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第四章 第百四十六話:眠った贖罪

仁はその後のことをよく覚えていない。奈々華が遅れて到着した頃には、祐の死体の前で狂ったように拳を振るう兄と、その後方で体を真っ二つにされた、いつか見た緑の幹部の少女があるだけだった。

実際にはこんなことがあった。


仁の耳に聞こえたのは、柿木の嘲笑だった。しかしそれを認識しているのかもわからない。幽鬼のようにゆらりと立ち上がった仁の顔は伏されていたから。木室も柿木もそれが、彼の中の悪魔が喪に服す様だと理解しているべきだった。

「つまらない茶番でしたね。まあ、後は貴方に任せますよ」

茫然自失としている、と取った仁の様子から、木室は同僚を一方的な殺戮の場に置いて去る。逆に言うと、もう少し遅ければ、彼女もその餌食となっていた。何にせよ立ち去る彼女には事態の変化を知る術はなかった。

「おい、おっさん。次はお前の番だ。すぐにそこのボロ雑巾と同じようにしてやるよ」

ケタケタとまた耳障りな嘲笑。ゆっくりと顔を上げた仁の目を見て、しかしそれは止まる。

「な、何だよ。その左目」

「……変形重瞳」

瞬間少女は身の危険を感じる。それは彼女の戦闘経験から、一度も味わったことのない、圧倒的絶望だった。自身が捕食される側だと、ありありと伝える全身の悪寒。

しかし鳥肌すら立てることも許されないまま、まして回避行動など取り得るはずもない、少女の体は真っ二つに裂かれていた。いつどうやって少女の前まで移動したのか、どうやって斬り伏せたのか。人の目には捉えることは出来なかった。少女は魔法も唱えることすら出来ず、まして自分がいつ死んだのかさえわからないまま、ボロ雑巾のように地面に転がる。フロイラインの幹部である少女にしてその事態は異常だった。そこまでしても、仁の心に憎しみはなかった。いや、全ての感情は殺されていた。ただ目の前のうるさいハエを払ったように。ただ彼の中に無限に再生される情景は、祐の体から飛び出した黄金の矢と、最期の瞬間、虚空に突き出された彼の青白い腕。


「死んでしまった」

少女の死体には目もくれず。振り返った先の少年の白い体を見て、ポツリと呟いた。ふらふらと熱にうかされたように、歩み寄る。

「死んでしまった!」

死体は既に瞳孔は閉じられていて、安らかに眠っているのと変わらない。だけど永遠に目を覚ますことはない。憎まれ口を叩くことはない。笑いかけることもない。動くことはない。父の焼香すら上げられず、母の墓参りすら出来ず、自らが荼毘に付す運命。

その顔を覗きこんで、座る。

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」

その運命に伴う読経とはならないのに。

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめん…… なさい」

ぶわっと堰を切ったように、仁の目から涙が零れた。額をアスファルトに擦りつけて、すぐにまた顔を上げた。唇が切れていた。額にも血が滲んでいた。悪鬼の如く目に憎しみと涙が溜まっていた。そして拳を宙に振りかざした。

「何で守れないんだよ!! 何のための力だよ!」

アスファルトに何度も何度も、彷徨う拳が叩きつけられる。

「やめろ! 主。拳が壊れる」

その異様にたまらず、緑の少女を斬って放り出されたままの村雲が声を上げる。青年の拳は歯牙にもかけずに、律動を繰り返す。

「壊れればいいんだよ!! 要らねえじゃねえか!! 何にも…… 誰も守れないじゃねえか!! だったらこんなもん……」

「お兄ちゃん! やめて!」

声と同時に、仁の右腕に柔らかくて暖かいものが触れる。振り上げた腕に、少女が抱きつくようにしていた。彼の妹。遅すぎた。仁はしばらくその障害を跳ね除けようと暴れたが、それが奈々華だと気付いて大人しくなった。ガクンと首を垂れて、動かなくなった。

「奈々…… 守れなかったんだ。守れなかったんだ。ごめんなさい。ごめんなさい…… 謝っても赦してくれないんだ」

寝言のように、対象の定まらない儚い声。

「違う…… 赦してくれたんだ。なのに…… なのに!!」

「お兄ちゃん!」

抱きしめた兄は、そうしていないと、自傷行動なくしても、消えてしまいそうだった。それを彼が望んでいるのだった。ゆっくりと奈々華の体が白む。包み込んだ仁の右腕に、先刻感じた死の冷たさを払拭するような愛と優しさが溜まる。それを拒む。右腕を振り回して、奈々華の手の平を逃れる。キャッと小さな悲鳴の後、奈々華は尻餅をついた。

「こんなの…… 治してどうするんだよ……」

目の前にある、優しい少年はいつか見た微笑を作らなかった。

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