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ポン・デュ・ガールは永遠に  作者: デクストラ・シニストラ
第一章 「ポン・デュ・ガールの旅人」
9/65

648-1839「業深きものよ、海神と踊れ」


 ―― 1 ――


 一段。また一段。

 足を滑らせないように。梯子を掴みそこねないように。

 肩にキューを乗せたまま、ヴァニタスが慎重に梯子を下りていく。

 疲労度は螺旋階段の比ではない。握力が徐々に失われ、指先が麻痺してきた。どれほど下りたのか。残念なことに、ハッチから見える汚水処理施設の冷光灯は、まだだいぶ明るい。

「くぅ……」

 キューが呻いて、ヴァニタスの頬を舐めた。オキュペテの唾液は粘りが強い。猫毛に絡まる。が、幸い臭いはほとんど感じなかった。機甲塔に訪れてから悪臭づくしで、嗅覚が鈍ってるのかも知れないなと、ヴァニタスは思った。

 キューのスキンシップは、年頃の少年には少々毒が強かった。長い舌で舐められるだけではなく、彼女はためらいもなくヴァニタスの頬に口づけし、猫耳を籠絡しようと澄んだ甘い鳴き声で愛撫してくる。

 他種族の雄から精を授かるため、彼女らオキュペテは生まれつき淫魔じみた面も持つ。そのことをヴァニタスは知らない。もっとも、まだ幼体であるキュー自身も、ヴァニタスを性的に誘惑しているつもりはないのだろうが。

「キュー、ちょっと、あの……あ、危ないから。梯子から落ちちゃうから」

 どうにか(いさ)める。キューは首をかしげて「くぅ?」と鳴いた。言葉が通じないというのは不便なものだ。

「カルディエに見られたら、どうなるか……」

 目を吊り上げて怒り狂う彼女の姿が、無駄にはっきりと目に浮かぶ。正直、ヘカトンケイルより恐ろしい。

 すると、その恐怖の存在から通信接続要請が飛んできた。心臓が喉から飛びでかける。まさか見られているのかと現実離れした不安に襲われ、周囲を見渡してしまった。

 馬鹿をやっている場合ではない。ヘッドセットを操作し、通信開始する。

『ヴァニタス、いまどこだ!?』

 同じような通信が先日にもあったが、今回は状況の逼迫度合いが違う。カルディエの音声は悲鳴に近い。

「いま、縦穴を通って下に向かってる」

『こっちは……ちょっと大変だ』

 ヴァニタスが息を呑んだ。負けず嫌いのカルディエが『ちょっと大変』と言うことは、事態は最悪ということに他ならない。

『とにかく、ヘカトンケイルと機甲塔のリンクを切らなきゃ、どんなに攻撃しても効果がない。なんか良い策ないか!?』

「いい策……」

 機甲塔の管理電脳にアクセスし、ヘカトンケイルのリンクを解除できればいいのだが、管理電脳のある区画セクターは最上階付近であり、またそこは独立した強固なセキュリティに守られている。管理電脳に接触するどころか、近づくことすら不可能だ。仮にセキュリティを超えても、管理電脳をハッキングするには、アトラクのセブン・ギアセスなみの計算能力を持つ端末が必要になる。手持ちのタブレットでは力不足にもほどがある。

 どれだけ考えても策など浮かばない。いっそカルディエにも逃走に専念してもらうべきか。

「カルディエ、もうここから逃げるのは」

『ダメだ』

 はっきりと遮られ、ヴァニタスが目を丸くする。

「きっと物資は他でも手に入るよ、ここにこだわらなくても」

『違う』

「違う……って、どういうこと」

『物資の話じゃない。こいつをこのままにしておけば……この先も犠牲が生まれる。誰かを生かすための犠牲じゃない、過去の呪縛による、誰も幸せにならない犠牲だ。ここでこいつを眠らせてやるのが、この機甲塔に来たカルディエとヴァニタスの責務なんだ』

