648-1839「それは地獄の釜を気取るもの」
―― 1 ――
貯水施設を抜け、下層に続く階段を進んだ先は、大型の工業機械群の並ぶ暗い空間だった。
図面によれば、ここは兵器工場および修理施設だったようだ。
大出力を誇る大型の工具や、いまは動くことのない機械たちの死骸。作業に従事していたのか、もしくはここで作られていた製品だったのか、人型や戦闘用ドロイドの残骸も無数に転がっている。
「……」
カルディエの口数が少ない。警戒しているため。それも理由だろう。だが一番の理由は他にあると、ヴァニタスは察していた。
人型のドロイドは、いわばカルディエの姉妹と言える。彼女にしてみれば、ここは野ざらしの墓場なのだ。
人型のドロイドを作れる工場ならば、カルディエに適合するパーツもあるはずだ。探す余裕はあるだろうか。
ふと、ヴァニタスが右腕を軽く振った。きしきしと音が鳴る。
明らかに生身の出せる音ではない。
「どした、ヴァニタス」
「あ、うん、右腕がね、ちょっと」
「もしかして、さっきカルディエが強く引きすぎたせいか……?」
おそらくはそれが原因だろう。しかし、ヴァニタスは苦笑を浮かべただけで明言しなかった。
「ちょっと調整するね。警戒お願い」
「おう」
ヴァニタスは手頃な箱を椅子代わりにすると、上着を脱ぎ、作業用グローブも外して、右腕をあらわにした。
ヴァニタスの右腕は、肩口まで全て機械式の義手だった。
苦い思い出が蘇る。この世界の理不尽に、抵抗すら出来ず右腕を奪われた記憶は、忘れようにも忘れられない。
「……痛む、デスか」
カルディエの声は普段のような快活さを失っていた。代わりに、黒く淀む怒りに満たされている。
ヴァニタスは知っている。彼女は、この右腕を奪った相手を殺したいほど憎んでいるのだ。
前腕の表面装甲を撫でる。感覚に問題はない。
機械義手に圧覚・触覚や温度センサーは備わっているが、痛覚は備わっていない。
にも関わらず、まれに痛むのだ。
もはや存在しないはずの、生まれ持った自分の右腕が。
「大丈夫。問題ないよ」
「無理するな」
「うん、心得た」
わずかに歪んだフレームを精密ドライバーで調整し、関節部のアクチュエーターや配線を確認する。肩を回し、肘を曲げ、手首を回して最後に指を開閉する。先程の異音は消えている。大きく壊れた箇所もなさそうだ。
「すっかり扱い慣れたな」
「うん?」
投げかけられた言葉の意味を測りかね、ヴァニタスが小首を傾げた。
「その腕デス。違和感なさそうに使ってるし……」
「そうだね、だいぶ慣れたよ。最初は物を持つのも大変だったけど」
「そっか……」
「気にしてるの? カルディエ」
だってと、やや語気を強めてカルディエが返した。
「カルディエは……あのとき、ヴァニタス守れなかったから……」
彼女にとって、ひどく負い目なのだろう。
アトラクと拘束技師の守護者たるジャガーノートとして。ヴァニタスの相棒として。
忸怩たる思いがあるのは、彼女の表情を見れば誰にでも理解できる。
だからこそ、ヴァニタスはできるだけこの腕を彼女に見せたくはなかった。
「あれは、僕の不注意が招いた結果だよ。カルディエが気に病むことじゃない」
「でも……」
