【5】
【5】
「…………眠たいな……」
布団から起き上がって、遅い動きで台所へ行く。
「あ、ご飯……」
机の上を見ると。
『学校に行ってきます。朝ごはんは机の上に置いておくので、よかったら食べて下さい』
と書かれた紙と、パンとサラダが置かれていた。
「……ありがと」
呟いて、俺は椅子に座った。
「いただきます……」
パンを口に運ぶ。
「…………」
朝ごはんを食べながら、俺は昨日の事を思いかえした。
ともかの家に帰った後、俺は宿泊していたホテルに行き手続きを済ませて、荷物を全部持ってこの家に来た。
「それじゃあ、みゆ君の部屋の準備をしよっか」
ともかの部屋から見て、斜め向かいにある部屋を俺は使わせていただく事になった。
「ベッドとかはないから布団になるけど、いいかな? みゆ君」
「あぁ、うん。それで大丈夫」
「分かった」
使う部屋を片付けて準備をしていると、ふと、
「………………僕の部屋で一緒に暮らしてもいいけどねー……」
と、ぽつりとともかは言ったけど、「…………」俺はなんとなく聞こえなかったふりをした。
その後部屋の準備も終わり、夕ご飯にともかの作った野菜炒めを食べて、眠って、今俺はこうして朝ごはんを食べている。
「………………ごちそうさま」
手を合わせて言ってから、食器を台所へと持って行く。
「…………」
ばちゃばちゃと食器を洗い、手を洗って机に戻り椅子に座る。
「……………」
今日は何をしよう。
「…………特に、行きたい場所も思いつかないしなぁ……」
あー…………。
「んー…………」
なにか…………。
「………………」
………………。
「………………掃除」
そうだなぁ……。
「掃除しよっかな」
少しでも、ともかの役に立ちたいし。
「よっし」
俺は立ち上がって、掃除道具を探す事にした。
「えーっと……」
いろいろな部屋を見て探していると、ほうきを発見した。
「とりあえずこれでいいか」
そして、
「…………」
廊下、
「………」
台所、
「………」
居間、
「………」
と、掃いていった。
掃除してて分かったけど、ともかの家はほとんどゴミが落ちていなかった。
だから、俺のやったことがあまり役に立っているとは思えなくて、少し落ち込んだ…………。
「一応こんな感じかな……」
三十分くらい掃いてから俺は呟いた。
本当は二階も掃除した方がいいのかなとも考えたけど、まだ一度も二階には上がっていないし、あんまり勝手に部屋の中に入るのもどうかなと思ったのでとりあえず止めておいた。
「んー……」
その後、やる事がなくなった俺は居間に移動してソファに座り、本を読むことにした。
「静かだなぁ……」
視線を本から窓に移して、一人呟いた。
それから一時間後。
「やば、何か眠くなってきた……」
だんだんと眠気が出てきて本を閉じた。
その時。
「……ん?」
ガチャリ、と玄関のドアが開いた音が微かに聞こえた。
「あれ……ともか、帰ってきたのか……?」
時計を見ると、午後の1時になっていた。
「…………」
と……と……と……と、足音がこちらに近づいてくる。
「お帰り、ともか……」
気配が近くに来たのを感じて、俺はそう言いかけた。
しかし。
「あれ?」
「うぉ!?」
そこに現れたのは、ともかではなかった。
「あなたは……」
そこに現れたのは知らない女性だった。
「あ…………」
まったくの予想外の展開に、数秒間、俺の頭の中の時間が止まった。
「んー…………」
両手にたくさんの荷物を抱えた女の人は、考えるようにして首を傾げた。
「え、えっと……」
俺はどう言葉を発したらいいのか分からなかった。
えーっと…………この人は……ともかの知り合いの人………って事だよな……?
