第三章 第百六話:職場
外国人は、ヒメネスと名乗った。ファミリーネームかファーストネームかも仁はわかりかねたが、彼の性格からもファーストネームを言ったのだろうと判断していた。ヒメネスは本当に人懐っこかった。曰く。
「私が一番下っ端。ジュニアーが出来るの嬉しい」
ということらしい。ジュニアーというのは後輩という意味で使っているのだろうか。とにかくよく喋る。
「日本人ミナ優しい。ここで働けてよかった」
にこにこ笑う。
「仕事キツイけど、すぐ慣れるよ。絶対」
時折仁を気遣うようなことも言った。仁はそれら全てに、「うん」とか「そうだね」と相槌を打ってやった。仕事上は先輩にあたるのだが、どうにも敬語を使う気になれなかった。またそれを彼自身、少なくとも嫌がるような素振りは見受けられない、望んでいるような気がした。
「ねえ、本社に向かってるの?」
一文一文ぶつ切りのように繰り出されるヒメネスの話の隙間を縫うように質問した。まだどこへ行くのかも聞いていない。一応役所仕事に近いのであれば、キチンと本社に行くのか、直接勤務地に行くのか。組織の全体図も、体質も分からない仁は取り敢えずそう聞いたのだが。
「ほんしゃ?」
「ええっと、会社のこと」
そう言い直すと、またにこっと笑った。
「そう、会社だよ」
その会社がお偉いさんがいるところなのか、現場の各所の一つなのか、結局わからずじまい。ヒメネスはそれから祖国のだという歌を歌い始めた。
車は小一時間ほどかけて、西中谷の外れに停まった。途中オフィス街を抜けたことも考えると、本社ではなく、直接の勤務先につれて来られたようだった。辺りは工場が立ち並ぶ。アクリルの屋根を貼っただけのようなものや、本格的に作られた煙突付きの建物。頑丈な鉄の倉庫などもちらほら。皆西日を受けてオレンジ色に染まっていた。勤務地は小さなプレハブで建てられた、事務所とも言いがたい簡素な作りだった。壁を叩くとしなるのか、拳がめり込むのか。少なくとも仁の拳を弾き返すような頑強さは窺えない。二階建てで、敷地内には軽トラックがいくつも並んでいる。駐車場というよりかは空き地。トラックの腹の下には雑草が茂っていた。工事現場の仮設事務所を思った。
「ヒメネス……さん。ここで合ってるの?」
思わず聞いた。カンカンと骨組みも見える粗末な階段を先に上がるヒメネスはくるりと仁を振り返った。
「合ってるよ。絶対」
絶対という言葉が気に入っているらしく、道中の会話でも何度か聞いた。
二階の建てつけの悪い引き戸を開けると、中で中年のおじさんたちがタバコを吸ったり、飲み物を飲んだりしてくつろいでいた。その数、三人。これまた安っぽい折り畳みのテーブルと椅子に座っている。
「おう、ヒメ。連れて来たか」
歳相応、ではなく、歳の割りにスリムな体型をした一人が椅子から立ち上がって、仁を見た。よく見ると皆そういう体型をしている。腹の出た者は一人もいない。立ち振る舞いも何かしらの武道を嗜んでいるとわかる凛としたものだった。仁は三人に向かって深々と頭を下げる。
「中谷精霊魔術学園から派遣されました。城山仁と申します」
「おう。そんなに畏まらんでもええぞ?」
残りの二人のうちどちらかが、仁の後頭部に声をかけた。方言混じりのそれは野次のようでもあり、気遣っているようでもあった。
「俺がここの最高責任者だ。広畠勝一って言う」
最初に立った一人が、すっと手を差し出してくる。仁はそれを受け取って握手した。数秒の後、手を離した男が、懐にその手を放り込む。
「名刺は…… まあ、いっか」
恐らく名刺など持たないであろう、学生の仁を気遣ったのだろう。
「よろしくな、城山くん」
仁は既にこのときには少し緊張を解いていた。