もう一度
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入団してから3年が経った。
ピオは、結局研究所のこともアニータの存在も、本当のことが分からなくなった。おかげで、自分がなぜここにいるのかも分からなくなった。
会いたかった。ひめるにも、コウカにも。マコトにも。レンにもアニータにも。また、前みたいな日々が訪れるなら。そこまでで願うのをやめた。
「そうだ。コウカなにしてっかな」
そう呟くと、街へ降りる準備をした。
敷地内から出ることは認められていなかった。
それでも、ここの探索に時間をかけてきた甲斐があり、抜け道を知っていた。東側フェンスに穴が空いているところがある。地面に這えば、出ることができそうだった。
思った通り、問題なく敷地から出ることができた。
久しぶりの街が楽しみだった。一応、変装をしたので、コウカに会ったらすぐに帰ろうと思っていた。
広場に向かう人とすれ違うたびに、顔を隠すように下を向いて歩いた。
「コウカー。いるー?すみませーん」
”ーーガチャ”
「はい」
玄関から出てきたのは、コウカだった。
「よお。久しぶり」
「――え?」
「びっくりしてるだろ。俺だよ。ピオ。元気してたか?」
口を開けたまま、ぼーっとしているコウカにピオは笑った。
「もうすぐ戻るんだけどよ。ちょっと話そうぜ」
「――あの。どちら様でしょうか。」
コウカの表情と、口ぶりでピオはすぐに頭によぎった。
「――忘れちまったのか?――。――全部。全部忘れちまったのか?!」
ピオがあまりに荒ぶる様子に、コウカは怯えた。
「あの。――誰か大人を呼んでもいいですか?」
ピオは納得した。
コウカにとって、レンの存在がそれほどまでに大きかったんだなと、心の中で思った。
研究所に戻ったピオは、喪失感に施設内を歩きまわった。
何もかも失った。そう思いながら、一つのドアの前にたどりついた。
他とは違い複数の認証により厳重にロックされているため、ドアがあかない。
開かずのドアにもたれかかった。
「なぁ。俺、どこで間違ったんかな」
ふと花の香りがして思い出した。街は今日、花祭りだ。
「今はただ、お前と、またみんなと、あそびてぇよ」
ドアからの返事はなかった。
「――なぁ、返事してくれよ」
「遊ぼうよ」
“――ドサッ”
ボロボロになったミントとアコが地面に落とされた。返り血を浴びているモネの背後で、アヤメが倒れたのが見えた。
ピオは思い出した。黒いローブ姿の人物。自分の怒りがこみあげてくるのが分かった。
「――てめぇ」
感情のまま力を使った。制御なんてもう必要ないと思った。自分なんて壊れてもいいと思った。
「前に遊んだ時より、強くなってるねー」
確信に変わった。黒いローブ姿の人物は、モネだった。
力が尽きようとしていた。
まるで歯が立たない。攻撃力に差がありすぎるのは分かっていたが、モネの余裕な素振りは予想以上だった。
視界がかけた。だんだん遠くなる意識は、最後まで諦めなかった。限界は遠に来ていたが、振りかぶって攻撃を放った。
でも、ピオの攻撃はモネに当たることはなかった。
両足が壊れ、立ち上がることもできなくなった。
「お前、アニータが好きだったんだろ?」
アニータを思い出した。俺はアニータに惹かれていた。――なぜこいつが知っている?
「ーー俺もなんだ」
モネはそう耳打ちして、同時にトドメをさそうとした。
しかし、振り絞った最後の力でピオはなんとか避けた。
「――時間切れだ」
そこにはもうモネの姿はなかった。
ピオは眠るように目を閉じた。
***
花や草木で満ちていた。
小鳥は囀り、蝶は優雅に舞った。
心拍数を知らせる機械音が一定の速度で響きわたる。青色信号が点灯する画面には、心電図、血圧、動脈内酸素飽和度、ーー。
幾つものチューブがつながった棺の上で、白猫はあくびをした。
***
“――眠っていたのか?”
