ノートと鉛筆
ひめるは、毎日決まった時間に決まった場所に向かう。
「こんにちはー」
ひめるの声に、ピオが店の奥の階段から降りてきた。
「うしっ。今日もやるかー」
「よーし。お願いしまーす」
ひめるは決まった棚から、いつも使う教材セットを取り出し、いつも使うテーブルに広げた。
ひめるは、学校には行っていなかった。
街の子どもたちは、決まった時間に同じ建物に向かい、同じ時間に一緒に帰っていた。それに気がついたのは、ひめるがまだ3歳の時だった。
***
幼いひめるはトールに、自分も街の子どもたちのように学校に行きたいと言った。
「あなたは行かなくていいんです」
トールはそう言って、ひめるの頭を撫でた。しかしその後も、ひめるはそれでもいきたいとトールにお願いした。
そして何日か経ったある日、毎日のように学校のことや街の子どもたちのことについて聞いてきていたひめるに、トールは少し考えた。
「仕方ないですね。では、勉強を教えてくれる人を訪ねてみましょう。ひめるも、いろんなことを知らなければいけませんからね」
後日、トールの知り合いが営む近所の飯屋に二人で訪れることになった。
「すいませーん」
蝉が鳴く、晴天の日。白いニット帽をかぶったトールは、店の裏に湖がある飯屋ののれんを手でかき分け店の中を覗き込んだ。
「はいはい、ごめんよ。ーーって、あれ。店に来るなんて珍しいじゃないか。どうしたさ」
大きめのブランケットで足全体を包むようにかけ、車椅子に乗り、頭にタオルを巻いたおじさん、ーーマコト。トールの足に隠れていたひめるは、マコトと目があった。マコトはひめると目が合うと、一瞬少し驚いた顔をした。しかし、すぐににっこり笑った。
「ご無沙汰です。マコトさん。お元気そうで、何よりです」
「なんだ。まだそんな言葉使ってんのか?つれないやつだなー」
マコトは、手振りで椅子に腰掛けるようトールに伝えた。そして、1番高い棚にあった瓶の中から葉を摘みとり、手に取った1個のコップに入れ、そこに水と氷を入れた。トールは、マコトの仕草に対して軽くお辞儀をすると、ひめるが椅子に座れるよう椅子をひめるの近くに寄せた。ひめるはそれに気づき、寄せてくれた椅子に座ると、その隣の椅子にトールも座った。マコトは、作った飲み物をひめるの前においた。
「――実は、マコトさんにおり言って相談がありまして」
トールは、ひめるが勉学を学びたいということをマコトに話した。マコトは、トールから事情を聞いた後、しばらくひめるを見つめた。
透明だったコップの中は、鮮やかな緑色に変わり、表面の水滴は輝いていた。
「困ったなー。この俺でも学校の先生にはなれねえかなー」
マコトは、タオル越しに頭をかいた。そして続けて、ぶつぶつ何かを言っていた。
「んー、でもなー。いや、いっそのこと、学校の先生に転職するのもアリかもしれねえなぁ」
マコトは、真剣な表情で腕を組んでつぶやいた。トールはそのマコトの言葉に、ニコッと笑い立ち上がろうとした。
「それも良さそうですね。見晴らしのいい最上階の部屋を準備いたしますね。では、そういう手続きをしま」
「おいおい、冗談さ」
マコトは、饒舌に立ちあがろうとしたトールを引き留めた。
「トールの判断さ、きっと問題ないよ。ーーうちのに教わるがいい。お前さん、きっと仲良くなれると思うぞ」
マコトはひめるに笑顔で言い、店の奥にいる誰かを呼びに行った。
しばらくして、階段を降りる音がした。店の奥から出てきたのは、マコトともう一人。ーー赤髪の目つきの悪い、ひめるよりずっと背が高い少年。
「――どうも」
少年は、恥ずかしそうに目をキョロキョロさせながら言った。
「とびっきり可愛いだろ。うちのピオだ」
マコトは、ピオを後ろから抱きしめるとピオの赤髪をわしゃわしゃと撫でた。
ひめるはピオと目が合い、挨拶をしようとした。
「ーーあ、あの、よろし」
「よろしく。仲良くしような」
ピオは、緊張した表情のひめるの言葉を遮って手を差し伸べた。ひめるは、ピオと握手をした。
「僕は、ひめる!よろしく、ピオ」
それから毎日、ひめるはピオに勉強を教えてもらうようになった。
***
「この前は、途中で寝ちまったみたいで。悪かったな。」
「ううん、平気だよ。今日もありがとう。ピオ」
「おう!またなー!」
窓の外、二階から見える湖の景色からは、スズムシの声が聞こえていた。
「ってなんでだよ。短剣もタンクも、もう全部下手じゃねーか。俺」
ピオは、パソコンの前でのけぞり返っていた。
「このタンクの人、怒ってっかなぁ。ーーパーティー抜けようかなぁ」
ピオが悩んでいると、別のプレイヤーがパーティーに参加してきた。
「あ、レベルたけぇヒーラー入ってきてくれた!よし!じゃあ次は、大剣もってみるかー!ポジティブで行け!俺!」
***
――パソコンの光と、窓から差し込む月明かりだけの薄暗い部屋。
床には、洋服や料理の雑誌が積み上げられ、壁やクローゼットには、たくさんの洋服や帽子、アクセサリーが並んでいた。
明るい緑色の髪。パソコンには、ゲーム画面が映っていた。
「ハハッ。レベルだけ、たっか。相変わらずだね。ピオ」
“パーティーに参加”をクリックし、ヒーラーを選択した。
敷地を囲う森の奥に、少ない街頭だけが灯る街が遠くの方に見えていた。
ーーーーーーーーーー
読んでくれてありがとう。
社会人になるとシャーペンすら持つことが少なくなりボールペンに慣れてしまいましたが、鉛筆を買って字を書く機会があって、書きごこちにうっとりしました。それ以来、たまに鉛筆で絵を描きたくなることが増えました。