 甘い考えだろう。ここで誰が犠牲になろうとも、この先、遠くを目指すヴァニタスにもカルディエにも関係はない。根無し草は、土地に縛られないからこその根無し草だ。

 だが、ヴァニタスは、そんな甘い考えを毅然と口にするカルディエを誇りに思っている。

 残酷の満ちた世界で静かに輝く、その甘さを。

 応えたい。相方の期待に。

 ヴァニタスが呻きながら思考を巡らせる。状況、環境、経験、技術、どこかに答えがないかと。

 しかし、現実は厳しい。カルディエの一助となるような閃きは降りてこなかった。

「ごめん、カルディエ……僕にも策は思いつかない……」

『そっか……気にすんな、そっちも大変だもんな。こっちはこっちで頑張ってみるデス!』

 接続終了のビープ音を残し、カルディエとの通信が切れる。

 不安が募る。彼女が負けることなどない。ないと信じている。

 それでも―――

「くそ、迷っている場合じゃない」

 こうなれば一秒も惜しい。ヴァニタスは震える四肢を奮い立たせ、梯子を下り始めた。


 梯子を下りきった頃には、ヴァニタスの心臓と肺が限界を訴えていた。だが、まだどちらも休ませる訳にはいかない。

 到達した空間は真の闇だった。明かりとなるものが一切ないのだ。闇に怯えるキューの身震いがヴァニタスの肩に伝わってくる。

 ペンライトをつけ、闇を切り裂く。頼りない光を左右に振ると、複雑な機構を備えたコンテナや、用途のよくわからない巨大な装置などが闇の中から現れた。

「よし、特殊貯蔵施設で間違いない」

 予定通りの場所に到達できたことに、まずは安堵をもらす。

 図面通りならば、施設の角に管理室があるはずだ。そこで照明や大型運搬昇降機も稼働できる。

 ペンライトで前方を照らしつつ、慎重に先に進む。壁伝いであれば、この闇の中でも迷うことはない。

 が、途中で壁の前に立ちふさがる装置に阻まれた。仕方なく、その装置の表面をなぞるように進み―――突如、ペンライトを装置に向ける。

「これは……」

 装置をつぶさに観察する。大きなレール。駆動系の形。下部に備わった車輪と固定装置。

 ヴァニタスの脳裏に閃くものがあった。

 最上階のあの区画。ここにある装置。これならば可能ではないか。あの巨人と機甲塔内のリンクを切ることが。

 限界間近の足に喝を入れ、ヴァニタスは走り出した。床に伸びた配線や転がるパーツに何度も足を取られながら、それでも前へ。

 ペンライトの光が小部屋を照らす。管理室だ。扉は開け放たれたまま。不用心だが、いまは過去の粗忽者に感謝したい。

 管理室内の操作盤をまさぐり、目当てのスイッチをいくつかONにする。

 数秒の間の後、照明から落ちる光が貯蔵室内を白く包んだ。

 さらにヴァニタスは操作盤に指を這わせ、複雑な操作をこなしていく。以前潜り込んだ機甲塔のものと同じだ。経験が活きる。隣で不思議そうに様子を眺めているキューに微笑む余裕さえある。

「フローティングコンテナ……五番が使用可能か。中身は……いいぞ、超高圧縮金属溶液の収容タンク1ダース、具現化媒体も200キログラム。『質量』も充分だ」

 興奮に沸き立つ猫目は、次いで闇の中で発見した装置を捉えた。

 不死身の巨人に対する、乾坤一擲となりえる装置。闇の中で出会えた切り札。

「大型運搬用昇降機に乗せられるサイズだ……昇降機は最上階層直通……出力問題なし……コンテナの稼働テスト……いける。よし!」

 一挙に策が練り上がる。上手くいくかは分からない。しかし、これ以外に現状、策もない。

 成功させる。カルディエは言ったではないか。

 二人なら、なんでもできると。

 ヴァニタスは再びカルディエとの通信を試みた。


 ―― 2 ――


「とんでもねー策を思いついたな、ヴァニタス」

 居住エリアの一室に隠れるカルディエは、通信を切った後、どこか嬉しげに苦笑いを浮かべた。

 コートはところどころ千切れ、ハンティング帽もどこかでなくしてしまった。顔にも装甲にも深い傷が刻まれている。それでも紅い瞳は戦意を失っていない。むしろヴァニタスの通信を受けてから、その輝きは一層強くなっていた。

