【1・2】
【1】
「あぁ……」
息を吐きながら空を見上げる。
「どうするかな……というか、どうしたらいいんだろ」
はぁ、と溜息を吐いて視線を空から地面へと落とす。
今、俺がいるのは大きめな公園の大きめなベンチ。
「何をしたらいいんだ……」
ただいまの状況を少し整理してみよう。
・いろいろあって将来の事で父親と言い合いになり家出。
・そのままの勢いで憧れていた都会に到着。
・都会に来たのはいいけど、勢いで来たせいで何をしていいのか分からない。
……こんな感じか。
「知り合いとか親戚がここに住んでいるわけでもないし……」
今は安いホテルに宿泊しているけれど、それも長くは続かないと思う。
「かといって、直ぐに実家に戻るのもなぁ……」
一週間も経たないうちに帰ったら、絶対に家族に笑われる。
「……あぁ!」
大きく息を吐いて、伸びをする。
「…………本読むかな」
隣に置いた鞄から、本を取り出す。
「……にしても、手に入れる事ができてよかった」
表紙を軽く触って呟く。
この本は昨日、暇つぶしに入った古本屋で買ったものだ。
ずっと前から欲しかった本なので、見つけた時は軽くビビった。
「なんかこの本を手に入れる事ができただけでも、ここに来た意味があるなぁ……」
昨日読んだページを開き、続きを読む。
「…………」
平日の公園は妙に静かで、集中して本を読むことができる。
「…………」
そのままの状態で1時間くらい俺は本を読んでいた。
「……っと。今日はここまでにしとくかな」
次の章の手前で読むのを終わり、本を鞄にしまおうとした。
その時。
「お兄さん」
と、後ろから誰かが呼びかける声がした。
「え?」
ビックリしながら後ろを向くと。
「あ、ごめんなさい。急に声をかけてしまって」
そこには、綺麗な女の子がいた。
「あ、え? あぁ……」
突然の美人さんの登場に軽くパニックになり、どう反応していいのかが分からなかった。
「あの、その本……」
美人さんは、俺が読んでいた本を指差した。
「どの本屋でもなかなか見つからないやつですよね? 珍しいなぁ」
興味津々といった表情で美人さんは言った。
「あ、あぁ……。たまたま古本屋で見つけたんです、昨日」
ドキドキする心を無理やりに落ち着けようとしながら、俺は答えた。
「そうなんですか」
「は、はい……」
やばい、何か緊張しすぎてこの場から去ってしまいたい……。
「あの」
「は、はい?」
「隣に座ってもいいですか?」
「え?」
その瞬間、色々な思考が脳みその中を駆け巡った。
ん? 隣って俺の隣って事か?
えぇ? そう言う事だよな……。
まさか、聞き間違えとかじゃないよな……。
というか、なんて答えればいいんだ?
いいですよ。って答えればいいのか?
それは何か恥ずかしいな……。
いや、でも「だめです」って答えるわけにはいかないし……。
「あの?」
美人さんは俺の顔を見て首を傾げた。
あぁ……もう。
「はい、どうぞ」
いろいろ考えた結果、俺はそう答えた。
「そうですか、失礼します」
美人さんはそう言って俺の隣に座った。
黒のロングスカートに真っ赤な長袖。
それと、微かな香水の匂い。
「あの」
「はい?」
「もしかして、お兄さん昨日もこの公園にいました?」
顔を少しだけ近づけ、よく通る涼しい声で美人さんは訊ねた。
「あー……そうですね。昨日もここにいました」
瞬時に記憶を遡らせて、俺は答えた。
そうだ、俺は昨日も同じ時間にこのベンチに座っていたっけ。
「あ、やっぱり!」
美人さんはそう言うと、嬉しそうに笑った。
「お兄さんはここら辺に住んでいるんですか?」
「あ、いえ……別のところです」
あはは……と苦笑いで俺は答えた。
「へぇ、じゃあ旅行とかでここに?」
「あぁ……まぁ……」
適当に誤魔化そうかな、とも思ったけど。
「まぁ何て言うか……家出して来たんです」
何故か正直に答えてしまった。
「家出? はぁ、凄いなぁ」
目を見開いて、美人さんは言った。
「いや、別に凄くはないですよ。ここに来たのも勢いだったし、それに親に迷惑をかけているし……」
少し恥ずかしくなりながら俺は言った。
「いや、凄いですよ。どんな理由でも1人で別の土地に来るなんて」
美人さんは、うんうんと頷いてそう言った。
「そうですかね……」
苦しく笑いながら俺は美人さんの顔を見た。
「……ん?」
その時。
その時、何かよく分からないけど漠然とした疑問を感じた。
なんだろう……。
この美人さん……。
そう頭の中で考えていると。
「あれ? お兄さん気付きました?」
そう言って、目を細めて美人さんは笑った。
