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第三章 第百話:奇遇

その晩、仁は突然むくりと起き上がった。起きてみると、彼の体中が熱帯夜のようにじっとりとした汗で湿っていた。半身を起こした状態でしばらくじっとしていると、今度は濡れた体が室温に噛みあわず、小さく身震いする。布団も毛布も押し退けて仁はベッドから出た。

テーブルの上に置いたタバコをそっと掴むと、ドアを開けて静かに部屋から抜け出した。


夢に見るのは久しぶりだった。暗闇の中だった。突然現れた、自分が知る、生前の黒川堅固。それが一瞬で真っ赤に染まり、倒れる。刹那に見たあの目は、死体の目は…… 交錯するは、ミルフィリアの両親。近藤の最期。倒れ伏した黒川の死体を見ていると、不意に彼らの姿が暗闇に浮かび上がった。皆同じように、自分が思い浮かべた通りに、無機質な目を向けている。何も言わず、ただじっと。



携帯の外部ディスプレイには、午前三時半と出ていた。

六ちゃんの店に行くには遅すぎた。麻雀を打つような気分ではない。仁は身の振り方に困っていた。何となしに中庭には出たものの、雲の合間から申し訳なさそうに顔を出す半月が僅かに照らす、薄暗い世界が広がっているだけだった。

「村雲……」

仁の腰には、村雲も静もいなかった。精霊でも眠るのだろうか。仁の呼びかけは虚しく、しんとした空気に飲み込まれていくだけ。街に出よう。足を動かしかけたとき、背後から自分を呼ぶ声に、仁は振り返った。声の主はやや小走りに仁に追いつく。

「こんな夜更けにどうしたんですか? 高坂先生」

「その呼び方はなしです」

母方の祖母がアメリカ人だという少女。フロイラインの元幹部。今はこの学園で教師をしている。主に二年生に青魔法を教えているらしい。仁の隣まで歩きつくと、歩をとめた。

「……眠れないんです」

へえ、と仁はそっけなく。いざ人が現れると、自分が一人でいたいのか、誰かといたいのか、判断がつかなくなるのだから始末におえない。

「何の気なしに校舎をうろうろしていたら、貴方を見つけました」

にこっと笑う。寝起きという顔じゃない。本当に一睡も出来なかったのか、仁と同じように目が覚めてしまったのか。

「深夜徘徊じゃねえか」

「貴方もね」

「それもそうだ」

仁もようやく歯を見せた。

「ねえ…… ドライブに行きませんか?」

ミルフィリアはジャケットのポケットから車のキーを取り出して見せた。


道もすっかり仁の知るものとは違い、恐らくは神奈川まで下っているのだということだけは推測できるぐらいだった。深夜の高速道路は車の通りも少なく、昼間の世界とは様相が大きく異なる。たまに大型のトラックが右車線を恐ろしいスピードで駆け抜けていく。ミルフィリアはのんびりと左車線を百キロに満たない速度で走っていた。

「私は人を一人殺したことがあります」

助手席の仁はチラリと隣を窺ったが、ミルフィリアの視線は前を向いたまま。

「以前貴方に偉そうなことを言いましたが、私もその耐え切れない、心が壊れてしまう一人なんです」

本当に人を殺せる人間は三割程度云々というやつだ。仁はもう何本目かもわからないタバコを取り出した。ミルフィリアは特にタバコを嫌がらなかった。

「一人殺しただけで…… 夢に見るんです」

「……そうか」

「小さな女の子でした」

「……」

紫煙が旋回するように、二人の間にたゆたっていた。

「顔を見られた以上、殺すことが掟です」

何の仕事をしていたのかは分からないが、それは絶対の掟らしい。フロイラインはそうして構成員を闇の中に保っているのだった。

「まだ十歳くらいの子供でした」

苦痛をこらえるように、ミルフィリアの端正な顔が歪んだ。

「水の塊をぶつけました。最後の最後まで少女はきょとんとした顔をしていました。人形みたいに動かなくなりました……」

仁の閉じられた口から、唇の隙間から、声にならない声が出た。彼には容易に想像できた。人の最期を知る彼には、彼女の心情が否応なしに。

「私はフロイラインを逆恨みしました。自分の身勝手なお願いを聞いてもらった代償に加入した組織を」

「……仕方ない」

黙って聞いているつもりが、仁の口からは声が出ていた。彼女に言ったのか、自分に言い聞かせたのか。

「私はどこまでも自分本位なんです。どこまで行っても自分が助かることしか、自分の心を助けることしか考えていないんですよ」

仕方ないんだ。そうしないと……


二人はそれきり何も話さなくなった。

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