 電脳内で策を反芻する。二基の補助電脳が実現性の不確定さを訴え、策とやらの修正を促してくるが、主電脳たるカルディエは一言「うるせーデス」と却下した。

「ヴァニタスが練った策な。成功する、しないじゃねーデス。成功『させる』んだ」

 絶大の信頼。自分自身の一部たる補助電脳以上に。

「さて、昇降機までどうにか行かんとデスな……」

 軋む関節から、わずかに銀の液体が漏れている。色は違えど、それはジャガーノートにとって血液に等しい。

「もってくれよー、カルディエの体ー」

 これ以上のダメージは許容できない。慎重に行かなくては。

 と、その矢先だ。

 カルディエの背後の壁が爆散した。

 突き出す四本の豪腕。完全に不意を突かれたカルディエを捕らえようと襲いかかる。

 前に転げるようにカルディエが回避を試みる―――が、ツインテールを掴まれた。

 乙女の髪を掴むなど言語道断。しかし、ヘカトンケイルにそんなエチケットは通用しない。

 まして、これは殺し合いだ。

 壁を突き破りながら全身を現す巨人。掴んだ髪を手繰り寄せ、マニピュレータも利用し、またたく間にカルディエの自由を奪う。

「こ、このやろ、どこ触ってんだ! そこはヴァニタスにも触らせてないんだぞ、ふざけやがって!」

 ふざけているのはどちらだと言わんばかりに、ヘカトンケイルがカルディエの顔面を床に叩きつけた。

 おぞましい激突音。青白い火花が生まれ、部屋の天井にまで跳ね跳ぶ。

 強度と硬度を備えた床はすこぶる丈夫だ。なにせ失われた技術で作られている。果たしてジャガーノートの素体装甲と、どちらが硬いのか。

「がっ……!」

 視界がひどくぶれた。網膜投影された損傷ログが一気に流れていく。これは、この衝突は()()。効きすぎる。

 さらに二度、三度と、カルディエの頭部が力任せに床に叩きつけられる。

 恐ろしきはヘカトンケイルの膂力の強大さよ。100キロの鉄塊の落下に耐えるカルディエの顔面ですら、表面の耐衝撃型人工皮膚が剥がれ、その下にある装甲素体を露出しはじめた。

「やめっ……! ぐっ……!」

 叩きつける速度と強さが増す。もはや狂乱。ヘカトンケイルは咆哮を上げながら、己を解放してくれた礼とばかりに、カルディエに破壊を与え続けた。

 それは、状況を把握する冷静さの欠如も伴っていた。

 巨人の頭が跳ね上がる。

 顎から後頭部まで大穴が開いていた。下から天井の模様が見えるほどだ。

 穿ったのは、カルディエの右手が狙いもつけずに放った魔弾。

 具現化した電磁投射砲を、即座に格闘用装甲をまとったアームに変え、緩んだ拘束を弾き飛ばし、カルディエは部屋から逃げ出した。顔の右半分は人工皮膚を失い、右目もヒビが入って銀色の液体を流している。

 頬を伝う銀の液体は、涙のように顎をつたい、床に点々と跡を残していった。

「くっそ、あのやろー、乙女の顔を傷物にしやがって……」

 怒りに歯ぎしりがもれてくる。まだ余裕があるようにも見えるが、実際は限界間近だ。

 全身の損傷が危険な水準にまで達している。先程の叩きつけは特に効いた。具現化武装を展開できるのは、よくてあと一度か二度だろう。

 後方で、怒りに満ちた絶叫が聞こえてくる。本当にやつは人格を持たない機械なのだろうか。甚だ疑わしい。

 隠れていても執拗に追いついてくることを考えるに、なんらかの方法でカルディエを捕捉しているのは確実だった。それで奇襲をかけようにも感づかれ、また隠れていても容易に見つかりを繰り返し、ジリ貧に追い込まれた。