「え? ってことはもしかして……」
漠然とした疑問が、直感的に解答を得た。
「はい。僕は男です」
軽く頷いて美人さんは、そう答えた。
「あぁ……やっぱり」
俺も頷いてそう呟いた。
「あれ? お兄さんあんまり驚きませんね?」
意外といった顔で美人さんは首を傾げた。
「いや、少しは驚いたけど……」
そう、少しは驚いた。だけど……。
「君が綺麗な事に変わりはないし……」
呟くように俺は言った。
すると。
「……ふふっ。素敵だなぁ、お兄さんは」
儚く微笑んで美人さんはそう言った。
「ねぇ、お兄さんはこの後何か用事とかあります?」
「いや、特にはないけど……」
「そうですか、それじゃあ……」
美人さんはベンチから立ち上がると。
「今から僕の家に来ませんか?」
そう俺に訊ねた。
「え?」
「お兄さんが持っているその本の作者さん、僕も好きなんです。僕の家にも何冊か珍しい本があるので、家に来て本の話でもしませんか?」
優しく笑いながら美人さんは言った。
「え、えっと……」
今日一番の緊張状態に陥った俺は……。
「あぁ…………うん」
何も考える事ができずに、そう答えた。
【1・終】
【2】
「お兄さんはいくつ何ですか?」
前を歩いている美人さんが振り向いて、俺に訊ねてきた。
「えっと……18」
「へぇ、じゃあ僕より1歳年上なんですね」
ふーん、と頷いて美人さんは言った。
「あ、そう言えばまだ僕の名前を言っていませんでしたね」
美人さんは歩くスピードを落として俺の隣に来た。
「僕は、『ゆめ ともか』と言います」
頭を下げて美人さんは、そう自己紹介をした。
「えっと……俺は『くらあかり みゆ』って言います。よろしく……ゆめさん」
俺も頭を下げて自己紹介をした。
「はい、よろしくお願いします。あ、敬語とかは別にいいですよ? ともかって呼んでいただけると嬉しいです」
明るい笑顔で美人さん…………ともかは言った。
「ええっと、じゃあ……分かった、ともか……」
何だか少し恥ずかしさを感じつつ俺は頷いた。
「……あ、俺も別に敬語とかはいいから。年も1つしか変わらないみたいだし」
「そうですか? うーん……年上に敬語なしは少し気が引ける感じもするけど……」
「いいよ、別に気にしないで」
「……うん。分かり……分かった。改めてよろしくね、みゆ君」
優しく微笑んでともかは言った。
「…………」
「みゆ君?」
「え? あ。う、うん。よろしく」
何とか顔が赤くならないように意識して俺は返事をした。
「えっと……あ。あれが僕の家です」
斜め左にある一軒家を指差してともかは言った。
話しているうちにいつの間にか、ともかの家まで近づいていた。
公園からそんなに離れていない距離のようだ。
「ちょっと待っててね」
玄関に到着すると、ともかは鞄の中から鍵を取り出した。
「はい、どうぞー」
ガチャリと玄関を開いてともかは家の中へ招いてくれた。
「お、お邪魔しまーす……」
小さくそう言って家の中へと入る。
二階建ての一軒家。
作りは実家と少し似ているけれど、中は結構広い感じだ。
「あ。ともか……」
「ん? なに?」
「誰か家族さんとか今家にいるの?」
声を潜めて俺はともかに訊ねた。
「え? いや、いないよ」
首を横に振ってともかは答えた。
「この家には父親と一緒に住んでいるけど、あの人はあんまり家に帰ってこないから。だから遠慮しないで、上がって上がって」
「そっか。分かった」
頷いて、俺は靴の紐を解いた。
あんまり家に帰ってこない…………か。
そこら辺の話題にはあまり触れない方がいいのかな……。
「ほら、みゆ君、こっちこっち!」
「うぉ!」
ともかは俺の手を引いて家の奥へと進んでいく。
少し冷たい細い指。
見ていると現実感が薄まっていく程に綺麗な手。
「ほら、ここの部屋」
そう言って、ともかは一番奥にある部屋へと連れてきた。
「うぉ、すげぇな……」
その部屋の壁には大きな本棚があり、たくさんの本が静かにしまわれていた。
「全部ともかが集めたのか?」
「ううん。親戚に本が好きな人がいてね。その人が読み終わった本を僕にくれるんだ」
「そっか……」
近くでよく見ると、民俗学、デザイン関係、歴史、ファッション、マンガ、など様々な種類の本があった。
「それでね、この上にある本が……」
そう言って、ともかは本棚の上の方に手を伸ばした。
「うー、微妙に……届かな……」
必死に手を伸ばすともかだったが、あと少しといった所で本を掴む事ができなかった。
「この本か?」
本棚に近づいて、ともかが掴もうとしている本を俺は取った。
