第四章 第百五十七話:変化
「幻創痛ですか……」
やっと面会許可が下りたミルフィリアと坂城はいの一番に仁の部屋を訪ねた。スパルタで知られるミルフィリアもことがことだけに優しい言葉を用意していたのだが、仁の様子が以前と全く同じというわけにはいかないが、どこか立ち直りの兆しを見せているのに驚いた。
「知ってるのか?」
仁の屈託のない質問。まさしくわからないことを教師に尋ねる生徒の図。大まかな説明は医師から聞いたものの、魔術の専門家にも詳しいことを聞くのが筋だ。
「当たり前です。二年になれば、奈々華さんは白の属性ですから、改めて習うことになりますが……」
そうことわって、チラリと奈々華を見る。丁度給湯を終え、緑茶を持ってきている。湯飲みの上部をつまむようにして、坂城とミルフィリアの前に差し出す。とても熱いことを知っている二人は表面上の礼だけ言って、しばらく手をつけない。
「治す方法は?」
仁の期待のこもった眼差しを受けて、坂城はさりげなく視線を外す。ミルフィリアが損な役回りを引き受けた。
「……残念ながら」
目を瞑って首を大きく横に振る。セミロングの髪が揺れる。
「症状の自然治癒を待つより他にありません」
病院で聞いたものと同じ答え。奈々華は落胆し、仁もううんと唸る。
「治らなかった例はあるのか?」
仁の質問に、ミルフィリアは面食らった。出来れば聞きたくないようなことを、平然と自分から聞く。まず状況把握に努める姿勢は、歴戦の戦士としての彼の本来の姿。祐を背負って帰るなどと感情的になっていた事の直後からは幾分立ち直っていることがここにも窺える。
「中谷慎二……」
呟いたのは坂城。仁の視線を真っ向から受けて、また慌てて顔を俯けた。
「すいません。久しぶりに話すものだから、緊張しているんです」
ミルフィリアが発した軽口は、幾分場を和ませた。
「意味わかんねえから」
しかしそれは軽口の類ではなかった。目に力をこめたミルフィリアは、仁の顔を真正面から捉える。
「本当にわかりませんか?」
「……」
「貴方は決して鈍いほうではないでしょう?」
「……」
仁の顔から笑みが消える。言葉を探しているようでもあり、何も考えていないようでもあった。坂城は嗜めるように、「姉様、やめてください」と小声。仁とは意図的に顔を合わせないようにしていた。
「それにしても、今フロイラインに責めて来られたらどうするんですか?」
重くなりかけた空気を、話題を変えた奈々華。残りの三人は不意をつかれたように、一斉に奈々華に顔を向ける。見えない力で吸い寄せられたように。少ししてミルフィリアが応じる。
「大丈夫でしょう。もう情報のリークはないのですから、仁さんが幻創痛だということはバレていないはずです。むしろあの状態から緑の幹部を破ったのですから、敵はやはり慎重に構えるでしょう」
坂城の顔が曇る。敵という単語。
「最悪責めて来られても、私がいます。仁さんばかりに負担はかけられませんからね」
任せろ、と首を大きく縦に振る。
敵への対処については、それ以上名案があるわけでもなし、それきりとなった。
「それにしても、不自由はありませんか?」
やはりミルフィリアの言葉にはいつもの棘も皮肉もなかった。仁は快活に笑ってみせる。
「大丈夫だよ。もう慣れた」
「しかし…… 痛むんじゃないか? それに寒気もあるんだろう?」
坂城が後に続く。
「大丈夫ですよ。私が一緒に寝てますから」
奈々華がいやらしく口の端を持ち上げる。坂城とミルフィリアは従姉妹らしく同じ反応をした。最初呆気に取られて、次に顔を顰めて、最後にゴミでも見るような目で仁を見る。
「どこまで変態なんでしょうか。この人は」
「気持ち悪いな。頭も診てもらったほうがいいんじゃないか?」
口々に罵る。今度は仁が視線を外す番だ。
「しょうがないだろう? 寒いんだから。本当は何か暖を取るものを買ってすまそうとしたんだけどさあ。俺がしょっちゅう起きるから奈々華も眠れないだろうし」
「はい? 十分寝れてるし。馬鹿じゃないの?」
奈々華まで便乗する。勘弁してくれ、と手を挙げてみせる仁。
坂城もミルフィリアも何となく察しているらしかった。翳りのある笑顔。奈々華と寝床を共にすることで、仁の心境に変化がもたらされたのだろうということ。仁はすっかり拗ねてしまって、窓際まで行くとゆっくりとタバコをくゆらせる。口を「お」の字にして煙で輪っかを作って遊んでいた。