 だが、いまはそれが好都合だ。居住エリアを抜け、兵器工場区画まで逃げる。できるだけヘカトンケイルから離れないように、しかし追いつかれないように。

「追ってこい、でくのぼー……」

 左右にステップを踏んで狙いを逸らし、背後から飛んでくる弾丸を極力避ける。背負っていた耐久バッグを前面に回して、己の体で保護するのも忘れない。

「前にバッグ抱えても邪魔にならない貧相な胸部装甲で良かったデース! いやよくねーよ、泣くぞ!?」

 支離滅裂な自虐も、己への喝。それほどに追い込まれている―――ということにしておきたい。

 弾丸の嵐にさらされながら走り抜けること数分、ついに目的のものが見えてきた。

 中型昇降機。大型運搬用昇降機ほどの大きさではないが、カルディエのみならず、ヘカトンケイルの巨体を収めても余りあるキャパシティを有する。

 カルディエの指が上階行きのスイッチを押す。扉はすぐに開いた。

 目的の階層を入力し、背を入り口反対の壁に押し当てる。

 左手を積層偏光シールドに具現化。

 半透明のシールドの向こうに、扉の閉まりかけた昇降機へ突進してくる巨人が見える。

「さあ、来い。あとは、我慢比べデス」

 四本の腕が閉まる寸前の扉に差し込まれた。

 無理矢理に押し広げ、隙間に巨体をねじ込み、小癪な侵入者のいる昇降機へ同乗する。

 捕らえた。

 ―――それは、果たしてどちらのことか。

 昇降機は二体の驚嘆すべき兵器を乗せ、上へと昇り始めた。


 ―― 3 ――


「セットよし、充電よし……あとは、カルディエがあいつを無事に誘導してくれるだけだ」

 ヴァニタスが額を拭い、大きく息をついた。

 特殊貯蔵施設より運んできたレール状の大型装置と、それに乗せられたコンテナを交互に見る。装置に自走機能があったおかげで、苦労したのはコンテナの搭載ぐらいだった。あとは大型運搬用の昇降機で指定の階層まで一直線だ。

 昇降機の到着した階層は、ガランとした広い空間だった。大型な照明が天井に備わっているが、天井が高いため、部屋の底面部はやや暗く感じる。天井から吊り下がったアーム型の起重機が、どことなく場違いに見える。

 機甲塔に潜り込んで直ぐに手に入れた図面。そこに記載されていた他の機甲塔にはない区画、その場所であった。

 ヴァニタスとキューの前には、極めて巨大な隔壁が降りていた。隔壁と言うより、もはや部屋の壁そのものだ。この表面にも大きく「466―B2」と書かれている。隔壁の対面にヴァニタス達が使った大型の昇降機があり、隔壁に向かって左右の壁に二つずつ、中型昇降機の扉が設置されている。

 装置を隔壁から少し離れた場所、部屋のおよそ中央に移動させ、ヴァニタスはキューを抱きかかえながら、乱雑に置かれた廃コンテナの物陰に隠れた。

 タブレット型端末を取り出し、特殊貯蔵室の端末からリンクした機能が正常に動くか、入念なチェックを行う。ミスは許されない。一つでも不備があれば、自分もカルディエも、そしてキューもあの巨人に殺される。