机に伏せるようにして眠っていたひめるは目を覚ました。
夢の中でピオの声が聞こえた。
「ゲホッゲホ、ーー」
椅子から倒れるようにして落ちた。
ここ最近か、もう分からない。いつの間にか視力は落ちていて、今はもうまともには見えない。食事をちゃんとすればよかったとか、もっと寝た方がよかったのかとか、後悔は山のようにあった。
視界がぐらついた。熱があるようだ。
この家に来てから、どれくらい時間研究しただろうか。でも結局、研究はうまくいきそうにないな。時間を戻すことはできなかった。
夢の中でピオは「また遊びたい」と言っていたのを思い出していた。
ふと、部屋にある赤いニット帽が目に映った。伸びた髪を後ろで束ねるとニット帽を被り、壁をつたいながら家を出た。
道なりに森を抜けると、立ち入り禁止のチェーンを潜った。外は寒い夜だった。微かに見える懐かしい道をよたよた歩く。
「おっと。ーーすみません」
「大丈夫よ」
行き交う人とぶつかってもぎこちない足取りで進み、ぼやけた視界で懐かしい街の風景を味わった。そして、灯りがともったイブの店に入った。
ぶつかった白髪の少女が振り返ると、白い色のピアスが揺れた。
ひめるを見届けると、腕時計を見つめた。
「ーーまた、だめだった。ーーもう一度。またね。ーーひめる」
胸元の青色のペンダントが月の光で輝いた。
“ーーカランカラン”
「おや。懐かしいお客さんだね」
「あぁ、ウイスキーをひとつ」
「何言ってるの。あなたはまだまだ子供でしょ?ほら。これで十分よ」
イブに出されたのは、ウイスキーと書かれたグラスに入った冷たいりんごジュースだった。
「ははは。こりゃまいったな。なんだか今日は、身体中痛くてね」
「その様子じゃ、もうお爺さんね。あっそうだお爺さん。ーー」
“ーーカランカラン”
店のドアが開く音がした。
「あら、小さなお客さんだね。こんばんは」
イブが声をかけた。振り返ると、視界が歪み目の前がぼやけた。入ってきたのは白髪の小さな子供のようだった。その子供は、嬉しそうに微笑んだ。
時計の針は、20時をまわろうとしていた。
「また抜け出してきちゃったのね。あまりお父さんを困らすんじゃないわよ」
イブは磨き終えたグラスを棚に並べると、飲み物を探しながら奥のキッチンへ入っていった。
体力は限界だった。また、眠りについてしまうと思った。顔が熱かった。頭と視界がぐらぐらしていた。
入ってきた子が、ぼんやりアニータに見えた。
自らの極限状態に、死を悟った。
「ーーあぁ、そうだ」
頬が少し赤く染まったひめるは、何かを思いついたように、その子供に手招きをした。その子供はひめるの近くまで寄った。
ひめるは身につけていた赤いペンダントを首から外し、その子供に見せた。
その子供が握られたペンダントに注目すると、片方の手で握り、両手を体の後ろに隠した。
「じゃあ、ーー」
そのまま体の後ろでペンダントを両手でシャッフルした。
再び、握ったままの両手を体の前に戻すと、その子供の前に見せた。
「さあ、ーーどっちにあると思う?」
その子供は握られたひめるの両手を見つめ、片方を指差した。
ひめるは、指が刺された方の手を広げた。広げた手のひらには、赤いペンダントがあった。
そして、その赤いペンダントをその子供の首にかけ、そっと頭を撫でた。
「大正解だ。身につけておいてくれ。アニータ」
そして、自分が身につけていた赤いペンダントを、白いニット帽の少年にプレゼントした。
同時刻。
荒地の真ん中であくびをするのは、モネ。
その隣にはトールがいた。
プレゼントに喜んだその子供が飛び出した後、店の扉はゆっくりと閉まった。
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最後を読んでくれてありがとう。
でも、今回セーブができなかったようです。
第1話から、もう一度やり直してください。