「う、うん。ありがと……」
恥ずかしそうにして、ともかは笑った。
「その本の表紙を見て」
「表紙?」
言われた通りに今とった本の表紙を見ると。
「わっ! これって……!」
その本は俺の大好きな作者が初期に発表した幻の短編集だった。
「すげぇな……。この本も、その親戚の人が?」
「うん。その人はその本の作者の大ファンってわけでもないみたいだったから、普通にくれたよ」
「そ、そっか。まぁ、モノの価値ってのは人によって違うからな……」
俺が昨日買った本よりも珍しいんじゃねぇか……。
そんな感じで、驚いていると。
「あ、そうだ。みゆ君」
「ん?」
「お腹空いていない?」
と、ともかが訊ねてきた。
「あぁ……まぁ、少し空いている……かな?」
携帯で時間を確認してみると、夕方の6時になろうとしていた。
「じゃあさ、本の話をする前に何か食べない?」
首を傾げて、ともかは言った。
「あぁ……うん、そうだなぁ」
俺は頷いた。
「それじゃあ、どっかに食べにでも…………」
そう言いかけると。
「あ、よかったら僕が作るよ?」
と、なんでもないようにともかは言った。
「え?」
「みゆ君って何か苦手な食べ物とかある?」
「い、いや、特にはないけど……」
「そっか。じゃあ……オムライスとかは好き?」
「あぁ、うん、好きだけど……」
「よっし、それじゃ、オムライスに決まりだね」
明るく笑ってともかは言った。
「じゃあ、僕はご飯の用意をするから、みゆ君はここで本でも読んで待っててね」
そう言うと、ともかは部屋を後にした。
「あ。おい、ともか……!」
俺が何か言おうとした時には、ともかの姿は消えていた。
「………………ふーっ」
とりあえず、深呼吸をして。
「…………」
そして、俺はその場に正座した。
「…………」
落ち着け、落ち着くんだ。そうだ落ち着こう。
「…………」
今の状況を少し整理しよう。
・公園で本を読んでいると、偶然同じ作者が好きな美人と遭遇。
・その美人のお誘いを受けて、家に到着。
・その後、夕ご飯をごちそうになることに……。
「…………」
なんだろう……。
もし、今この状況について実家にいる母さんにメールしたら、
『あんた本当に大丈夫なの?』って心配されるだろう。
いや、それほどに今の状況は何か……こう……凄い感じがする。うん。
「何をすればいいんだ……」
周りにある本の山を見て、一人呟く。
ともかは、「本でも読んで待っていてね」と言っていたけど。色々と緊張し過ぎて今、本を読んだとしても内容は頭に入らないだろう。
「……ご飯か……」
……あ、そうだ。
「何か手伝えることがないかな……」
うん、そうだ。
俺も何か手伝えるかもしれない。
「よっし」
頬を軽く叩いて立ち上がり、台所があると思われる場所を目指して俺は部屋を後にした。
「ここかな……」
いい匂いのする方へ歩いて行くと、台所へとたどり着いた。
「あ……」
覗いてみると、そこには、長めの髪を後ろで束ねて料理をしているともかの姿があった。
さっきまでは赤い長袖を着ていたけれど、今は黒の半袖のシャツを着ている。
いつの間に着替えたのだろう。
「……あれ? どうしたのお兄さん」
ともかは俺に気付いて、料理をする手を止めて、振り向いた。
「いや、なんか…………手伝えることがないかなーって……」
あはは……と、乾いた笑みで俺は訊ねた。
「なんだ、そんなに気を遣わなくてもいいのに」
ふふっと笑ってともかは言った。
「大丈夫だよ、そんなに時間はかからないから僕だけで」
そう言って、ともかは料理を再開した。
「そっか……」
俺は、うーん……と、数秒考えた後に。
「あ、じゃあここに座っててもいいかな?」
台所に設置された木の机を指差してともかに訊ねた。
「あぁ、うん。丁度そこでご飯食べようと思ってたから、待っててね」
ともかはそう答えた。
「分かった」
机に近づいて椅子を引き、俺はそこに座った。
「…………」
する事がなくぼーっとしていると、目は自然とともかを眺めていた。
黒のシャツに、黒のスカート。
黒という色はともかに凄く似合っていた。
いや。多分、どんな服を着ても似合うのだろう。
そんな事を考えていると。
「……ねぇ、お兄さ…………みゆ君」
不意に、ともかが話しかけてきた。
「な、なに?」
慌てて俺は返事をした。
「みゆ君は…………僕の事を変に思っていないかな?」
「え?」
「なんていうか……」
料理をしながらともかは言葉を続けた。
「急にみゆ君に声をかけてさ……それで家に誘って……だから、怪しまれたりしていないかなーって」