「よし、遠隔操作できるな……」

 タブレットを懐にしまうと、ヴァニタスはキューの肩を掴み、真剣な眼差しで彼女に語りかけた。

「いいかい、キュー。これから何があっても、ここから動いちゃダメだよ。とても危ないことが起こるんだ。だから、いいね? わかった?」

「きゅぅ?」

 通じるとは思えないが、話しかけずにいられない。これから起こるであろう事態は、近距離で眺めることなどできない危険なものとなるはずなのだ。

 カルディエに通信をすべきか、思案する。場合によってはタイミングをあわせる必要もあるのだが、実は気づいたことがある。

 通信の電波をヘカトンケイルに感知され、彼女や自分の居場所に気づかれる可能性が高いのだ。ゆえに、策を伝える通信以降、こちらから接続要請を行えないでいる。向こうから通信がないということは、それだけ切羽詰まった状況とも言えるではないか。こちらが下手に動けば、カルディエにとって致命傷になりかねない。

 ―――でも、もしかしたら。

 何度か迷った末、ヘッドセットに手をかけた。

 その手が震える。

 否、手だけではない。全身が揺れている。キューもだ。

 震源は下。床が大きく揺れたのだ。

「な、なんだ……?」

 二度目の振動。そして金切る音。

 猫耳が前後に震える。音源は―――昇降機の扉の一つ。

 それが爆ぜ飛んだ。

 ドロイドは―――本当に扉の開け方を知らない。


 昇降機の到達を知らせるライトの点滅と同時に、重厚な二枚の扉が宙を舞った。一枚はヴァニタスの据えた装置に当たって床を滑り、もう一枚はあわやヴァニタス達を巻き込むところだった。

 廃コンテナに隠れていた二人が悲鳴を上げて抱き合う。

 昇降機から飛び出す小柄な影。それを追って出る巨大な影。

 カルディエとヘカトンケイルだ。

「しまった、予想より早い……!」

 ヴァニタスが舌を打つ。

 策を実行に移すには、隔壁を開かねばならない。しかし、隔壁を開くためのコンソールは、大型昇降機の脇にある階段を昇った管理室にあるのだ。

 通信を迷ったのが裏目に出た。

 だが、もう迷う訳にはいかない。

 ヴァニタスの胸が強く締め付けられた。カルディエは、遠目でもわかるほどの損傷を抱えている。抱えてなお、自分たちのために巨人に果敢に挑んでいる。

 その背で、勇気のなんたるかを教えてくれている。

「キュー、そこにいて!」

 ヴァニタスがコンテナの陰から走り出した。目指すは管理室。数十段の階段の先にある、機甲塔最後の試練の間。

 と、ヴァニタスの耳に鳥の羽ばたきが飛び込んできた。

 キューだ。やはり言葉は通じていなかったか。いまにも泣きそうな顔でヴァニタスに追いすがってくる。置いていかれると思ったのだろう。

「ああ、もう!」

 ヴァニタスがキューの体を抱えた。彼女が嬉しそうに鳴く。

「最後まで責任持たないとカルディエに怒られちゃうしね」

 笑って、後方を肩越しに見る。

 そこではカルディエがヘカトンケイルと大立ち回りを繰り広げていた。しかし、カルディエは防戦一方だ。展開している具現化武装も防御用のシールドのみ。さらに、ヘカトンケイルの射線に装置やヴァニタス達が入らないよう、あえて狙われやすいような動きに徹している。