「あいつという存在を知れた勉強代みたいなものさ。命まで取られなくてよかったんだ。それほどあいつは危険な存在だった。理不尽の権化みたいな、ね。この海のどこに致死の罠が潜んでるか分からない……行きの船でカルディエの言った通りさ」
そう言われても納得できない―――カルディエの不満げな唇が、そう無言で抗議している。彼女の頑固さは筋金入りだ。
「もう関わることもないはずだよ」
「それは困るデス」
予想外だった。二度と遭遇したくないものだとばかり思っていたから。
「いつかあの『鶏ガラ野郎』に、生まれてきたことを後悔させてやんなきゃデス……カルディエの全てをかけて」
復讐の決意を鋭い眼光に乗せ、カルディエが吐き捨てる。殺意の矛先が自分に向いているわけでもないのに、ヴァニタスの身がすくんだ。
気を取り直して最後の調整を済ませる。上着をまとい、もう一度だけ肩を回し、力こぶを作るように万全をアピール。その仕草が面白かったのか、剣呑な雰囲気をまとっていたカルディエも吹き出してしまった。
「おまたせ、カルディエ。ヘカントケイルの駆動音は聞こえる?」
「いや、いまのところは聞こえないデス」
「そっか……少しここを探索してもいいかな? 君や僕の腕に使えそうなものがあるかも知れない」
「わかった。カルディエが引き続き警戒してるから、手早くやっちゃって」
許可はもらえた。心置きなく探索に専念できる。
ヴァニタスはペンライトを片手に手近な格納庫を調べ始めた。
一時間ほども探し回っただろうか。機甲塔の規模からすれば少々期待はずれだが、それでも収穫はあった。特にジャガーノートの動力部となるメガキャパシタと、流用可能なアクチュエーターがいくつか手に入ったのは大きい。
収穫の品は重量があるので、カルディエの持つ耐久バッグに入れて運んでもらう。
「さすが四〇〇番台のB種だね。色々残ってる」
「厄介者まで残ってるのは困り物だけどな」
「まあ、すんなり探索し終えたことのが稀だしね……」
残す目標物は超圧縮金属溶液と具現化媒体。どちらも白い橋を建築するために必須の素材だ。
実のところ、両方の在庫が危険水域に達したのが、この機甲塔に訪れて盗掘まがいのことをしている理由だった。
だからこそ、その二つを取り逃がすのはどうしても避けたい。
「さあ、ここからが本番……ん?」
嗅いだことのある臭いがヴァニタスの鼻をつく。
記憶に新しい。ヘカトンケイルの撒いていた茶褐色の液体の臭いだ。
総毛立つ。やつが近くにいるかもしれない。
「か、カルディエ……!」
「安心して、駆動音はしない」
右腕に絡まるカルディエの両腕から、信頼と安心感が染み渡ってくる。恐慌状態に陥る寸前の心臓も冷静さを維持してくれた。頭も冷えて思考が明瞭になる。
近くにやつはいない。だが、あの悪臭が漂ってくるとすれば、それは液体の貯蔵されている場所が近いということなのだろう。
気になる。まんべんなく作物に撒かれていたのだから、おそらくは育成に必要なもののはずだ。
ヴァニタスが腕を組んで思案にふける。いつだったか読んだ、アトラク・データベース内の農業の項目。確か、肥料というものが重要な役目を果たしたはずだ。材料となるものは何だったか。思い出せない。
ひとまず肥料のことは頭のすみに追いやり、タブレットを操作して図面を開く。
