648-1839「百腕の案山子」
―― 1 ――
軋む音は、居住セクター直下の階層、貯水施設から響いていた。
巨大な浄水システムと貯水タンクが織りなす複雑な造形は、剥き出しになった金属製の臓物を連想させる。機甲塔の各部がいまだ健全なように、ここもまた作られた意義を全うすべく、金属のパイプに汚水を走らせ、球形の浄化装置で汚物を一つ残らず除去し、膨大な貯水タンクに清水を貯め込んでいる―――その水を必要とする者がいるかいないかは、関係なく。
太いパイプから響く音は、水の流れる濡れた音。そこに混ざる不規則な泡の脈動は、かぷかぷと笑う生き物の声にも聞こえてくる。
単調に繰り返される泡の笑い声を耳にしていると、ヴァニタスは軽い酩酊を覚えるのだった。
かぷかぷ、かぷかぷ。見えないがそこにいる、何かの気配。不思議と怖くはない。
猫耳を振るい、幻聴を弾く。機甲塔の中の現実離れした空気は、どうにもヴァニタスの心を解放してくれない。幻聴にまとわりつかれながら不気味な音を追っていると、作り話の世界に迷い込んだ気さえしてくるではないか。
心と体を乖離させた状態は危険だ。気を引き締め、前を進むカルディエの背を見つめる。
適度な物陰から物陰へ。巧みに歩を進めながら、二人は音のする方へと忍び足で近づいていった。
いまはヴァニタスの耳にも、はっきりと聞こえる。ぎいぎいと鳴る、耳障りな機械の駆動音だ。
音源は施設の中を移動しているようだった。足を止めると、音が遠ざかっていくのが分かる。
―――ガードユニット? 巡回しているのかな……それにしては修復システムにメンテナンスされてないような駆動音だ。でも保全作業用ドロイドにしては、駆動音が大きすぎる。もっと大型の機械だ。保全用でないとしたら……稼働してる理由は?
ヴァニタスはまとまらない推測に首をひねっていた。
と、前を行くカルディエの後頭部に鼻をぶつけてしまった。いつの間にか彼女が足を止めていたのだ。
「いった……!」
「ぬわ、気をつけるデス、ヴァニタス……!」
「ごめん……その、急に止まって、なにか動きがあったの?」
「音の主の動きは変わらないですが……これ」
目線で示した先に、ブルーシートが敷かれている。シートの下から数本のワイヤーが伸びており、近くの柱の陰を通って、天井近くのパイプに据えられた巻取り機に接続されていた。
「これって……罠?」
ヴァニタスの推測をカルディエが頷いて肯定する。
「非致死性の捕獲トラップ……たぶん、そこのブルーシートに乗ると反応する」
「ずいぶんとあからさまに設置してるけど……」
「人が対象じゃないんじゃないデスか?」
「と、言うと?」
「例えば……オキュペテとか」
ヴァニタスがふと思い出す。通路に散乱していたオキュペテの羽根は、不自然なほど量が多かった。
あれは、オキュペテ同士の喧嘩によるものではなく―――
「この音の主が、意図してオキュペテを生け捕りにしてる……ってこと?」
「オキュペテだけが狙いかどうかはわかんないけど……生け捕りはしてると思うデス」
ヴァニタスが首を傾げて唸る。
不可解であった。音の主がセキュリティシステムの一部であるのならば、わざわざこんな原始的な罠を用いて生け捕りにする理由はない。もしかしたら、音の主は自分たちのような侵入者の可能性もある。セキュリティの切れた機甲塔を根城にしたわけだ。外の世界に比べれば快適には違いない。
「それとな、足止めた理由がもう一つ」
「うん? まだなにか?」
「臭いがするデス」
目で臭いの漂ってくる方向を示す。軋む音の進む方向とは別だ。
「臭い?」
「うん……これ、もしかしてなんだけど……陸上植物デスか?」
ヴァニタスの猫耳がピンと立つ。
陸上植物の存在は、アトラクのデータベースでしか知らない。急激に好奇心が首を持ち上げ始める。
ヴァニタスはカルディエのコートを引っ張ると、にやける口元を必死に隠しながら、一つの提案をした。
駆動音の追跡を切り上げ、臭いのする方向へと舵を切った二人は、辿り着いた場所の光景に目を奪われていた。
広い空間に生い茂る、多くの植物。床は褐色の地面となり、ヴァニタスの知らない植物が整然と植えられている。
「これは……すごい、すごいよ、カルディエ」
興奮が抑えきれない。血液が沸騰していく。
大抵、機甲塔の中で見つかる食料は、どれもステイシス・パック処理を施された味気ない保存食ばかりだ。
だが、見よ。ここに溢れる新鮮な生命の芳醇な彩り、その香り。
もはや我慢の限界だった。ヴァニタスがカルディエの制止も聞かず、走り出す。