 猶予はない。背負っていた荷物を全て投げ捨て、少しでも身を軽くする。

 が、その足が止まった。眼前を何かが高速で過ぎていったのだ。

 見れば、壁にいくつも穴が空いている。

 流れ弾か。違う。明らかに狙われている。ヘカトンケイルのガトリングキャノンの一つが、こちらに向けられているではないか。

「ヴァニタス、全速力で走れ!」

 カルディエが吼えた。防御も何も捨ててヘカトンケイルに飛びかかり、注意を反らす。

 銃弾がカルディエの装甲を削り取る。捨て身の代償。安くはない。

「カ……!」

 相方の名を叫びかけて、即座に自分がなすべきことを思い出す。

 ヴァニタスは一気に階段を駆け上がった。途中でヘカトンケイルの殺意が近くに着弾する。強固な壁に大穴が開き、階段の一部が吹き飛ぶほどの威力だ。

 それでも止まらない。当たるはずがない。信じているからだ。

 幸運を、ではない。

 相方が守ってくれている。守り通してくれる。そう信じているのだ。

 管理室への扉に手をかけ、鍵の種類を確認。ピッキングで開けられるものだ。流れる動きで工具を取り出す。恐怖を感じていても、ヴァニタスの指先は震えてはいなかった。

 数秒で鍵を開け、中に転がりこむ。

「隔壁の開閉スイッチはどれだ……!」

 操作盤に書かれた説明文は、時の侵食でかすれていた。闇雲に押さざるをえない。

 手近なスイッチをオンにする。

 すると、天井から垂れ下がった起重機が動いた。いま押したのは、起重機の作動スイッチか。

 となれば、そのスイッチの下に書かれている文章から、他のスイッチの意味もおおよそ推測できる。

「なら……これが隔壁の開閉だね」

 操作盤左にある黒いスイッチをひねる。

 正解だった。隔壁脇に設置された赤色灯が回転を始め、警告音が室内に響き渡る。隔壁の開閉は、それほどに危険を伴うのだ。

 なにせ―――隔壁の向こうには、夕日に染まった空が広がっているのだから。


 ―― 4 ――


 ヘカトンケイルが、突如として現れた外の世界に意識を奪われ、動きを止めていた。

 カルディエが呵呵と笑う。

「どした、でくのぼー! 外の世界を見るのは初めてか!?」

 ヘカトンケイルが吠える。それがどうしたと、機甲塔内では無敵を誇る不死身の体を震わせ、カルディエに襲いかかった。単純な突進だ。だが、威力が桁違いすぎる。

「ぐっ……!」

 とてつもない質量と出力の合わせ技を正面から受け、ついにカルディエのシールドがかき消された。これで彼女の防御手段は、そのほとんどが失われたことになる。のみならず、流しきれなかった威力により、カルディエが中央にある装置まで吹き飛ばされ、床に倒れる。

 カルディエの前に巨人が立つ。完全に開ききった隔壁から夕日が差し、機械仕掛けの二人を朱に染め尽くした。

 ヘカトンケイルの全身から生えた銃口が、一つ残らずカルディエに向けられる。

 これで終わりだと、吠えた。

 ただし―――吠えたのはヴァニタスだ。

 ヘカトンケイルの体が弾き飛ばされた。カルディエの頭上を飛び越え、ヴァニタスが設置した装置の上に無様に転がる。

『いまだ!! カルディエ!!』

 強制通信で飛んでくる、ヴァニタスの合図。管理室で操縦桿を握る彼の姿が見える。ヘカトンケイルを吹き飛ばした起重機の一撃は、カルディエの相方が送った最高のサポートだ。

 にやりと、カルディエが笑った。

 言ったとおりだった。二人一緒なら無敵だ。

 満身創痍の体に気合を込め、跳ね起きるカルディエ。そして一度の跳躍で、装置に乗せられたコンテナに舞い降り、コンテナに結ばれたワイヤーを左手に絡め、全力で握りしめる。

 舞台は整った。

 右手を横に突き出し、親指を立てる。

「目にもの見せてやれ、ヴァニターーーース!!」

 戦乙女の絶叫を引き金に、大質量のコンテナが装置―――マスドライバーによって弾き出された。

 爆発的な加速。数トンを超えるコンテナが音速に迫る初速を与えられ、レールに乗ったままのヘカトンケイルを巻き込みながら、夕暮れの空に射出される。

 ヘカトンケイルはコンテナ前面に張り付くようにしがみついていた。自身を上回る大質量は、ヘカトンケイルの怪力でもいかんともしがたく、とてつもない高速で飛ぶ空圧が彼の自由を奪う。

 混乱し、暴れ叫ぶ巨人。

 その顔に、何かが突きつけられた。

 黒く長い、七門の銃身。ヘカトンケイルのお株を奪うような、七連装30mmガトリングキャノン。

 カルディエの有する具現化武装の中で、単位時間あたりの最大投射量を誇る切り札―――破壊兵器『アヴェンジャー』だ。

 巨大な武装を右肩から生やした、アンバランスなまでのカルディエの姿。コンテナに立ち、左手でワイヤーを握りしめ、加速と風圧に抗いながらも毅然と敵対者を見下ろす様は、荒れ狂う騎馬を駆る姫騎士の如し。

