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第三章 第百十一話:石の壁

奈々華は布団を目深にかぶり、壁を見つめていた。石を積み重ねたような外貌は本当に材質が違うものとは思えない。試しに手を出して触ってみる。ゴツゴツとした冷たい感触。それでいてどこか懐かしい。

「……お兄ちゃんみたい」

奈々華は正しく仁の真意を読み取っていた。自分を傷つけまいとした嘘。いや、嘘というのは正確ではない。確かに足手まといではあるのだろう。実戦経験のない自分が戦地に赴くというのは、即ち仁の危険も増すことに繋がり得る。

「でも…… あんな言い方って」

頭ごなし。自分の心配すらも頑として聞き入れない。今回は違うのだ。自分でも役に立つことが出来るかもしれないのだ。小さな溜息は、誰に聞かれることもなくその岩肌に吸い込まれるよう。シャルロットも決まりが悪いのか、アイシアと連れ立って散歩に出ている。刀たちも仁の外出に伴っていつの間にか姿を消していた。一人きりの部屋。奈々華は知らず、三年前のことを思い出していた。



奈々華には中学時代、親友と呼べる人間がいた。倉橋絵美里くらはしえみり

帰宅部だった奈々華と、陸上部だった彼女とは、何故か馬が合い、入学初日に意気投合し、それ以来よくつるむようになっていた。彼女は奈々華を帰宅部ではなく、お兄ちゃん部と揶揄していた。帰りに迎えに来る兄と下校し、兄の身の周りの世話をするために放課後を使っていたのを知っていたからだ。彼女の部活が休みの日には、時折仁も交えて、放課後にどこかに遊びに行くことも少なくなかった。彼女は口には出さなかったが、奈々華が仁に肉親以外の愛情を持っているのを知っていたのだと思う。それを誰かに言うでもなく、仁の話題をタブーとして扱うでもなく、極自然に接してくれた。奈々華は彼女が大好きだった。心から信頼していた。


仁が人を殺めた。噂はすぐに広がった。当然仁を奈々華の兄だと知っているクラスメイト達はこぞって奈々華を避けるようになった。今まで自分に言い寄ろうとしていた男子も手の平を返すのだから、奈々華は嘲笑を禁じえなかった。遠巻きに噂話をする彼、彼女等から、時折聞こえてくる単語は、「人殺しの妹」。奈々華はただ唇を噛んで耐えていた。耐えられたのは、倉橋が普段と変わらず接してくれたことに尽きた。彼女さえ、親友さえ自分を支えてくれたら。学校での居場所は彼女だけになった。


奈々華はその日、忘れ物をしてしまい、放課後の教室に一人戻った。あまり遅くなると、仁が心配するかも知れない。そのときには抜け殻のようになってしまった仁に、これ以上心労を与えてはならない。今でも引き返すべきだったと思う。忘れ物など明日でもよかっただろうに。いや、知らず過ごしていたならより滑稽だった。これで良かったのかもしれない。

「それで?」

教室の中から誰かの話し声が聞こえる。奈々華ははたと、戸にかけた手を止めた。

「ウン。マジできもい。エミちゃん、エミちゃんって」

奈々華は視界が白くなるのを感じた。動悸が早くなる。クラスメイトの質問に答える声の主は、聞き間違えようのない親友。倉橋絵美里その人だった。

「頭おかしいんじゃないの? 人を殺した兄貴が居るってのに、今までと同じようにしようなんて」

クラスメイトが本当に精神障害者のことを語るように、侮蔑と嫌悪にまみれた言葉を吐く。倉橋は笑った。それが同意以外の何者でもないのは、声の質から容易に推察できた。


奈々華はそこで教室の前を後にした。帰るとき、チラと振り返った擦りガラスの窓の向こうでは、倉橋が愉しそうに笑っている顔が見えた。もう振り返ることもなく、怪物にでも出くわしたように、階段まで全速力で駆けた。脳内では掻き消えない笑顔が延々と再生されていた。

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