第四章 第百三十話:オヤジたちの沈黙
帰りの車内では、終始広畠はご機嫌だった。仁を言葉の限り褒めちぎり、褒められた本人より悦に入っていた。腰に懸念材料をぶら下げたままの仁は複雑な表情で社交辞令を返していた。
「死体はあのままで良いんですか?」
車に乗り込む前、どこかに携帯で連絡をしていたのを見ているので、何となく別働の部隊が片付けるのではないかと予想はしていた。だから、単に褒められすぎて悪くなった居心地をなおすために、適当に紡いだ言葉だった。
「ああ…… アレはウチじゃない。研究所のお偉いさん方に献上しなきゃいけねえから」
仁の予想通りの答え。別の部門だとまでは考え付かなかったが。
「……」
「……」
広畠もまた仁を褒め殺していたのは、仁の主属性を悟り、彼なりに気を回していたためらしい。それをまた仁も感じ取った。車内に微妙な空気が流れる。黙りこくっていても仕方ないので、意を決して口を開きかけた仁は、しかし先を越された。
「君がそうだったんだな」
「え?」
「黒の魔術師が学園に入ったってのは噂には聞いていたんだ。フロイラインの幹部相手に快進撃を続けてるってのもな」
そこまで知っているのなら、仁から言うことは何もない。隠していなかったと言えば嘘になろうか。
「ウチは実力主義だ。職員が何色でも構わんよ…… 精霊を退治できる実力があれば何も文句はねえさ。それ以上もそれ以下も求めちゃいねえ」
淡々とした口調には、何の感情も窺えなかった。新人をいたわる優しい上司の顔はなかった。人によっては部下を駒のように見る言い草は、冷淡と感じるかも知れない。しかし仁はそれでよかった。下手な偽善よりは嘘のない合理主義のほうが心地良い。
「改めて宜しく頼むよ」
「はい」
そろそろ太陽が昇るころ、助手席の窓からは明るみ始めた空が、薄紫の夜を押し退けていた。
仁は少し心臓に悪い思いをしたので、ダウンの上着を脱ぎ、インナーのシャツの袖を捲くった。運転席からソレを見つけた広畠は、またからかうネタが出来たわけで早速食いつく。
「いいもんしてるじゃねえか」
広畠の視線は、仁の右の手首、白とピンクのミサンガの上で止まっていた。何とも言えない表情で仁はアゴの無精ひげを触りながら、いえまあと歯切れ悪く。
「可愛いのか?」
「はい?」
「それをくれたお嬢さんだよ」
仁は驚く。どうして女性だと限定出来るのか。少し間が空いて、質問の答えをしようとしてまた言葉に詰まる。確かに奈々華の容姿は、兄に似ず、可愛いと形容しても差し支えないほど端整だ。だが身内としては謙遜が良いのか、と。
「妹がくれたんですよ」
結局仁は正直に答えることにした。先程のやり取りではないが、腹を割ってしまった方が上手くいくこともある。
「……」
広畠は怪訝な表情。前方不注意と取られてもおかしくない頻度で仁の顔を窺う。
「妹さんはまだ小さいのか?」
「いえ? 十七ですけど」
そろそろ仁も広畠の態度から、自分がしているものは、兄弟姉妹から贈られるようなものではないのだと勘付くが、一体どういうものなのか見当がつかない。奈々華は仁の無事を願って作ってくれたのだろうから、ますます彼には心当たりがない。
「……どうしたんですか?」
「……ええっと、その」
珍しく広畠の言葉に精細がない。
「もしかして妹から貰うのはおかしいものなんですか?」
「知らないのか? そうか…… おかしくなくはないような気もしないでもない…… かもしれない」
否定なのか肯定なのか。煮え切らない広畠を仁は目に力を込めて見つめる。藪を突いてしまった広畠は一度軽く目を瞑り、観念した様子。
「まあその、それは…… 縁結びというか、恋人同士がつけるもんだ」
「え?」
「お揃いで」
「え?」
確かに奈々華は自分の分も持っていた。
「男が右手、女が左手だったかな。若者の間で流行ってるらしいから、俺も詳しくは知らんのだが……」
「……え?」
「……」
車内に沈黙。往路とは違った種類の、払拭の方法すら見つからない沈黙。