遺言(改)
俺は、ビルの屋上にいる。
周りは、誰もいない。
時が、俺の体を包み込んでいる。
ほかには、何も無い。
覗き込めばたちまち連れ去られるような高いビルの屋上。
見上げれば、無限の宙がある。
俺が信じていたものは、ただ、俺を裏切ることしかしなかった。
俺自身、それを信じていた。
だが、明らかに裏切り行為を続けた跡、俺は信用しなくなった。
だから、そいつに対して、俺は今までしてこなかったこと、おれ自身の主張をするために、この場所にいる。
徐々に人が集まり始めた。
下を見れば、ごみのような人が集まっているのがわかる。
宙に目を向ければ、天使と悪魔がこちらに微笑んでいる。
後ろからは、警官が何かを叫んでいる。
俺は、一言だけ伝えた。
「名前など、とうに捨てた」
聞こえたかはわからない。
明らかに異質な空気が、俺の周りを取り囲んでいる。
「後は、野となれ山となれ、さ」
俺は、続けた。
無限の宙からは、天使と悪魔がこちらを見ている。
そこだけが、俺を裏切らない唯一の場所と信じている。
常に裏切り続けられた俺が、本当に行くべき唯一の地点。
そうだと信じている。
下を見ると、徐々に人は増えている。
「俺たちは、本当に幸せと言えるのか?」
俺は、自問した。
人たちは、どこかへ流れていく事が無いように、この場に滞留し続けていた。
幸せかどうかなんて、誰にもわからない。
おれ自身は不幸せだと思う。
ただそれだけのことだった。
俺は自答する。
「そうではなかった。ただ、おれ自身は不幸せだと信じている」
宙では、天使と悪魔がこちらを見ている。
ただ、じっと見てるだけだった。
何をするわけもなく、ただ、見ている。
俺は、彼らに聞いた。
「君たちは、幸せなのか?」
彼らは、何も答えない。
言葉は、どこかへ流れ去っていく。
後ろから、声が聞こえる。
だが、俺は答えない。
「すべてのものは、捨て去った。これ以上俺には必要ない」
俺は、彼らに聞いた。
「俺は、彼らの元へ向かってもいいのだろうか」
彼らは答えた。
「自らの身に聞け。さすれば、答えは得られる」
俺の心は、すでに死に絶えている。
俺は、何も考えなくなった。
たった一歩。
それですべてが終わる。
俺は、たった一人だけを貫いてる時間に聞いた。
「俺は、俺自身の意思で、時間を止めてもかまわないのだろうか」
時間は、ただ、鼓動と同じ周期で刻み続けるだけだった。
俺は笑った。
たった一歩。
それを踏み出すだけで、時は止まり、また、動き出す。
これまでも、これからも動き続けるであろう時間は、俺の周りにまとわりつく。
「これで、本当にいいのか?」
俺は自問した。
誰も答えない。
あるのは、目の前に広がる無限の宙。
ただ、それだけだ。
ほかには、何も無い。
ゆったりとする時間の周りには、せわしない時間が流れている。
人は、いつからこれほどのことを忘れてしまったのだろうか。
どこで、道を間違えたのだろうか。
すでに、曲がり角を過ぎ、元へは戻ることは、かなり難しいだろう。
だが、今ならきっと間に合う。
俺は、天使と悪魔に聞いた。
「俺は、死ぬべき存在だろうか」
彼らは答えた。
「我らは、その問いの答えを知らぬ。唯一知るべきは、そなたの心なり」
俺は、それを聞くと、少し笑った。
「俺の心、か…」
すでに、心には空虚が支配している。
何も答えない。
俺は、再び聞いた。
「では、彼らは、幸せだろうか」
「幸せとは、そのものにより変わるもの。不変ではない。ただ普遍なのは、すべてのものは幸せと言えるものを持ち合わせていることのみ」
天使が言った。
「幸せとは、そのものにより変わらぬもの。不変である。ただ、普遍ではないのはそのものの心のみ」
悪魔が言った。
俺は、笑い、下を見た。
「この者たちは、幸せなのだろうか…」
誰も答えなかった。
何もいなかった。
世界には、俺一人。
そのような気がする。
だからこそ、俺は自由になる。
精神的にも、肉体的にも、人生的にも、そして、魂的にも。
一歩、足を踏み出した。
俺の体は、ゆっくりと降り始めた。
天使と悪魔は、俺に近づいて聞いた。
「悔いは無いのか?」
「あったら、こんな事しないさ」
俺は笑っていった。
下からは嬌声が聞こえてくる。
ゆっくりと動き出す周りの風景は、俺の道を示している。
天使と悪魔は、ひとつになり、俺と口付けを交わした。
刹那、俺は、俺自身を見ていた。
徐々に早くなる時間。
耳につんざめく悲鳴。
ゆったりとする俺の魂と、すばやく動く俺の体。
精神は破綻をきたし、魂は自身で悲鳴を始める。
いつまでも続いていくこの行動は、どこまで続くかわからない。
天使と悪魔は、相変わらず笑いを止めない。
何を聞いても、何も答えない。
俺は、最後にひとつだけ聞いた。
「人とは、何だ?」
笑いをやめ、言った。
「人を人たらしめるのは、そのものが人と認識することだけ。人と認識しなければ、そのものがいかに人の形をしても、そのものは人ではない」