第四章 第百二十六話:怒りのガム
大通りから少し外れたところに、中規模のレンタルビデオショップがある。電飾の一部分が誰かの悪戯で割られていて、来る度に仁はいつ直すのだろうと気になっている。自動ドアをくぐると、左手にカウンターがあり、正面にはCDやDVDを陳列した棚がずらりと並んでいる。中谷の駅前にはかなり巨大な同業が看板を出しているが、慎ましく営業するこの店を兄妹は利用していた。
「俺向こう行ってるよ」
入り口から一番遠い棚、その奥にパチンコ台やクレーンゲームが置かれたゲームコーナーがある。奈々華の返事も待たずに、仁はそちらへと吸い込まれる。手近にある台に座って百円玉を投入、ハンドルを握って玉を弾き始める。遅れてやってきた奈々華が隣の台の丸椅子に座る。
「探してきなよ? 俺は待ってるから」
ガチャガチャと玉を弾く音は、実際のパチンコ店では聞ける機会はあまりなかったりする。奈々華がぼそぼそと何事か喋る。いくらパチンコ店にくらべれば雑音が少ないと言っても、他のゲーム機も稼動しているのだから、仁は聞き取れない。もう一度言ってくれと顔で合図。
「一緒に行こう……」
今度は聞き取れたらしい。だが乗り気とは言いがたい顔で、俯いた妹を見る。
「子供じゃないんだから」
気に入った映画なりドラマなり勝手に借りればいい。第一部屋で今までさんざ一緒に居たのに、まだ自分と一緒に居たいと言う。仁にはそれが理解しきれない。勿論懐かれるのは嬉しいことなのだが、少し度が過ぎる。
言葉に詰まっている間に、仁の右手が感触の変化を覚える。百円で買った玉がなくなったのだ。筐体の上に設置されたデータ機、回転数や大当り回数などを表示する、を見ると8回転しかしていない。改めて仁がガラスの向こうの冷たい金属の群れを見つめる。へそ釘とワープ釘はプラス調整だが、寄釘と風車はいかんともしがたい方向に曲がっている。これではステージからの入賞に依存するばかり。
「いやいや…… 遊ばせろ」
仁は噛んでいたガムを口から取り出すと、下皿に擦りつけ始めた。
「ちょっと! お兄ちゃん」
奈々華が慌てて兄の犯罪行為を止めにかかる。仁の逞しい右手を、奈々華の華奢な両手が引っ張るが、びくともしない。結局、皿の底に満遍なくガムの膜を貼り付けたところでやっと満足して手を離した。
「何てこと……」
「これはガムじゃない。素人が釘をいじるなという切なるメッセージだ」
「ガムでしょうが! 何を訳の分からないことを言ってるの!」
大声で叱るものだから、客の数人が何事かと視線を投げかけてくる。周囲の様子に気付いた奈々華はトーンダウンし、兄を引っ張って違う通路へそそくさと退散した。
「回らない台なんてホールだけで十分なんだよ」
なおも続く仁の身勝手な言い分を無視し、奈々華は棚を物色する。既にアクション映画、コメディー映画が数本カゴに放り込まれているが、奈々華の目は忙しなく棚を行き来する。時折パッケージを手に取って粗筋なんかを読んでいる。
「なあ、まだ借りるのか?」
仁はあまり映画やドラマに興味がなく、法事に連れてこられた子供のように退屈な顔。
「うん。だって暇でしょ?」
それを言われれば返す言葉もないのだが、恐らくは仁と一緒に観ようと借りているのだから、そうなると何時間か拘束されることとなる。
「なんか恋人みたいだな」
その行動と言い、束縛と言い、確かに、不精な男が几帳面な女に振り回される図そのもの。仁の皮肉はしかし、奈々華にそのままの意図では伝わらない。彼女は手に持っていたDVDケースを取り落とし、派手な音を立てて床の上を滑らせた。二人に背を向けて店内を徘徊していた少年が、びくりと体を跳ねさせてから振り返る。その少年にぺこりと軽く頭を下げてから、仁は床の上の薄汚れたケースを拾い上げた。
「何やってんだよ……」
自然と目に入ったDVDの中身は、かなり濃い恋愛映画だった。