臭いの漂ってくる方向にあるのは、廃棄物処理施設関連のエリアだ。そこから下層に行けなくもないが、目的の場所に行くのならば、一旦工場の入口近くまで戻り、昇降機を利用したほうが早い。昇降機の使用は、ヘカトンケイルに感づかれる危険性とのトレードオフではあるが……
どちらが最善か、しばし悩む。
すると、細い猫背をカルディエが強めに叩いた。
「後ろから来た……!」
緊迫したカルディエの囁き。
何が、と聞くまでもない。
逃げ道は。周囲を見渡す。下層への階段は駆動音の方向と重なる。そちらへは行けない。格納庫に逃げ込んでやり過ごす。万が一格納庫にやつが入って来たら終わりだ。隠れられる茂みはない。
タブレットに機甲塔の図面を展開。退路はあるか。
ヴァニタスが歯をきしらせた。前しか無い。
それは、あの悪臭が漂ってくる方向であった。
―― 2 ――
荷物を抱えたまま出来るだけ早く、かつ音を立てないよう移動するのは、思いのほか重労働だ。猫脚を持つヴァニタスであっても―――むしろ肉体労働は自信がない―――またたく間に息が荒れていく。
工場地帯を抜けると、明かりのまばらな通路が待ち構えていた。他に道もなく、そこに飛び込む。
角を幾度か曲がり、途中のスライドドアを無視して奥へ、奥へ。
しかし、失策だった。通路の終点で隔壁が降りている。機甲塔に入ってから唯一作動している隔壁だ。運がないにも程がある。
隔壁の上部に換気用の隙間があるが、とても通れそうにはない。隔壁自体も相当に頑丈だ。カルディエの兵装でこれを破るとなると、大幅に時間を要する。工具と兵器では、求められる『破壊のあり方』に違いがあるのだ。
「くそ、ここで!?」
ヴァニタスが錆びた表面に拳を打ち付けた。隔壁中央には『466―B2』と書かれたナンバープレート。まるで墓標だ。忌々しい。その上、例の悪臭が一層強くなっている。どうやら換気用の隙間から漂っているようだ。
この向こうに臭いの元があるのか。
「ヴァニタス、ここ!」
相方に示された先にコンソール。隔壁の開閉管理をしている装置と推測される。
ヴァニタスの行動は早かった。工具ポーチから無数の工具を取り出し、機械の如き正確さでコンソールの蓋を開け、一瞬でタブレットと基盤を接続する。
起動。同期。解析。
遅い。いや、遅く感じる。気が逸っている。ぎしぎしという駆動音のタイムリミット付きだ。いやでも気も逸る。
―――今日の試験問題は難問が多すぎだよ!
皮肉を言う以外に気を落ち着かせる方法もない。
見れば、カルディエが通路の真ん中に仁王立ちしていた。場合によっては迎え撃つということだろう。
されど場所が悪い。遮蔽物の一切ない直線の通路だ。遭遇と同時に我慢比べじみた弾の撃ち合いになる。
単純な火力の投射量ならば、ジャガーノートとヘカトンケイルのどちらに分があるか、ヴァニタスにも測りかねた。しかも、カルディエの背後には脆弱な生身の自分がいる。戦いに巻き込まれれば数秒もせずに猫肉のミンチだ。
まだか、まだか、まだか。隔壁を開く魔法の言葉は。イフタフ・ヤー・シムシムと猛り響く、開門の合言葉は。
駆動音が大きくなる。
自分たちは、いくつ角を曲がった? あと何回、やつが角を曲がったら終わりが訪れる?
タブレットを投げ出したい衝動。抑え込む。自暴自棄になることは許されない。許さない。
カルディエは言ったではないか。『二人なら、なんでもできる』と。
ならば、応える。
―――僕は……カルディエの拘束技師だ!
