第四章 第百三十六話:甘言
薄く張った雲を見つめながら、仁は小さく紫煙を吐き出した。奈々華と久しぶりに気まずい雰囲気。原因は当然祐を誘っての行楽だ。逃げるように中庭に非難した仁は、冬にあっても下界を優しく暖める太陽の存在感を改めて噛みしめながら、いつものようにタバコをふかしているのだった。
「どうせ、旦那一人じゃ踏ん切りがつかなかったでしょうに」
「……そうは思うよ。けれど相談くらいしてくれても良かったんじゃないかなとも思う」
責めたてたわけじゃなく、ただ煮え切らない態度を取ったのだから、余計に性質が悪い。女々しいのだが、彼の言い分にも一理ある。
「文句があるなら、はっきり言えばよかったんすよ」
今日の彼の反省会に付き合っているのは、静だった。弾劾とも言う。
「文句はないさ。あの子なりに考えて行動したんだから」
朝降りた霜が解かされて、きらきらと輝く芝生の光景は、冬の美観を閉じ込めたような趣があったが、仁にそれを楽しむ余裕はあまりなかった。それどころか、タバコの火を消すのにおあつらえ向きだと思っているらしい。押し付けた茶色の葉に、黒い粘土のような灰のかたまりがこびりつく。
「……アンタ、ひょっとして謝ることがより相手の反感を買うと思ってるっすか?」
「……」
箱から取り出した三本目のタバコは、口に咥えさせる動きの途中でピクリと止まった。沈黙は肯定だった。
「だとしたら、それは逃げてるだけじゃないっすかね」
軽い調子で静はいつも重たい言葉を紡ぐ。ゆっくりと口まで運んだタバコを唇で挟んでから、仁はまた火を点ける。
「向き合うことを相手が拒んでいると勝手に解釈してそうしない」
「……」
聞いているのか、聞いていないのかわからないほどに、仁は表情を作らなかった。
「友達なんて無理じゃないすか? どこまでいっても加害者と被害者なんじゃないんすか?」
「……」
「だったら…… 逃げて逃げて逃げ続ければいいんじゃないすか?」
「……そういうわけにもいかないだろう」
「赦してももらえない謝罪に何の意味があるんすか?」
徐々に仁の表情が強張っていく。
「謝ることに、誠意を見せることに意味があるんだ」
それは自分に言い聞かせる言葉だった。
「だったら妹さんがやったことは渡りに船じゃないんすか? どうして諸手を挙げて賛同しなかったんすか? よくやったって褒めればいいじゃないすか」
「……」
「……」
ジジジと仁が毒を吸う音。弱々しく赤い光を放つタバコ。
「逃げたらどうですか? また冷たい言葉を浴びせられるかもしれないっすよ?」
「あの子は…… 賢い子だ。黒川の時とは違う」
「どうして言い切れるんすか?」
心底バカにしたような嘲笑混じりの声。何ら確証のない空論を振りかざして、一人よがりの悦に入るガキはバカにされて当然かもしれない。
「まあ…… もう後には退けないっすからねえ。腹を割って話してみるのもいいんじゃないすか? 案外優しい言葉が返ってくるかも知れないしねえ。何せ人は本音を話すとは限らないっすから。旦那がいい見本でさあ」
ケタケタと底意地の悪い言葉に、しかし仁は返す言葉を持たなかった。胸がすくような青い空をゆっくりと流れる雲は、人が望むと望まざると時は流れるということを、戒めるためにそうしているのかもしれない。
「明後日か……」