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第三章 第百三話:労働の勧め

仁はそれから部屋に着くまでの間、近藤の遺産を明け渡そうと思っていること、遺体はとある機関にあり、しばらくすれば戻ってくること、当然にそれも引き渡す用意があることを祐に話した。役所の人間のように、ひどく事務的な語り口調になっていた。祐はそれを聞いているのか、聞いていないのかわからない、感情の抜け落ちた顔で前を向いたままだった。

祐の部屋は仁たちの部屋からそう離れていなかった。階段に近い側から、小等部、中等部、高等部の学生が居を構える、その中等部の一番奥側、高等部との境に位置した。部屋の前まで着いた頃には、祐は涙を止めていた。

「ねえ、お金のことなんだけどさ」

「ああ」

どうやら聞いていたらしい。

「実は父さんは僕に十分な額を遺していてくれたんだ」

よく考えれば、あの近藤が息子に何の貯えも遺さないまま一人にするはずもなかった。

「……じゃあどうして?」

「言っただろう? 父さんの手紙にあったからだって」

彼には仁と関わりあわないという選択肢もあったはずだ。それをさせなかったのが、近藤の遺志。賢い祐は忠実に父の最後の言いつけを聞き入れた。つまり仁の質問は愚問中の愚問ということ。

「アンタには懸賞金で払えみたいなこと言ったけどさ、僕もあれから考えたんだ」

祐は真剣な顔を作った。

「アンタには、働いて僕の養育費を出してもらいたいんだ」

その目に強制力があった。しばらくその目を逃げずに正面から捉えていた仁は、数瞬の後、神妙に頷いた。

「……わかった」

仁の承諾を聞くと、祐も一つ頷いた。

「まあ、これから…… 仲良くは出来ないだろうけど、よろしく」

それだけを言い残して、部屋の中へと消えていった。



奈々華は既に部屋の中で待機していた。戻ってきた仁の姿を見ると、すぐさま寄ってくる。膝の上に乗っていたシャルロットが転げ落ちて、床の上で腹を見せた。

「お兄ちゃん」

「ただいま」

いつもどおり。

「苛められなかった? 嫌なこと言われなかった?」

茶化すような言葉を選ぶのは、気遣いだった。外套を手渡して、仁は苦笑した。

「大丈夫だよ」

しばらく兄の顔を見つめていた奈々華は、その言葉に裏がないかどうか判断していた。

「坂城とミリーは?」

「……」

「奈々華?」

「あ、うん。授業と仕事に戻ってったよ」

奈々華は一瞬暗い表情をしたが、すぐにいつもどおり明るい声で答えた。


「俺、働くよ」

奈々華はそれを聞いて、宇宙人にでも出くわしたような顔をしている。危うくコタツのコードに足を引っ掛けて、お盆に乗せた湯飲みをひっくり返しそうになった。

「ど、どうしたの? やっぱり何かされたんじゃないの?」

「……おいおい」

「だって変だよ。今まで働こうとしなかったじゃない!」

湯飲みを置いた奈々華は血相を変えて仁の隣に座る。

「いくらパチンコで負けても、競馬で負けても、絶対に働かなかったじゃない!」

「……そうだけどもさ」

「すぐに学園長さんにお金を貰いに行って…… 働くのをあんなに嫌がってたのに」

本当に心配げな表情をしている。

「今までだってそうしてきたでしょう? タバコが買えなくなるくらいになってようやく短期のアルバイトを探したり、最悪生活費から取ろうとしたりして」

兄妹は毎月、父親の仕送りから生活費を差し引き、その残りを小遣いとして二人で分け合って暮らしていたのだが、仁はそういう盗っ人紛いのことも前科としてやっていた。つまりぐうの音も出ないほどにその通りではあったのだが、仁は何とか奈々華を落ち着かせる。

「俺だって働きたいわけじゃないんだが……」

奈々華に祐の意思を伝えた。

「囚人が労働させられるのはさ。きっと自分の身で働いて何かを得るってことの素晴らしさを再確認させるためなんだよ」

「……そうだけど」

「だから働くってことは大事なんだよ」

「……」

まさか兄の口から、そんな言葉を聞く日が来るとは思ってもみなかった奈々華は言葉を失っていた。

「祐君もそういうことを考えているんじゃないかな」

恐らくはそう、仁に罪の重みを常に忘れないようにという意図が含まれているのだろう。純粋に仁を苦しめたいなら、もっとやりようがある。仁と奈々華は街へ求人雑誌を取りに行くことにした。

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