第五章 第百七十六話:呪いと吸血
虱潰しとはこのことか。地面に折り重なる死骸はその数ゆうに千は下らない。起毛した足や亀裂のような線の走った翅、テラテラとした甲殻。それらが無秩序に絡み合い、重なり合っている様はグロテスクの一言に尽きた。確かに手強い相手ではなかった。今すぐに命の危機に晒されるという事態にはなりようもなかった。しかし……
「失血死とかしないでくれよ?」
虫の墓場から目を切って、仁は後方に控える二人の少女を振り返った。どちらも腕や顔に小さな傷が幾つかある。そこからは確かに傷の程度にしては多目の血が流れているが、失血死は大袈裟で、いつもの軽口だった。しかし今の二人には聞き流せない部類で、当然のように無傷の仁にジト目を向けるのも無理はない。黒の魔術師に黒の精霊の、まして下級精霊と仁では話しにもならない、呪いは効かない。虫たちもそれを本能的に理解していたのだろう。攻撃は女性陣に集中した。
「わかっていたことではあるんですけど、釈然としませんね」
山道を行くのだから、と合点していた二人の露出の少ない格好は実はこれを見越してのことだったらしい。仲良く同じような色合いのジーンズを履き、色違いのジャケットを着ている。
「事前に聞いていたにしても特徴くらいだろう? よく精霊を特定できたな」
「そうか、君は知らないんだな。高坂家と言えば名家であると同時に精霊研究でも……」
自分のことのように胸を張ってスラスラと講釈を始めた坂城も、途中まで喋ってやっと口が過ぎたかと姉の顔を見やる。死んだ家族の話を勝手にされた怒りはそこにはなく、出来の悪い妹に困ったような嬉しいような複雑な表情をしていた。
「それで…… 役立たずの俺を呼んだのは解呪をさせるためだろう?」
話をふったのは自分なのだから、話を変えるのも自分の役目と思っているのだろうが、少女達の顔には一様に感謝の念が見て取れた。
「ええ。お願いできますか?」
「……どうやるの?」
少年のように小首を傾げてみせる。ミルフィリアは決まり悪そうに仁から視線を外した。外した先にも虫の共同墓地を見つけ、周囲はすっかりそのような様相だった、顔を顰めた。
「わかりませんか? 貴方が思った通りにすれば出来るはずです。私の父母を解き放ったときも、貴方は直感で方法を理解した……」
方法は確立されていない。そもそも先例がない。ミルフィリアの両親のときは、中谷の凶行について触れ、その方法を悟ったが今回は完全に仁の直感に委ねられている。仁は更に首を傾げ、また元に戻して、顎に手を当て、しばらく黙考してぼそりと呟いた。
「何となく毒っぽいから…… 吸い出すとか?」
「す、吸い出す!」
坂城が半歩後ずさる。
「ではやってみてください」
ミルフィリアが半歩前に出る。
「おいおい、正気か?」
仁の戸惑った顔を悠然と見返し、ゆっくりと右手の甲を差し出す。二本平行線のように傷が走っている。そこから今もジクジクと血が流れている。
「貴方に一任すると言ったでしょう? それに…… 憶測ですがプラシーボのようなものだと思うのです」
「治るって思えば治るってこと?」
「違います。貴方の方です。解けると思えば解けるんじゃないかと」
「ほんとかよ」
「やってみればいいでしょう?」
また一歩仁に歩み寄って手を伸ばす。仁は顎に当てたままだった手でアゴヒゲをなぞる。弱ったという意思表示。しかしそこで向けられた手から視線を上げ、少し笑む。
「顔が赤いぞ? ミルフィリア」
耳の先と頬の辺りが確かに赤い。色の白い彼女は少しの紅潮も一目でわかる。
「遊庵。そこの岩を取ってください」
「わ、悪かった。やるぞ!」
仁は慌ててミルフィリアの手に口づける。単純な口づけとは違った唇の形。血液を吸いだしているようだ。
「ちょ、ちょっといきなり……」
仁が顔を上げる。その直後ミルフィリアの左手が振り下ろされ、右手の甲と重なった。パチンと澄んだ音がして仁は肝を冷やす。あれだけしぶとく流れていた血はその衝撃で飛び散ることもなく……
ミルフィリアが手をどけると、傷口から流れる血は止まっていた。跡に残るのは引っかき傷。一日、二日で塞がるだろう。解呪の方法がわかった。