第五章 第百七十話:海
「丸太鬼は、ただその一本気な性根の良さだけで、あらゆる者と仲良くしようとした。旦那の見え透いたおためごかしとはまた一味違う」
「これまた手厳しい」
眉間の辺りに手を当てて下唇を突き出す。ふざけたような態度だが、その鋭い言葉はキチンと頭で理解している。他人の意見を聞き入れ、反映すべきか否か一隻眼を以って判断する。そしてまたそれを養っていく。
「だから人を襲うようなことも軽蔑するようなことも、本来はない?」
究極の博愛主義者とも言える。罪滅ぼしの幻影に満足を見出す仁の卑しさとは似て非なる。
「そう、本来は」
「だけど…… 仲間を理不尽に奪われた憎しみに身を委ねた?」
「悲しい話しだと思わないっすか? 彼はただ仲間達といつまでも面白おかしく過ごしたかっただけで、人さえも受け入れようと考えていたのに」
「……ああ」
「その裏表ない、海のような穏やかな優しさが、丸々憎悪に変わったんすね」
凪は未曾有の大時化へと。受け入れられない苦しみ。跳ね除けられる悲しみ。仁の場合は奈々華に理があったけれど、丸太鬼の場合は彼に全く非はない。その気持ちを察するといたたまれない。
「やっぱりそうなのか」
突然曖昧な言葉を吐いた仁であったが、静なら何を指しているのかわかるという信頼が見て取れる一言だった。
「生前の記憶は当然ないっすけどね。それでもどこか生真面目で人の良い所は消えてないっすね」
カラカラと快活に笑う静は、心から嬉しそうだった。こんな彼を仁は数えるほどしか見たことがない。底意なんて一つもない。親愛だけが溢れている。
仁は常々思う。長く生きるにつれ、大人になるにつれ、一つの物事に対して多角的な視点を持ってしまうから、それに対して複数の感情が湧くのが道理だと。だから本当に珍しいのだ。仁の何十、何百倍も長く生きている彼が一つの感情だけで心を満たすのは。そして尊いのだ。
「それにしても村雲君を連れてこないというのは素晴らしい判断っすね」
普通の人間からすれば、友人の話をするのに当人を連れて来ないのは不自然な話かもしれない。陰口を叩くために集まっているわけでもなく、どうでもいい噂話をするわけでもなく、いわば刀鬼としての出自を話しているのだ。友であればこそ、本人にも知らせようとするのが、いや真っ先に知らせようとするのが自然な流れだろう。
「ううん。何となくね」
そう言って曖昧に笑う仁。殊更感心しているのは静。
「何となくでそういった判断を過たないのだから、ある種才能と言ってもいいかもしれないっすね」
「今度はうってかわって甘口だな?」
両者、静は視覚的には見えないのだが、笑い合う。そして二人ほぼ同時にそれを止めた。
「やっぱりマズイのか?」
「あっしのような年寄りならまだしも、五十年は鬼からすればあまりに短い」
「憎しみを拭いきれていない? フラッシュバックする?」
静はええ、と短く切っておいて。
「最期は自身まで殺されているわけで…… 以前よりも人に対する憎しみは強くなっていてもおかしくないでしょうね」
「そういえば、封印されてるって言ってなかったか?」
殺されたというのは一種の比喩表現。刀に封印されている鬼を刀鬼と言うはずではなかったか、仁はそう言っている。懲りずに水を差す仁に呆れたような間を取ったが、静は苦言はやめて質問に答えた。
「そう簡単に殺されてたまりますか。仮にも最高位の鬼の一族っすよ? 人の性っすね。殺したと発表したほうが民衆のウケもいいでしょう?」
確かに、封印という言葉では虐殺に怯える人々を安心させるのに足りない。同時に呪縛が解ける可能性も孕んだ言葉だ。
「実際に解けるわけか?」
「ええ。その真の名を教えてしまえば。まあそれだけじゃあ不完全で、特定の条件も要るわけっすが」
その条件についてはあまり語りたくない雰囲気だった。途方もない時間を生きた彼には、もしかして嫌な思い出があるのかもしれない。突っ込むほど仁も野暮ではない。
「とにかく秘密にしておけばいいんだな?」
なるだけ能天気な響きを残した。そういった気遣いも静に胸のすくような心地良さを与える。ええ、とだけ返ってきた。