第五章 第百六十七話:女の子の秘密
調べる項目は三つあって、一つは奈々華に知られたくなくて、一つは誰にも知られたくなかった。今日の授業、丸太鬼。ヒメネスを襲ったスターダストデビル。卵の育成方法の確認は一番重要度は低かった。方便にも近い。だからそれに納得して鍵を渡してくれた坂城には少し心苦しい。
スターダストデビル。思ったとおり黒の精霊で、中谷が初めて召還した精霊として世間、もっとも魔術師の間の話しだが、には認知されている。その時中谷は僅か十歳そこそこだったらしい。精霊としては下級にあたり、それほど力はない。呪術に長けるそうだ。
小鬼の卵。該当記述なし。
そこまで調べ終えて、仁は席を立ち上がる。いつか奈々華と坂城と三人でやってきたときと同じテーブルの同じ椅子に座っていた。あの時からまた埃を溜めた座面は、仁の黒い綿パンツを、お尻の部分だけ白くしていた。再び縦列の本棚に戻っていく。
「しかしよくこんだけ書いたし、こんだけ集めたもんだ」
「人は常に空想を忘れません」
仁の独り言に、右手の本棚の裏から反応が返ってきた。高くも低くもない、聞き取りやすい女声。コツコツと靴を踏み鳴らす音が、後方に小さくなっていく。棚の切れ目、仁がさっきまで座っていたテーブルの方へ。
「しかし人はそれを空想だと正しく、否応なしに理解しています」
「……」
「だけど、もしその空想が現実のものとなったら……」
ミルフィリアが言っているのは、数百年前の魔術師の顕現。空想が真になった瞬間。見たこともない生物を使役して、火や水や風や雷を操る。誰もが一度は夢見て、常に諦めていたこと。
「人はその空想に心奪われる」
仁は体ごと後ろを振り返る。ミルフィリアの宝石のような瞳が仁を捉えていた。
「その結果がこの蔵書か……」
「こんなものほんの一握りに過ぎません」
なおも靴音を広い空間に反響させて、仁に歩み寄る。クオーターともなると、日本らしく顔の見える程度の距離をとって話す。
「ストーキングはあまりいい趣味とは言えないな」
「遊庵から聞いてきました。珍しく殊勝なことをしているなと思えば……」
一度言葉を切って、後ろを首だけ振り返る。仁がピックアップした黒い本がテーブルの上に開いたまま置かれている。仁は溜息を吐きながら、首を左右に小さく振った。
「……実は卵の育成方法について調べている」
この期に及んで方便を重ねるのは、最後の抵抗と言ってもいい。
「それだけでもないのでしょう?」
仁の目の前の少女はとても鋭い。時々、仁はミルフィリアが怖くなる。
「丸太鬼」
短く。苦々しい顔をしている。
「丸太鬼?」
「……なんでか気になるんだ」
それだけを告げて、再び背表紙の陳列に目を戻す。仁の斜め上の蛍光灯が、その寿命が近いのか、カチカチと明滅している。黒い服を好む仁もまた、一瞬闇に溶け込んだり、一瞬光に照らされたりしている。
「挿絵を見たい」
「……」
「口外しないで欲しい」
「……」
恐らく彼女が彼から聞き出したい情報は余すことなく伝えたはずだ。それを受けて、放たれた言葉は仁の予想にないものだった。
「それならこの棚ではないです。向こう」
仁が驚いて振り向いたときには、ミルフィリアはもう背を向けていた。案内をしてくれるらしい。
「どうしてお前がそんなこと知ってるんだ?」
「……女の子の秘密を暴こうなんて無粋ですね」
「今はお前の軽口に付き合う気はない」
去り行く少女を早足で追いかける男の図は、傍目には色っぽい想像を煽るだろうか。それとも暴漢に見えるだろうか。仁にとってはどちらでも構わない。坂城すら網羅できていない蔵書の場所を、最近学園にやって来たミルフィリアが把握しているのは腑に落ちない。肩に手を当てて乱暴に振り向かせると、ミルフィリアは片目を瞑って、口元だけ笑っていた。随分芝居がかった仕草も、彼女がやると嫌味にも気障にもならなかった。絵になって様になった。
「私は貴方と違って読書家なんですよ?」