第一章 第十三話:人非人
坂城も木室も他の教職員も、皆その場から動けずにいた。全員の視線はある一点に集結していた。
城山仁。彼等が全員で死力を尽くして、追い払うだけで手一杯だった古代竜・赤。それをたった一人で、十分とかからずに倒してしまったのだから無理もない。全員が言葉もなく、その功労者を見つめていた。
仁は髪から滴る竜の返り血を鬱陶しそうに、手の甲で拭った。仁の風貌は今すぐ大きな駅の前でパフォーマンスでも出来そうなくらい真っ赤に染められていた。シャツも、ズボンも顔でさえも、全身隈なく返り血を浴びている。手で前髪を後ろに流しながら、仁は校舎のほうへとゆっくり歩を進める。
「主よ…… 見事な戦いぶりであったぞ」
軽く血振るいしただけで鞘に収められた村雲が、感慨深げに言った。
「……んなことより、早く風呂に入りてえよ。ちょっと遊んで帰って来たらこれだもんなあ」
何度拭っても顔に垂れてくる血を乱暴に拭いながら、仁は歩を早める。段々と教職員達が固まっている内門に近づいていく。職員達は大名行列でも通すように、左右に散った。
仁は敢えて、誰とも目を合わせなかった。自分に向けられるこの視線がどう言った類のものか十分すぎるほどわかっていた。仁は軽く教職員達に会釈をして、その間を通って校舎の中に消えた。
「化け物……」
誰かが言った言葉は、竜の死骸と、ちょっとした池のような血溜りの広がる中庭を見つめるだけの坂城の耳に届くことはなかった。
「お兄ちゃん!!」
奈々華が、自室のドアをけたたましい音と共に押し開けた。
シャワーを浴びてすっかり肌色を取り戻して、一服していた仁は驚いてソファーから飛び起きた。
「うわ! どうした!?」
「どうしたじゃないよ! どこか怪我してない?」
奈々華の目が赤い。声も少し涙ぐんでいた。仁の傍に駆け寄ると、体を隅々まで見回す。
「大丈夫だよ…… あんなトカゲにやられようもねえ」
鷹揚に答えた瞬間、奈々華が仁に抱きついた。しがみつくように、しっかりと仁の背で両手を組む。
ぎゅうぎゅうと鯖折寸前まで、仁の体を締め上げる。
「よかった…… よかった」
仁は奈々華の頭に手を伸ばしかけて…… その手を所在無く宙に泳がせた。
「……」
「私、何も出来なくて……」
奈々華の悔恨は、三年前とオーバーラップしていた。ぐすぐすと泣きじゃくる奈々華を仁はただぼんやりと、他人事のように見つめる。
「お兄ちゃんが怪我しちゃったら…… 危ない目に遭うのは……」
嗚咽が混じり、聞き取りにくい奈々華の霞むような声に、仁は眉を寄せて苦しそうな表情を作った。
「心配要らないよ…… 大丈夫」
そんな言葉しか仁の口からは出てこなかった。それに憤りを感じている風でもなかった。
「次も大丈夫なんて保証はないよ……」
「……まあ、大丈夫さ」
淡々とした口調。大丈夫の一点張り。奈々華の力強い抱擁に、仁が耐え切れず、そこから抜け出すように身動ぎした。わずかな間。
「……ごめん、痛いよね」
奈々華はゆっくりと、仁の体を離した。