第三章 第百十五話:剣が峰
エリシアと名乗った少女の背後から彼女の精霊が姿を現す。ホワイトタイガー。仁が知る動物ではソレが一番近い。しかしそれとの相違点は数点。一つは黒のラインのない純然たる白い体色。もう一点。恐ろしく尖った格子のような牙が口に納まりきらずに、凶暴な光を放りながら顎の辺りまで伸びている。ホワイトタイガーでありサーベルタイガー。四本足もそれぞれしなやかな筋肉を付け、虎の巨大な顔には爛々と輝く金色の瞳が二つ。
「随分獰猛そうなペットだな、おい?」
巨大な肉食動物を前にしても怯えるどころか、気安く軽口を叩くのが仁らしい。
「ああ、可愛がってんだ。エサを前にしても大人しいもんだろう?」
少女が虎の頭を撫でながら応酬する。相変わらず自身の精霊に劣らない獰猛な笑みを浮かべたまま。
「さてと…… 死んでもらおうか」
少女の身体が白いぼんやりとした光に包まれると同時に、檻の入り口が開いたとでも言わんばかりの勢いで、虎が仁目掛けて駆けた。
いくつか仁にはわかったことがある。幾度となく虎の突進をかわし、少女が放つ白の魔法を避け、虎の牙を刀で押し返す合間、洞察を巡らせた末のことだった。まず一つは虎の攻撃が極めて単調であること。突進して距離を詰め、牙を振り回す。時折片足を上げて爪で引っ掻くような動作も見せるが、あまりにも鈍重なために容易にかわされるとわかると、ほとんどの攻撃を先の二つに切り替えた。次に、少女の攻撃も、どうやら直線に光を放つ魔法に尽きるということ。それもそのはず、曲線的な動きでは自身の精霊に対しても危険である。あまり賢いとは言えないこの虎は、向こう見ずに向かってきて攻撃を重ねるだけ。そして主の攻撃の際は猛攻が一瞬淀み、僅かに後退する。それが主人の攻撃の合図を相手にも伝えているとわからずに。以上のようなことから、回避は簡単だということが言える。ここからは悪い発見。虎は愚直ではあるが同時に、簡単には反撃出来ないこと。人にはない無尽の体力と膂力を武器に、俊敏で鋭利な攻撃を繰り返す。仁だからこそそれら全てをいなし続けているが、常人ならとっくにその牙に倒れているだろう。それがかげる瞬間も、今度は一撃でも食らえば致命傷になるような強烈な白の光線が飛んで来るのだから、迂闊に距離を縮めるわけにもいかない。近距離攻撃の精霊と、遠距離攻撃の本人。死角のない完璧な攻撃布陣と言っていい。仁も容易には破れず、少女も容易には仕留められない。
戦いは膠着状態に陥っていた。
「クソ! ちょこまかと」
少女もまた余裕をなくしていた。一件優勢に見えるが、攻撃は悉く仁に当たらない。頼みの綱、精霊もまたその牙も体当たりも空を切る、受け止められるに終わる。仁は油断なく少女の姿を流し目に捉えていた。顔には大量の汗が滲み、肩で息をしている。そう、実は劣勢は少女。仁は消耗戦に持ち込むことに成功していた。そして消耗戦なら、精霊を操りながら詠唱を繰り返す少女と、最小限の動きで回避に努める仁のどちらが有利かは火を見るより明らかだ。
少女の顔が今一度、挑発的に歪む。
「なるほど、他の幹部も手こずるわけだ」
虎が俊敏な動きで少女の下へ帰る。仁は瞬間、空気が変わるのを感じた。何も知らない人間には神々しくさえ見えるだろう。少女の身体がまばゆいばかりに光っている。輪郭すら曖昧になるほどの光。虎がまぶしそうに目を細めているのが見えた。
仁の体が傾ぐ。片膝を地面につき、その場にしゃがみこむ。
「……力が、抜ける?」
仁の顔までも今や真っ白に照らされている。少女が光の中で一際妖艶に笑った気がする。
「圧倒的な光の前では、闇の力もそうそう跳梁を赦されはしない」
次の瞬間、少女の手から、視力を失いそうなほどの光が別れ始める。マズイと本能が警鐘を鳴らしても、その煌々とした光は、闇を束縛して離さない。
仁は背後でベランダのガラスが割れる音を聞いた。