第四章 第百三十一話:楽勝
「あのバカまんまと気付いてなかったね?」
奈々華が仁を見送った後の彼らの部屋、それまで布団の中で狸寝入り、もとい静観を決め込んでいたシャルロットがのそのそと顔を出す。梯子を使わずに一気に床のカーペットの上に飛び降り、見事に着地する。
「うん。そんな気はした」
人間達の流行などには疎い、精霊のシャルロットでさえ知っていた願掛け。そういった分野に関して、仁はその精霊以下のアンテナしか持っていないということになる。街でそういったアクセサリーを身につけている人間は何度か見ている筈だが、せいぜい、流行っているんだろうな程度にしか認識していなかったのだろう。
「徹夜したかいがあったよ」
「そうだねえ。仁の居ぬ間にせっせとね」
ここ数日、仁が夜勤に出かけた後、奈々華はチクチクとミサンガを編んでいたわけだった。シャルロットはソファーに座る奈々華の膝の上に座る。今ではもう彼女にとってそこは一番のお気に入りの場所となっている。
「アレを持たせておけば牽制にはなるからね」
ふふと不敵に笑う奈々華。夜なべの原動力はつまりそれだった。坂城は完全に黒、ミルフィリアもグレーに近いのだから、対策は急務だった。
「でも遅かれ早かれ、仁は気づくんじゃないかい?」
シャルロットはよく知らないが、人間の中には他人の恋愛事情を突いて楽しむ輩もいるということぐらいはわかっていた。
「大丈夫だよ。説得すれば、お兄ちゃんは単じゅ…… 優しいから納得してくれるよ」
コクンと一つ、自信たっぷりに頷く。仁の扱いは、妹の奈々華が一番よく心得ている。
そうかい、と気のない返事を返して、ちらりと冷蔵庫を見たシャルロット。生憎彼女は他人の恋の話を聞いてもお腹一杯にはならない。奈々華もそこらへんはよく分かっていて、何も言わず台所へ向かう。シャルロットは生意気にも、仁と奈々華と同じものを食べる。勿論、猫に食べさせると具合の悪いものは抜いているのだが、それすらも自分は猫ではないと言い張る彼女にとっては面白い話ではないらしい。冷蔵庫から取り出した魚の切り身を皿に乗せて、奈々華が帰ってくる。
夜が明けて、朝の八時近くになってようやく仁が帰ってくる。奈々華は六時半に起きて、朝食も身支度もばっちり。いつもは疲れた様子もなく、帰宅の挨拶をする仁であったが、今日は少し様子が違った。憮然とした表情で、ドアを開けると、つかつかと奈々華の傍まで歩み寄る。
「くおら。クソジャリ。てめえのせいでとんだ恥かいたじゃねえか」
「何のこと?」
仁は右手に嵌めたミサンガを取り、左手でひらひらと振ってみせる。
「これだよ! 何考えてんだ? これ縁結びらしいじゃねえか」
「うん」
「うんじゃねえよ。俺の無事を祈願しろよ」
そう言って見下ろされても、奈々華はけろっとしている。仁が本気で怒っているのかそうじゃないかくらいはわかる。そして、なめているわけではないのだが、仁が少々のことでは怒らないことも知っている。
「確かに、巷ではそういう風に思ってつけてるみたいだけど、私とお兄ちゃんの無事を願って作ったのなら、何も問題はないでしょう?」
朗らかに笑う。
「そういう問題か?」
「そういう問題だよ。皆がそうしてるからって、私たちまでそういう意図を込めて持つ必要はないでしょう?」
「いやいや。でもご利益違いっていうか……」
「え? お兄ちゃんってそんなに信心深かったっけ?」
「いや…… そういうわけじゃないけど」
そもそも仁はお守りのご利益を信じて受け取ったわけでもなく、奈々華の気持ちに感謝してこそだったわけだから、それが本来どのようなご利益があると流布されている代物だろうが、関係はない。
「じゃあ…… つけてくれない?」
奈々華の表情が急に曇る。泣き出しそうで、消え入りそうで。仁は面白いように騙されて、律儀に慌てる。
「つける、つけるから…… 奈々華がせっかく作ってくれたんだし、お前の言うとおり、他人は他人だもんな」
有言実行、また右手にお守りを嵌める。何だかんだ言っても、仁はこの四つ離れた妹には滅法弱い。それは昔から、隔絶を経た今でも変わらない。
話し声に目を覚ましたシャルロットは、一部始終を見届け、ベッドから降りてくる。朝の散歩を日課とする彼女は、部屋の戸へ向かう。仁が開け放ったままだった。
「アンタ…… もう少し自分というものを持ったほうがいいよ」
すれ違いざまにかけられた言葉は、妹思いとは両立出来ない内容だった。