ともかの顔は見えないけれど、少し悲しそうな声に聞こえた。
「いや、別にそんなことは思ってないけど……」
素直な気持ちで、俺はそう答えた。
「……本当?」
ともかは少しだけ顔を振り向かせた。
「うん、本当だって。ともかは悪い人には見えないし」
そう。この状況に少し緊張はしているけれど、ともかに対して警戒心とかは全然感じない。
「……それだったら、よかった」
俺の言葉を聞くと、ともかは薄く笑って料理を続けた。
それから数十分後。
「できたよー」
そう言って、ともかはオムライスの入った食器を机の上に置いた。
「うわ、美味しそう……」
「あんまり味には期待しないでね」
照れるようにともかは言った。
「いただきます」
目をつぶって手を合わせてから、さっそくオムライスを一口食べた。
「美味しい……」
そう自然と言葉が出た。
「本当? よかったぁ」
息を吐いて、ともかは笑った。
「あぁ、本当に美味しいよ」
手作りのご飯を食べるのは何日かぶりだ。
「ふふっ」
俺が食べている様子を見て、ともかはニコニコと微笑んでいた。
その後、夕ご飯を食べ終えた俺とともかは本棚がある部屋へと移動して、そこで自分の好きな本や好きな作家の話をして、とても盛り上がった。
ここに来て、初めて心の底から楽しいと感じられた時間だった。
「……やっぱり、あのシーンは最高だよね!」
「あぁ、そうだな」
ともかと話しながら、ふとなにげなく携帯で時間を確認すると。
「あっ」
いつの間にか夜の11時になろうとしていた。
「どうしたの? みゆ君」
「あ、いや。もう結構遅い時間だからそろそろ帰った方がいいかもなって……」
そう答えると。
「そっか。うーん…………じゃあさ」
ともかは少し考えるようにしてから。
「今日はここに泊まっていったら?」
と言った。
「え……?」
「いや、みゆ君も今から帰るの面倒じゃない? それに、この家には使ってない部屋が何個かあるから。 だから、ここに泊まっていったらいいよ」
「あぁ…………え?」
「どうしたの?」
「えっと……ちょっと待って」
……ともかは今、「ここに泊まっていったら?」 と言ったんだよな……?
えぇ……?
まぁ……えぇ?
た、確かに今から宿泊しているホテルに帰るのは少し面倒だけど………うん……?
「い、いや、確かにありがたい提案だけど……それって何か、アレじゃないか?」
うん、何かアレな感じがする。
そんな感じで挙動を硬くしていると。
「…………」
ともかは、じーっと俺の顔を見た。
「ねぇ、みゆ君」
「は、はい?」
「話したのは今日が初めてだけど、みゆ君と僕はもう友達に近い関係……だよね?」
「……あぁ。まぁ……」
確かに、
・共通の趣味があって
・家に遊びにきて
・ご飯を一緒に食べて
友達と言ってもいい……関係かなぁ?
「うーん……そうかもな」
「じゃあさ、友達が友達の家に泊まるのって何の問題もなくない?」
首を傾げて、ともかは俺に訊ねた。
「あぁ、まぁ、確かに……」
ともかの問いかけに、俺は自信なく頷いた。
「よし、じゃあ決まりだね!」
ともかはそう言うと立ち上がり、俺の手を掴んだ。
「え……えぇ?」
「じゃあ、みゆ君に泊まってもらう部屋に案内するね」
「ちょっと待……」
「ほら、もう決まったことだから、早く早く!」
「あ……は、はい……」
どうやら、俺がここに泊まる事はもう決定したらしい。
「今日はねぇ……」
ともかは俺の手を引っ張ると、本がたくさんある部屋の隣の部屋まで連れてきた。
「ここに泊まってね」
その部屋には、化粧台やベッド、テレビなどが置かれていた。
「あぁ、うん……」
「どうかしたの? みゆ君」
「ええっと、何て言うか……『使ってない部屋』っていう割には結構生活感があるなぁって思って」
部屋の中を見渡しながら俺は言った。
「あぁ、そう言う事か。まぁここは僕の部屋だからね」
さらっと、ともかはそう言った。
「は?」
「みゆ君はこの部屋を使ってよ。僕は別の部屋で眠るから」
「い、いや、俺が使われていない部屋の方でいいよ」
そう言うと。
「えっと。実はさ、他の部屋はあんまり片付けられていないから、恥ずかしいんだ。だから、みゆ君がこの部屋を使って」
照れるように笑いながらともかはそう言った。
「いや、でも……」
「いいよね?」
とても可愛い表情でともかは首を傾げた。
「あぁ…………はい」
いつの間にか泊まる部屋も決まってしまった。
その夜。
「…………」
微かに香水の匂いがする部屋の中で俺はなかなか眠れず、
「あの表情はズルいよなぁ……」
と現実逃避するように一人呟いた。
【2・終】