第三章 第百二話:詮無き哀悼
一週間はすぐに過ぎた。仁は断頭台に登る罪人そのままの心境で祐を迎えに中庭に出ていた。事情を知る坂城、ミルフィリアも、授業の都合をつけて立ち会った。奈々華が隣から不安げな顔で兄を見つめている。
近藤祐は、緑魔術に対して非凡な才能を持っており、いとも簡単に編入試験を突破してしまった。彼は一般の中学校に通っていたらしいが、それでも魔術の研鑽を怠らなかったようだ。近藤の言いつけなのかな、と根拠もなく仁は推測していた。
祐は黒い綿のパンツに、同じく黒のジャケットを合わせ、黒い革靴を履いていた。統一された服装は、彼のルックスと相まって非常に映えた。しかし仁の目には死刑執行人。一歩近づいてくるたびに、緊張の色は濃くなっていく。遂に仁たちが並ぶ中門の前まで祐は辿り着いた。
「こんにちは」
奈々華が声をかけた。明るく、友達に話しかけるように。祐も短く挨拶を返す。同年代の可愛らしい少女に声をかけられて、祐は歳相応に恥らっている。その姿に仁は少し気が晴れるような思いだった。
「……その、こんにちは」
思い切ってかけた声は、祐の顔を瞬時に強張らせた。
「よく出迎える気になったね」
嫌味にも聞こえたし、純粋に不思議がっているようにも聞こえた。
「まあいいや。それで僕の部屋まで案内してくれるんだろう?」
小さく笑んだ。それは仁に向けられている言葉だった。仁にだけ向けられている言葉だった。ああ、と頷いた仁は隣の奈々華に目を配りたい衝動を何とか抑えた。
「ありがとう。じゃあ行きましょうか」
奈々華も、ミルフィリアも、坂城も、同伴を願い出ようとしたが、祐の目に強い光が宿っているのを見て、口を閉じざるを得なかった。
どうしようもなく重たい空気。廊下を歩く仁は、隣で歩測を合わせてついてくる少年に声をかけられずにいた。仁は顔が見えないように、先導しようと歩を早めたが、それを許さなかった祐によって、今の状態となっている。見慣れた石の壁が、赤い絨毯が、すべからく仁を監視しているような、弱い部分を曝け出す仁の全ての動向を逃さずに見ているような、おかしな感覚に陥っていた。階段はまだなのか、と心の中で呟いた。
「ねえ、父さんの最期はどんなだったの?」
仁はそれが糾弾の言葉だと思った。呼吸が苦しくなるような罪悪感を感じながら、祐を見る。そこには単純に父の最期を看取った人間に、その様子を聞いている息子しかいなかった。仁は洗いざらい話した。禁忌に手を染めてまで勇猛に立ち向かってきたこと。壮絶な覚悟を以って大魔法を放ったこと。最期まで弱さを見せずに息を引き取ったこと。今になって仁は思う。手紙には息子に何もしてやれなかったと述懐してあったが、そんなことはないはずだ。彼はやはりこの少年を養うために生きていたはずだ。それを汲み取っていたからこそ、祐はこんなにも自分を憎んでいるんだと。息子と同年代の少女の手を汚さないようにしていたのだと。話している間も歩き続けていたのに、階段は一向に姿を現さなかった。
「そっか……」
祐はそれだけを呟いた。聞いている間ずっと、彼は前だけを見て、仁と目を合わせなかった。たまらず謝罪の言葉を口にしかけて、仁は自分を殴りつけたい衝動がこみ上げるのをじっと堪えていた。
「父さんはやっぱり父さんだったんだね」
声は涙ぐんでいた。この賢い少年はきっと、父の苦悩を、父の覚悟を、全て悟っている。
「わかってはいるんだけどね」
仁は続きを待ったが、祐は目元を拭うだけだった。喋ることを許されたのだと、ようやく理解した。
「……何を?」
仁は歩く速度を緩めた。祐は立ち止まりそうな速度で歩いていた。
「アンタが悪いわけじゃないんだって」
そうじゃない。悪いのは俺だ。言ってやれればこの少年は憎しみだけに焦がれて、強く生きることが出来るのだろうか。仁にはそれが出来なかった。
「手紙にもあった。アンタを決して憎むなって。彼は当然のことをしたまでだって。たまたま最後の相手が彼だったんだって」
「……俺は」
本当にそうだろうか。もっと違う道があったんじゃないだろうか。近藤をもっと早くに止める術はあったんじゃないのか。もたもたして、本気で止めようとしなかったのが、彼の決死の覚悟に見合う覚悟を決めるのが遅かったから、彼を死に至らしめたのではないのか。腕の一本や二本、失ってでも炎の中に飛び込んでいけば…… 彼と自分と祐と。笑って過ごせたんじゃないのか。
「君を殺したら、今度は君の妹を殺す」
彼は自分の大切なものを、教えてくれた。覚悟を決めさせた。何て賢い人なんだろう。何て優しい人なんだろう。何て強い人なんだろう。
「俺が死ねばよかったんだ」
祐に聞こえないように、小さく、小さく、口の中で呟いた。