あー…………まさか、ともかのお母さんとか……………いや、にしては絶対に若すぎるし………。
あ………もしかして、ともかのお姉さんとか? うん、それだったらありえるような…………。
いや、普通にともかの友達って可能性もあるよな…………。
っていうか、今のこの状況だと俺の方がよく分からない人物って事になるよな………。
や、やばい。何て言ったらいいのか………。
そんな感じで内心、混乱していると。
「……あなたは、ともかちゃんの友達なのかな?」
と、女の人は首を傾げて訊ねてきた。
「え? あっ、あぁはい。ともか…………さんの友達です」
あはは……と、気まずく笑いながら俺は答えた。
「そっか、そっか」
女の人は笑顔で頷いた。
「あれ? 私と話すのは初めてだよね?」
「あ、はい……そう……ですね」
「あぁよかった。話したことがあるのに忘れてたとしたら、失礼になっちゃうからね」
明るく笑って女の人は言った。
「んーっと、そうだなぁ」
女の人は数秒考えるようにした後、手に持っていた荷物を机の上に置いて、俺の隣に来た。
「少しお話してもいいかな?」
女の人は俺の顔を見てそう訊ねた。
「あぁ………は、はい……」
上手く視線を合わせる事ができないまま、俺は答えた。
「うん」
女の人は頷くと、ソファに座った。
「あなたも座ったら?」
首を傾げて女の人は言った。
「は、はい…………」
少しだけ距離を置いて俺もソファに座った。
「んー」
女の人はじーっと俺の顔を見た。
「……………」
「……………」
「……………」
「…………あ、ごめんね。まだ名前も言ってなかったわ」
照れたように女の人は笑った。
「えーっと私は、『たな』って言います。よろしくね」
女の人……たなさんはそう自己紹介をした。
「あ…………俺は、みゆって言います。よろしくお願いします」
頭を下げて俺は言った。
「なるほど、みゆ君ね。みゆ君……みゆ君……。うん」
たなさんは確認するようにして、頷いた。
「みゆ君は、ともかちゃんの友達なんだよね?」
「えっと、はい……」
「小さい頃からの友達なのかな?」
「あぁ、いや……違います。その……最近知り合いました」
「そっか」
「はい………」
「……………」
「……………」
「みゆ君はさ」
「は、はい?」
「ともかちゃんの事、好き?」
「え?」
「どうかな?」
「ええっと……その………」
こ、これはどういう意味での、「好き」なのだろうか………。
「えっと………………俺は……」
「うん?」
「…………はい………好きです………ともかの事………」
とても、とても小さな声で俺は答えた。
すると。
「そっか………よかった。うん………ありがとう。みゆ君」
優しく微笑んで、たなさんはそう言った。
その表情は、少しともかに似ているような気がした。
「……みゆ君はさ」
「は、はい?」
「年はいくつなの?」
「えっと……18です」
「そっかそっか。私は21だからそんなに変わらないね」
「あ、そうなんですか……」
「うん」
「………………」
「あ! ごめんね? 私ばっかり質問しちゃって」
「あ、いえ! 別にそんな……事は、ないです……はい……」
「んー……そうだなぁ。みゆ君は私に訊きたい事ってある?」
「え?」
「何でもいいよ?」
「え…………」
俺は、数秒考えて。
「じゃあ、あの……」
一番、気になっていた事を質問することにした。
「あの、たなさんは、その……ともかの、友達さん……なんですか?」
「え? あぁ……そうだなぁ……うーん」
たなさんは腕組みをして考えるようにした。
「うん、ともかちゃんの友達である事には変わりないんだけど、正確に言うとねぇ……」
「は、はい」
「私は……」
「はい…」
「ともかちゃんの……」
「はい…」
「お父さんのぉ……」
「え…?」
「恋人かな」
「え?」
「うん、そんな感じかなぁ」
あはは、と明るく笑ってたなさんは言った。
「そ、そうですか。なるほど……なるほど……」
なるほどと言ったけど、俺はよく状況を飲み込むことができなかった。
あ、でも確か…………ともかが化粧をしている時に、
『父親の恋人さんに化粧を教えてもらった』とか言っていた気が…………。
って事は、たなさんが、その……ともかの父親の恋人さん……って事になるのか?
