第四章 第百五十六話:変質者
「電気毛布か、湯たんぽか……」
仁はパソコンを立ち上げ、インターネットに接続し、とある家電量販店のホームページを覗いている。痛みは潮の干満のように、行ったり来たりする。だから今は干潮ということになる。
大声で泣くとすっきりすると聞く。勿論そんなに簡単な話しではないのだろうが、仁の顔にもう翳りはない。少し笑うようにもなった。
「何してるの?」
洗濯を終えて、部屋に張ったロープに通されたハンガーにシャツをかける片手間、奈々華が仁に声をかける。ついと顔を上げた仁は、微笑を作り、言った。
「毎晩お前と寝るわけにもいかねえだろ?」
奈々華の手から、滑って洗濯ばさみが落ちた。慌てて仁に背を向けて作業に戻る。
「あったかいサムシングをゲットするのさ。さしずめ電気毛布か湯たんぽか」
「……」
「まあ毛布かなあ」
やっと顔の色が元に戻っただろうと判断した奈々華がまた振り返る。もう洗濯物はそっちのけになっていて、手に持っていた次に干すべき靴下は、洗濯カゴの中へと逆戻り。
「アレは体に悪いから、ダメ」
「ふうん。そうなの? じゃあ湯たんぽだな」
「アレはすぐにお湯が水になるから、絶対ダメ」
強い口調で取り付く島もない。仁は弱って頬を掻きながら、お伺いを立てる。
「じゃあもう一枚羽毛布団を買おう?」
「お兄ちゃんが寝たら何でかすぐ黄色くなるのに、二枚も洗う身にもなってよ!」
「じゃあ、俺が洗うからさあ」
「洗い方なんてわからないでしょう? ダメ」
アレもコレもダメ。仁は終いに少し腹が立ってくる。
「教えてくれてもいいだろう? 第一俺は一応病人なんだぞ。少しわがまま言ってもいいじゃねえか」
「いっつもわがまま言うじゃん」
「いっつも聞いてくれないじゃん」
「ああもう…… ダメったらダメ」
地団駄踏むようにして、奈々華はまた否定を重ねる。仁は怒りを通り越して、何故頑なに自分の寒気を緩和する手段を許可しないのか、不思議に思ってきた。途方に暮れてもいた。
「じゃあどうすりゃいいんだよ?」
「……人肌が一番体に優しいんだよ」
「……」
またむこうを向いてしまう。誤魔化すように靴下を取り出して干す。他は陰干ししているのに、それだけ表を向いていた。
「は?」
「だから! 他に良い手段がないんだから、今日も一緒に寝てあげるって言ってんの!」
パンと大きな音を立てて皺伸ばしされた仁のトランクス。ドット柄のそれを真正面から見てしまった奈々華はまたまたカゴに叩きつけるようにして戻す。何がしたいのか、仁にはさっぱりわからない。
「ううん…… いくら兄妹でも、俺と一緒に寝るのは嫌だろうから、考えたんだが……」
「……別に嫌じゃない」
蚊の鳴くような声は、照れ隠しだとすぐにわかる。仁は胸の中がすっと温まるような気持ちになる。母のような優しさを感じた昨晩とは真逆に、子供らしさを見せつけられると、むくむくと悪戯心が芽生えてくる。
「そうかあ。良かった。俺も奈々ちゃんはあったかいし、柔らかくて気持ちいいから、そう言ってくれると助かるよ」
成り行きとは言え、昨日の大胆な行動を思い出した奈々華の顔は、みるみる赤くなっていく。真面目な生徒が宿題を忘れて、教師に怒られているかのようだ。
「やっぱり寝ない! 最低! 変態!」
カゴの中身をぶちまけられた仁は、洗濯物お化け。
「誰が変態だ!」
奈々華の下着が顔に張り付いている。奈々華は「もう知らない」と剣幕もそのままに、部屋を出る。
火照った顔に、廊下のひんやりした空気が心地良い。部屋の戸に背中を張り付けて、仁が後を追って開けられないようにして、一つ息を吐く。
「嫌なんかじゃないよ」
顔を両手で挟む。濡れた洗濯物を触っていた手は、空気よりももっと冷たく、洗剤の芳香がした。クスリと堪えきれずに笑う。洗濯物まみれになった兄は、今頃必死に全てをどけようとして、自分の下着を頭から被っていることに気付いた頃だろう。
「変態は私か……」
クスクスと笑い声が抑えきれない。
丁度戸を開けて部屋から出てきた高等部のほかの生徒が、奈々華にぎょっとした目を向け、すぐにまた自室へ身を引っ込ませた。