第四章 第百二十五話:構ってちゃん
第四章:束の間の充足と緑の覚悟
「ページめくるの早い」
隣で寝そべる奈々華から兄へのお叱り。クッションを下敷きに、腹ばいになって漫画を読んでいた仁の隣には、いつの間にか彼の妹が居た。四辺あるコタツの一辺を二人で分け合っているのだからとても狭い。肩を触れ合わせて身を寄せるのは寒さのためではない。
「……なんで俺が読んでるのを覗いてるんだ?」
「……別にいいじゃん」
そう言われると特に嫌がる理由もない仁は黙り込む。鼻から溜息を漏らして、仁はページを逆に捲った。
「暇だな」
仁の言葉はここ数日の倦怠を指していた。学園が冬休みに突入して、仁と奈々華は途端にやることがなくなった。年明けに学期末試験を控えているものの、それに備えて勉学に励むような殊勝な心がけが仁にあるはずもなく、だらだらと毎日を過ごしているのだった。自分だけ進級しても意味のない奈々華も然り。
「お兄ちゃん早いってば」
再びページを捲った仁に、少し苛立った奈々華の声。仁は漫画を置いてすくりと立ち上がる。
「……俺はもう一度読んでるから」
漫画を奈々華に譲って、仁はソファーに腰掛けてテレビの電源をつけた。
白の幹部、エリシア・ロックハインを討った後、学園には再び平穏が訪れていた。
緑の幹部については現在もその行方を探っているが、進捗はないようで、国内に未だいるのか、もう日本にはいないのか、それすらもわかっていない。気配を探る能力に秀でた緑の魔術師は、逆もまた当然にこなす。隠密行動のスペシャリストと言ってもいい。学園側も社を筆頭とした優秀な魔術師がことに当たっているのだが、役者が不足しているというのが実情。坂城が彼女の捜索を断念するのも時間の問題だろう。
フロイライン側も残る手札は二枚、黒の魔術師はいないのだからそうなる、次の戦いは苛烈を極めるだろう。尻に火のついた最悪の犯罪組織がどんな手を使ってくるか見当もつかない。どの道先手を打てない仁に出来ることは今の平和を謳歌することだけだった。
大人しくコタツに入って漫画を読んでいた奈々華だったが、三十分もすると退屈そうな目を仁に向け始める。構って欲しいという意図を込めた視線をチラチラ。仁はブラウン管の向こう、サイケデリックな衣装と化粧のビジュアルバンドが英語混じりの歌詞を熱唱する様を漫然と見つめたきりだった。
「ねえ、それ面白い?」
立ち上がった奈々華は、仁の隣に座る。ソファーが奈々華の重みで、ぎしりと小さな音を立てた。
「ううん。気持ち悪い」
苦笑い。仁もただチャンネルを回すうちに、歌番組を見つけて観ていただけだった。世界が違っても、人の営みに音楽は欠かせない。だけれど、このバンドは彼の趣味ではないらしい。
「そうだね」
奈々華も仁の横顔から、テレビの画面に目を向ける。そしてすぐさま、兄の顔真似と言うわけでもないだろうが、苦笑い。彼女もまたユニセックスな歌い手に好印象を抱くには至らなかった。
「……チャンネル変えてもいい?」
ああと唸るような仁の承諾。くるくると目まぐるしく、画面が切り替わっていく。止まったのはニュース番組。暗い画面の中、黒く煤けた建物が映し出されている。放火現場からの中継らしい。しばらく二人は対岸の火事をぼんやりと見つめていた。
「こうしてるとさ……」
奈々華がポツリと声を出す。
「世界中に私達しかいないみたいだよね」
六畳一間の一室に二人きり。全寮制の学園の生徒達は、休暇を利用してそれぞれの実家に帰っている者が大半。いつもは廊下から話し声が聞こえたりするものだが、今は水を打ったように静まり返っていて、部屋の中にある音源は、テレビと二人の会話だけだった。
「うん、まあ、俺達が部屋から出ないからだよね。完全に」
寒さも手伝って、仁の出不精に一層磨きがかかっているわけだった。
「むう…… デリカシーがないなあ」
「デリカシー?」
「もういいや。じゃあさ、DVD借りに行こう?」
誘うような口調だが、決定事項らしい。ソファーから勢いよく立ち上がった奈々華は早速、数着の上着を手に取り、見比べる。その後ろ姿を眺めながら、再び妹に振り回される生活が戻ってきたことを実感している仁。ポリポリと首の後ろを掻きながら、しかしその顔は優しく緩んでいた。