揺るがぬ信念が、解錠の到来を誘った。
隔壁が上がっていく。
全て上がるまで待つ余裕はない。通れるだけの隙間ができると、二人はすぐさま隔壁の向こうへと身を滑り込ませた。
ヴァニタスの行動はそこでは終わらない。
こちら側にもあるはずのコンソールを探す。似たような位置にあるため、発見は容易。先程と同様の手順で蓋を開け、接続する。
すでに門の鍵は手中に収めている。隔壁を再度下ろすなど造作もなく、管理権限を奪い、他の誰にも操作させないようにすることも、また。
ごうんと重い音をたて、隔壁は完全に閉まった。
盛大に息を吐き出す。息をすることを忘れかけていたのだ。
「すごいな、ヴァニタス」
カルディエの称賛が心地よい。この人に褒められるのは、とても嬉しいことだった。
駆動音が次第に近づいてくる。隔壁越しでも分かるほどに。
二人は隔壁から離れ、部屋の隅に積まれた縦長の容器の陰に隠れた。
ヴァニタスの猫毛を揺らすほどの音量となった瞬間、駆動音が止まった。隔壁のすぐ向こうにいるようだ。しばらく動きがない。隔壁が反応しないことに首でもかしげているのかも知れない。いかなヘカトンケイルであっても、あれほどの隔壁を力任せに破壊するのは無理筋だ。
ややあって、駆動音が遠ざかっていくのがわかった。
二人は危機を切り抜けられたのだ。
恐怖が薄れると、各感覚器に情報を受け取る余裕が出来てくる。
今回はその余裕を喜ばしいと感じるか、微妙なところであった。あの悪臭の源泉が間近にあるからだ。
あからさまにヴァニタスの顔が歪んだ。吐き気すら催す臭いが鼻孔を侵略してくる。
部屋の明かりはくすんでおり、全体を照らすには極めて心もとない。物陰の闇はどれも濃かった。
猫目を凝らして見渡すと、奇妙なものが二つ。巨大なタンクと、用途の分からない大型機械。部屋はそこそこ広く、天井も高い。部屋の中央を境に段差があり、下段にタンクが据えられ、上段に大型機械が設置されている。両者はベルトコンベアで接続されており、合わせて一つの設備ということが分かる。
タンクの周囲には、汚れきった空の容器が並べられている。ヴァニタスたちが身を隠したものと同じ物であり、ヘカトンケイルが液体を汲み出していた物と同一だ。やはり、ここから汲み出していたのだ。
タンクに少し近づいただけで、一気に臭いの濃度が跳ね上がった。無策では昏倒しかねない。
ヴァニタスはバッグからガスマスクを取り出し、装着した。清浄な空気のありがたみを存分に知る。
タンクは見上げるほどの高さだ。下段からでは中身までは見えない。ヘカトンケイルほどの身長があれば話は別だが。
普通のサイズの者のために、上段に登るための梯子が設置されていた。上段からならば、タンクの中身も見えるだろう。ヴァニタスは目線でそれを示し、カルディエが先導を買って出た。
登った先で、大型の機械が待ち構えている。そちらの用途も気になるが、ヴァニタスはまずタンクを調べることにした―――が、即座に後悔した。
ペンライトで照らされた中身の醜悪な有様。一生忘れることができないほどの混沌のるつぼ。
悪臭放つ茶褐色の粘る液体に、なにかが時折浮いては沈み、泡を伴って漂っている。
これはなんだ。なにが混ざっている。
溶けた糞便にも似た液体に混ざる、明らかに糞便とは違う固形物がなんなのか、ヴァニタスにも分からない。
「なあ、ヴァニタス……ちょっと」
カルディエの呼び声は震えていた。気丈な彼女の怯える声など、ヴァニタスの記憶にない。
「どうかした、カルディ……エ……」
二人の視線はベルトコンベアに注がれていた。
血と肉と羽根のこびりついた、その表面に。
大型の機械の用途も、ここで何が行われていたのかも、想像に難くない。
ならば、このタンクの中身は。
作物を育てるための肥料とは。
「あいつ……オキュペテを……」
おぞましい行為が脳裏をよぎり、ヴァニタスは必死に頭を振った。
ヴァニタスは理解した。このタンクは釜だ。悪意を煮詰めて腐らせ貯蔵する、地獄の釜だ。
その時、大型機械の向こうで鳴き声がした。
カルディエと顔を合わせる。
二人は大型機械を迂回し、上段の反対側へと足を運んだ。
そこに、檻があった。大きな檻だ。何人もの人間を同時に閉じ込めることができそうだ。中には一羽の鳥―――を思わせる有翼の少女が捕らえられていた。
なるほど、オキュペテを捕らえる鉄の鳥かごというわけだ。ある意味予想通りのものだった。
だが、予想外のものが檻の前に転がっていた。
大量の作物。その中心に横たわる。埃を被った一揃えの防護服。
明らかにそれは、旧世界の『人間』を内包していた。