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第四章 第百四十話:導き

「父さんは辛かったんだ。だから…… 逃げた」

言葉の最後は消え入るようだった。

「そんな……」

逃げるという言葉は、仁の知る近藤には似つかわしくなかった。反射的に返しかけて、祐の目がとても真剣なのを見てやめた。

「いつか酔った父さんが言った。誰かを憎んで生きることは簡単すぎるよな…… って」

きっと復讐の虚しさを知った日だ。仁は思った。前代の煉獄を討ったときか、平内への復讐を断念したときか。そこまで思って、不意に祐の言葉の真意を悟った。頭の中に真水を流し込んだように、はたと閃いたのだ。

「それは逃げじゃないよ」

ほとんど泣きそうな声だった。周囲のテーブルから訝しげな視線が二人のテーブルに寄せられる。

「復讐を逃げだと言ってるんじゃない。父さんはその簡単な生き方からも逃げたんだ」

諦めた復讐の完遂。

「憎いなら、殺しきればいい。だけどそれが出来なかった。その先に虚しさしかないと知って、怖くなって逃げたんだ」

「……」

一度決めたことは歯を食いしばってでもやるんだ。あの言葉は自分への戒めだったのか。

「僕からも逃げた。僕に何もしてやれていないと勝手に一人で決め付けて……」

声が震えていた。

「僕は父さんがいてくれるだけでよかったんだ。母さんが亡くなって、たった一人の家族がいてくれるだけで……」

祈るように組まれた両の指先の結び目に、ポタポタと涙が落ちる。近藤は結局、亡くした者への愛と今ある者への愛、どちらも選べなかったのかも知れない。中途半端な道に、同じように迷いの中にいた仁を導いて、自ら幕を引いた。だけど、本当にそうなのか。もっとやりようがあったんじゃないか。再び鎌首をもたげる詮無き後悔を、仁はとめる術を知らなかった。

「だから、僕を一人ぼっちにして!」

「……」

「勝手に死んでしまったんだ!」

他の客達はもはや目を合わせないようにして、次々と席を立って会計を済ませて行った。かさかさと仁が懐を探る。取り出したのは、近藤が今わの際に託した手紙。丁寧に皺を伸ばして、テーブルの上に置く。最初はコレを彼に見せる気はなかった。自分を弁護するような内容の手紙。卑怯だと思った。だけれど、彼には近藤の考えていた全てを知る権利がある。それを見て彼がした選択を受け入れるべきなのだ。

「確かに近藤さんは、君から逃げたのかも知れない。復讐からも目を背けたのかも知れない。だけど…… 君を愛していなかったわけじゃないんだ」

ようやっと、仁にも近藤の「導け」という言葉の真意がわかった気がする。そしてもし仁の思ったとおりなら、祐の赦しもまた、甘んじて受け取るべきなのだ。そんな資格があるのか、と果てない自問を置き去りにしても。

祐がゆっくりと目頭を拭い、紙面に目を落とす。

「……」

「……」

やがて赤い目を上げると、祐は仁の解釈どおりの言葉を発した。

「僕に自分と同じ道を辿らせたくはないんだね」

仁にではなく、目は仁の目を真っ直ぐに捉えてはいるが、亡き父に。仁に何かしら表情を作ることは出来なかった。ただ黙って祐の目を見返し、審判の時を待つ。この賢き少年に限って、万に一つもないだろうが、それでも彼の決意に少しの影響も与えてしまってはいけないから。

「……僕はアンタを赦そうと思う。少なくとも父さんと同じ道は歩まない」

元々彼に復讐の意図はなかったのだろうと思う。だけれど、これから苦難の道を歩むのだとしたら、それを導くのが仁の役目。勿論その苦難の原因たる仁は、彼の憎しみを取り除くために誠心誠意これからも贖罪に努めなければいけない。彼の赦しに報いるために。仁もまた憎まれ、蔑まれたほうが楽なのかもしれない。それでも、彼が真に赦しを与えてよかったと思える日が来るなら。赦されてよかったと仁が思える日が来るなら…… こんなに幸せな結末はないはずだ。


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