そうなればきっと生きていけない。だったら…… 惚れた方が我慢するのが常。今は我慢するしかない。答えは最初からあってただ辿り着きたくなかっただけ。



ふふ、とお兄ちゃんの押し殺したような笑いで我に帰った。「どうしたの?」と尋ねると、くるりと首だけ振り返ってまた笑う。小さなしこりを一時忘れ、いつだってこういう顔をするお兄ちゃんは楽しい話をしてくれる。

「懐かしかったな」

「何が?」

だから私も忘れる。小さなしこりも、それに付けた渋々の折り合いも。一時忘れる。お兄ちゃんは子供のように目を輝かせている。

「ほら、小さい頃奈々華を連れて動物園に行ったろ?」

頭の中を探ると、すぐさま該当する思い出があった。確かお兄ちゃんが中学生くらい、私が小学校高学年くらいの時のこと。名義上の保護者しかいない私達兄妹はあまり遊びに行くようなことはなかった。きっといつもお兄ちゃんはそのことを気にかけていたんだと思う。テレビなんかで行楽地の様子が流れると無理に話題を変えたり。子供心にそれがわかっていた。そしてお兄ちゃんが中学生になったある日、あれは春だったと思う、突然動物園に誘ってくれた。きっとお兄ちゃんは子供二人で行っても、中学生くらいの兄が引率していれば周囲からも怪訝な目で見られないと判断して、それでずっと待っていたんだと思う。私はそんなお兄ちゃんが可愛くて、嬉しくて、何度もありがとうって言った。

「でも、あの時は怒っちゃって悪いことしたな」 

「え?」

記憶をもう一度さらう。そしてすぐにまた思い出す。ほんのちょっとほろ苦くて、でもすごく温かい思い出。カフェオレみたいな優しい味。どうしてさっき一緒に思い出せなかったんだろう。嬉しくてはしゃいでいた私が、サル山を見つけて、柵から身を乗り出して……

「落っこちそうになったんだよね」

自然と顔が綻んでいるのを自覚する。何とかお兄ちゃんが引っ張り上げてくれたけれど、すごく怒られた。それは愛情から来るものだった。子供心でもはっきりとわかった。私は大丈夫。そう思った。お母さんもお父さんもいないけど、こんなにも愛してくれているお兄ちゃんがいる。

「泣かせちゃったんだよね」

ポリポリと頬を掻くお兄ちゃん。また胸がぽかぽかしてくる。相変わらず雪は深々と降り注いでいるけど、体の芯が熱を帯びていて気にもならない。

「違うよ。アレは怖くて泣いてたんじゃないよ」

そっか、とお兄ちゃん。きっと柔らかい笑顔。大丈夫。ちゃんと伝わってる。背中ごしに伝わってるよ。

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