「業深きものよ」

 アヴェンジャーの銃身が回転を始める。

 それは、終わりを意味する鎮魂歌。

 七つの銃口ラッパから高らかに鳴る、終末の回転音。

 巨人が震えた。

 自分に何が待ち受けているか、悟ったのだ。

海神わだつみと踊れ」

 緑の髪をなびかせながら、破壊が微笑んだ。

 放たれる無数の弾体。弾体。弾体。

 引き裂く。砕く。穿つ。何度も、何度も、何度も。

 カルディエは巨人の一切を見逃さない。全ての部位に等しく滅びを送り、彼を金属の挽肉へと変えていく。

 巨人を不死身たらしめていた再生は―――発現しなかった。

 機甲塔の修復システムリンクは、()()()()()()()()()()()()()

 呪われし百腕の農夫は原型とどめぬ屑鉄となり、黒き海に混じって、この世から影も形も失った。

 いままで己がオキュペテをそうしてきたように。

 あとには、海に広がる波紋だけが残った。


「カルディエ!? カルディエ!!」

 階段を駆け下りながら、ヘッドセットで必死に呼びかける。だが返事がない。まさか、海に落ちてしまったのだろうか。

 マスドライバーでヘカトンケイルを外に弾き飛ばす―――その計画を立て、実行に移したはいいが、マスドライバーの出力とコンテナの耐久性のバランスまで確認している時間はなかった。ややもすれば、コンテナが空中分解した可能性もある。

 隔壁の先、外界を臨む縁まで走る。慌てすぎて落ちるところだった。遙か眼下に見える黒い海面に肝が冷える。

 コンテナは、カルディエはどこに。

 すると、ヴァニタスの横を風が抜き去っていった。

 大きく広げられた翼が視界を埋める。キューだ。解放の喜びを歌うように、美しい鳴き声を夕暮れの空に響かせる。

 キューの鳴き声に反応したのだろう。彼女の周りに他のオキュペテも集まってくる。

 十数羽は集まっただろうか。世にも美しい鳴き声の和音にヴァニタスが心奪われていると、集団からひときわ大きい個体が、キューと並んでヴァニタスに近寄ってきた。

 美しい。その一言以外に表しようがないオキュペテであった。おそらくは、集団の長であろう。美しさのみならず、威厳も備えている。オキュペテは知能が低いなどと誰が決めたのだ。切れ長の瞳に宿る智慧の輝きは、ヴァニタスでも飲み込まれそうなほど深い。

 長は、ヴァニタスに向かって深く頭を下げると、突然、彼の両肩を鉤爪で掴み、空へと連れ出してしまった。

 あまりに突然のことで、ヴァニタスは悲鳴も出なかった。それどころか、空を飛んでいることに今まで感じたことのない高揚感を覚える。

 どこへ連れて行かれるのかと考えていると、次第に海面に向かって近づいていることが分かった。

「あ……」

 ヴァニタスが長の行動の意味を理解した。そして、隣に並んで飛ぶキューを見つめ、微笑みを向けてくる彼女にありがとうと囁いた。

 キューは、自分を救ってくれたものに恩を返したいと、仲間に訴えたのだろう。

 データベース内のオキュペテの項目を書き換える必要がある。彼女らは、高い知能と豊かで慈愛に満ちた心を持つと。

 ヴァニタスの視界がゆがむ。涙が自然と溢れてきた。

 涙を拭かねば。きっと『彼女』にからかわれる。

 ゆっくりと降下していく先に、海面に浮くフローティングコンテナ。

 その上で、大の字になって寝転がる、一人の少女。

 カルディエの脇に降り立ったヴァニタスは、無敵の相棒に身を重ね、共に困難を乗り越えた喜びを分かち合った。

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