「あれ? みゆ君あんまり驚かないね?」
「え?」
「他の人にこの事を話したら大体引かれるけど、みゆ君はあんまりそんな表情はしないからさ」
「え? え、えっと………」
頭の中が真っ白になったまま、俺は言葉を続けた。
「ま、まぁ、正直少し驚きましたけど………でも、なんていうか……その………そういったことは人それぞれだと思うし………理由をよく分からないままに、他人が口を出す事でもないと思いますし………それに、たなさんが、ともかの父親の事が好きならそれでいいのかな………とか、はい、そんな感じで……す。あの、なんか、ごめんなさい………」
自分でも何を言っているのか分からないまま、俺は謝った。
「何で謝るの? でも……そっかそっか。うん、みゆ君は素敵だね」
微笑んでたなさんは言った。
「あぁ……はぁ……」
……あれ? なんか………。
なんか、こんな感じのやり取りを、ともかともしたような気が………。
「よーっし。それじゃあ、私は帰ります!」
そう言って、たなさんはソファから立ち上がった。
「あ、はい……」
「あ、みゆ君。この机に置いたやつなんだけど……」
たなさんは、机に置かれたたくさんの紙袋を指差した。
「えーっと、これにはともかちゃんに似合いそうな服とかが入ってて……それで、これには知り合いから貰ったお菓子とかが入っているから。ともかちゃんにそう言ってくれると、ありがたいな」
「あ、分かりました。ちゃんと伝えておきます……」
「ありがとう」
笑顔でそう言って、たなさんは玄関に向かって歩き始めた。
「あ、そうだみゆ君」
「はい?」
「今度さ、ともかちゃんと一緒に三人でどこかに遊びに行こうよ」
「は、はい」
「それじゃあ、またね」
そう言って、たなさんはともかの家を後にした。
「……はぁ…………」
再び一人になった俺は、妙な疲れを感じながら、ソファに座った。
「たなさんか……………何か明るい感じの人だったなぁ……」
……………………。
「…………ともかの、父親の、恋人さん………か」
……………………。
「……………ともかの……」
ふと。
「………ともかの、お母さんはどこに……」
ふと、そんな事を思った。
それから一時間後。
「みゆくーん。ただいまー」
「あっ。おかえり、ともか」
ともかが家に帰ってきた。
「…………?」
よく見ると、ともかは制服とかではなく、青い長袖に黒のズボンといった感じの私服を着ていた。
制服とかがない学校……なのかな?
「どうしたのみゆ君?」
「ん? いや、なんでもないよ」
「そう? …………あれ? なにこの紙袋」
机の上を見てともかは言った。
「あぁ、それはたなさんが持ってきたものだけど……」
「え? たなさんここに来ていたの?」
驚いた表情でともかは言った。
「あ、あぁ。1時間くらい前だったかな? 来ていたけど」
「そっか……………ふふっ」
「な、何で笑ってるんだ?」
「いや、急にたなさんが現れて、みゆ君とても驚いたんじゃないかなーって」
「あぁ………確かに、マジでビビったけどな。今の俺の状況とかをどう説明したらいいかって焦ったよ……」
「そっか。………ちゃんと僕の恋人だって説明した?」
「あぁ、ちゃんと友達だって説明した…………っておい」
「え? なんで驚いているの?」
妖しく笑ってともかは言った。
「というかお前が驚いているのに俺が驚くわ」
「ふふっ。だってー、一緒に住んだらそれってもう恋人じゃないの?」
「いや、それは状況とか関係性によって変わるだろ……」
「じゃあ、僕とみゆ君の関係ってどんな感じかな?」
「え? そう聞かれると……うーん……結構難しいな………。友達……だけど、俺はともかにお世話になっているから……うーん…………」
「ふふっ。…………ん? ねぇ、みゆ君」
「うん?」
「もしかして、掃除してくれたの?」
「え? あぁ……いや、うん……そうだけど。なんで分かったんだ?」
「だって、そこにほうきがあるし」
「え? あっ……」
ともかの指差した方を見ると、ソファの横にほうきが置かれていた。
片付けるの忘れてた…………。
「……みーゆ君」
言いながら、ともかは腕に抱き着いてきた。
「あぁっと……あ、そうだ。その紙袋に、ともかに似合いそうな服が入っているってたなさんが言っていたけど……」
