第四章 第百四十七話:濁り
祐の葬儀はしめやかに、慎ましく行われた。葬儀に参列したのは、共に遊園地に行った四人。祐に縁のある者は皆無と言ってよかった。きっと近藤がフロイラインに与するにあたって、親戚縁者の類とは縁を切ってしまったのだと思う。彼の遺品を整理してもそれらにまつわるものは見つからなかった。以前通っていた中学校に連絡を入れたと、坂城の話しだったが、そこからも誰も来なかった。彼もまた他人に対して壁を作っていたのかもしれない。いつか見かけた同級生とのいざこざを思うと、仁は納得した。「寂しいね」と奈々華が本当に悲痛な顔で言った。だからこそ…… ここにいる人間は彼の友となりえたのに。
坊主の読経も終わり、出棺となる。いつか来た、ミルフィリアの両親のものを含む墓場を管理する寺。まさかこのような形で再び訪れることになるとは、誰も予想しなかった。したくもなかった。金の装飾を取り付けた霊柩車。そこに運び込まれる棺。祐はその中にいる。血の気の引いた顔で、口に詰め物をされて、白い装束を着て、遺品に囲まれて…… 母と父と共に写った写真も入れた。
霊柩車が合図を鳴らし、発進する。もう生者の手の届かないところへと。
誰も仁に声をかけられずにいた。彼はただ、葬儀の間も濁った目を棺に向けていて、今もまたその目を走り去る黒と金の車に据えている。だけど、本当にそこを見ているのかもわからなかった。
「はい…… はい、知り合いに不幸がありまして…… はい。すいません。ご迷惑おかけします」
電話口の向こうに丁寧な言葉遣いで謝る。応対は広畠だった。本来なら仁が自分で事情を説明するべきではあったが、今の彼には無理だと判断した。彼が今後アルバイトを続けるのかさえ、わからなかった。
「失礼します」
もう一度申し訳なさそうな声を出して、奈々華は電話を切った。ソファーの上で動かない仁を振り返る。
「今日はお休みさせてくれるって……」
微かに仁の首が上下に揺れた。
「……」
空々しいテレビはついていない。エアコンの稼動する音だけがしていた。
「お兄ちゃん……」
アイシアが慰めるように、仁の腹の上に乗っかる。いつもなら撫で回して可愛がる動物好きの青年は、視界にすら入れない。ぼんやりとテーブルの上に視線を置いたきり、マネキン人形のように動かない。
「他人を信じるな…… か」
ぼそりと囁くような声。静の言葉。戯言と切り捨てた言葉は、核心をついていて、仁に清算を強いた。木室カエデ。味方だと思っていた人間が、ある日突然、今まで偽りの笑顔を向けていたと知る。辛くてよくあること。いつから背信に墜ちていたのか。最初から? 仁が来てから? 坂城はどう思っているんだ? 近藤に情報を横流ししていたのは彼女なのか? 色んなことが頭の中をグルグル回るが、何一つ掴むことは出来ずにいた。
「ジョーカーが誰かって話した相手がそうだなんてな……」
奈々華が心配げな表情で仁の隣に座る。三日経った。それでも仁にカタルシスは訪れない。
「お兄ちゃん……」
ただ呼びかけることしか出来ない。それでも、それこそが彼を繋ぎとめる唯一の手段だと、奈々華は思っている。誰かが傍にいて、自分の名を呼んでいる。それは決して馬鹿に出来るほど小さなことではないはずだ。
「結局…… 俺は何も学んでいないのかも知れない」
「違うよ。誰も信じなくなることが、傷つかずに生きるってことじゃない」
そんなのは、悲しすぎる。身を乗り出して、兄の顔に自分の顔を近づける。ソファーが重心の移動を伝えた。アイシアがピクリと俊敏な動きで反応してみせる。
「誰かを犠牲にしてでも?」
仁がようやく笑った。だけど自嘲だった。
「……お兄ちゃんは悪くないよ。悪くない。何も悪いことなんてしてない」
静かな声音に、感情が発露していた。仁は自嘲をやめ、またもとの抜け殻に戻る。ゆっくりと奈々華の顔を正面から捉える。
「そうだね…… 何もしていない」
不作為の罪。そんな言葉を小さく呟いた。