緊張を紛らわせるために、慌てて俺は説明した。
「ふーん」
そう言って、ともかは紙袋を手に取って、中を確認した。
「あ、本当だ。綺麗なスカート……」
呟きながら、ともかは袋からスカートを取り出した。
「あ、確かにいい感じだな」
スカートを見て俺は呟いた。
「……よし」
「どうした、ともか?」
「ちょっとここで着替えるから、似合っているかどうか確認して」
抱き着いていた手を解いて、ともかはそう言った。
「おい、ちょっと待て! じ、自分の部屋で着替えてこいよ!」
「ふふっ。冗談だって。顔赤くなってるよ、みゆ君」
楽しそうに笑ってともかは言った。
「本当に緊張するから、そういう冗談は……やめていただけると……その……ありがたいです……はい」
「んー……緊張するって事はさ。みゆ君は少なからず意識しているって事だよね?」
「え? あぁ……まぁ……うん。そういう事に……なる……のかな……?」
考えるようにして俺は言った。
「……みゆ君、みゆ君」
再び腕に抱き着いて、ともかは言った。
「ん?」
「何かおやつ食べない? 僕、作るけど」
「あー……うん。あ、そう言えば、その袋の中にお菓子も入っているってたなさんが言っていたけど」
「え、そうなの? うーん……、たなさんから貰ったお菓子は別の日に食べない? 僕、おやつ作りたい気分なんだ」
「……そっか。じゃあ俺も手伝うよ」
「あ、みゆ君はあまり料理が上手じゃないから大丈夫だよ」
「う………本当の事だけど、じ、地味に傷つくな………」
「ふふっ。ほらほら、直ぐに落ち込まないでよ。台所に行こ」
ともかは俺の手を引っ張ると、楽しそうに笑った。
「はい、どうぞー」
そう言って、ホットケーキをのせた皿をともかは机に置いた。
「うぉ、美味しそうだな」
「あんまり期待しないでね」
そう言って、ともかは椅子に座った。
「それじゃあ、いただきます」
「いただきまーす」
手を合わせてから、一口食べる。
「あぁ……美味しい」
「ほんと? よかった」
「うん、本当に美味しい」
「ふふっ」
優しくともかは微笑んだ。
「……ともかって、本当に何でもできるよな」
「え?」
「夕ご飯も美味しいの作るし」
「そんなことないって」
「いや、本当に凄いと思うよ」
「そうかな? んー…………そうだ。よし」
ともかはそう言うと、自分の皿のホットケーキにフォークを刺して。
「はい、あーん」
そう言った。
「…………」
「早く食べてよ、みゆ君」
「こ、これは……?」
「んー……褒めてくれた、お礼かな?」
「…………」
「あれ? みゆ君には刺激が強すぎたかな?」
意地悪そうに笑ってともかは言った。
「………っ」
瞬間的に心を決めた俺は、目の前にあるホットケーキを食べた。
「ど、どうだ…………!」
勝ち誇った顔をして俺はともかにそう言った。
すると。
「………………」
ともかは顔を赤くして、視線を逸らした。
「何でお前が照れているんだよ!」
「い、いや、なんでだろうね……?」
あはは……、と笑ってともかは言った。
「本当に…………」
言いながら、俺はコップに入ったお茶を飲んだ。
すると。
「………………なんかいいよね、こうやってイチャイチャするのって」
呟くようにして、ともかは言った。
「っ…………!」
飲んでいたお茶を噴き出しそうになった俺は、急いで口を押えた。
「お、お前は………」
「あれ? みゆ君はこやって僕と過ごすのは嫌い?」
儚そうな表情をしてともかは言った。
「えっと…………だから、嫌いとかそういうのじゃなくて…………」
「という事は、みゆ君は僕の事が大好きなんだね!」
「拡大解釈してんじゃねぇ!」
「よーし、キスしてやる」
そう言って、ともかは机の上に上がって、俺に迫ってきた。
「ちょ、ちょっと待てって……!」
「えー? 僕ってまぁまぁ綺麗でしょ? だから結構価値があると思うよ、キス」
「た、確かにお前は美人だけど、それって自分で言う事じゃないと思うぞ……?」
「やー、美人だって! もう、何回もキスしてあげる」
「おい!」
「ふふっ」
そんな感じで俺とともかは騒がしい時間を夕方まで過ごした。
………たなさんと話していて、ともかの事についていろいろと気になる事はあったけど、それは多分、「知る時」がきたら自然と分かるのだろう。
そう、俺は思っていた。
【5・終】