「これは……データベースに載っていたぞ。旧世界の食用品種だ……こっちもだ。これも。これも。すごい、何種類あるんだ。どうなってるんだ、ここは」
次々に植えられた作物に手を伸ばし、しかし決して傷つけないよう、優しく触れる。ときには鼻を近づけて匂いを脳に刻み、ときには葉をかき分けて内部をつぶさに観察する。完全に好奇心に我を忘れている様子だった。好奇心は猫をも虜にする、といったところか。
水を撒かれた直後だろうか。作物はどれも透明な雫で着飾っている。よく見ると、地面には配水管が張り巡らされていた。自動給水設備が実装されているのだ。
ヴァニタスの視線が壁と天井を交互に行き来した。
「元々は、別の目的の施設だったのかな……パイプや配電設備が不自然に接続されてる」
加えて、もっとも目を引くのが足元だ。
しっかりとした土の地面。ヴァニタスも見るのは久しぶりであった。
図面を展開し、ここが本来どのような区画だったのか、調べる。
「貯水施設併設の空気清浄用積層フィルタールーム……? そうか、植物なら、ほぼ同じ効果を得られる……水場も近いし、確かに最適な場所だ」
妙に納得する立地に感心を示すが、では、ここを農場に改装するに至った経緯はなんなのか。ますます興味が湧く。
ふと、部屋の中央に生える大きな植物が目に止まった。
それは枝に紅く丸い物体をいくつも吊り下げた、奇妙な植物だった。
ヴァニタスの心がざわめく。
あの植物から目が離せない。いや、心が離せない。
「あれが林檎な」
いつの間にか隣に立っていたカルディエが、抑揚のない声で囁いた。
「あれが……」
先だって手に入れた本の中で、主人公の命を奪うこととなった果実。
人の命を容易に奪うのも分かる。あれは、血のように紅いではないか。
「……カルディエ、知ってたんだ。林檎」
「カルディエも今まで見たことないデス。でも、知ってる」
不思議な物言いだが、カルディエにとってはいつものことかと、ヴァニタスが納得する。
「食べられるのかな」
「毒林檎かもしれねーデス」
「え、林檎って、毒があるの?」
「ごめん、適当言った」
「もう、こんな時まで……」
緊張感のない相方に辟易しながら、ステイシスパックを取り出し、特に大ぶりの果実をもいで収める。
「やっぱ食べるのか?」
「いや、持って帰って、研究にね……」
食欲以上に好奇心が膨らんでいる。旧世界の作物など、どれほどの価値があるか想像もつかない。
刹那、気づくことがあった。
そうだ。ここにあるのは、カルディエすら見たことのない旧世界の作物。勝手に生えはしない。誰かが手入れをしなければ、このように瑞々しく育ちはしないのだ。
「もしかしたら、さっきの駆動音は……この植物を育成している『何か』のもの?」
「機甲塔の中で原始的な食料生産デスか。成果を見る限り、上手くやってるようデスが」
「うん……なぜここで、わざわざこれをって疑問はあるけどね」
「種子は機甲塔に保管されてるケースもあるし、それを利用してってわけなんじゃねーデスか?」
「水、光は問題ないだろうけど……」
ヴァニタスが足元の土を指でなぞる。
「植物の育成には、土壌に充分な栄養が必要なはずだ」
この土をどう作ったのか。ヴァニタスにとってはそれが最大の疑問であった。
と、同時に背筋に緊張が走った。
―― 2 ――
駆動音。近距離。
カルディエがヴァニタスの右腕を引き、大きな茂みに飛び込んだ。
即座に外の様子を伺う。右肩の痛みに耐えながら、ヴァニタスもそれに倣う。
駆動音を引き連れて、巨大な影が農場の入り口に姿を現す。
茂みから見えたのは、汚れた容器の積まれた台車を押す巨大な機械人形。
彼は錆の浮いた装甲板をぎしぎしと鳴らしながら、背面から無数に生えたマニピュレータを巧みに操り、容器の中の液体を地面に撒き始めた。
「なにあれ……って、なんて臭いデスか、これ……!」
撒かれる液体の強烈な悪臭は、鋭敏な嗅覚を持つ二人には耐え難かった。カルディエは感度を調整すればいいが、生身のヴァニタスはそうはいかない。
猫鼻を手で塞ぎながら、ヴァニタスは機械人形をじっと見つめた。
機械人形は一通り液体を撒き終えると、畝の間を進みながら、作物一つ一つを観察し始めた。
手慣れている。作物たちの世話を行っているのは、あの機械人形で間違いない。
だが、なぜ『あれ』が。あれほどの『兵器』が。
「……まずい、カルディエ。あれ、剥き出しの素体に装甲板貼り付けてるだけの見た目だけど、中身はヘカトンケイルだ」
カルディエの眉が跳ねた。
「百腕の殲滅者……!? なんでそいつがこんなとこで臭い水を撒いてるな……!?」
「わからない……誰かが、そう改造したのかも……」
「対多数戦闘用重装ドロイドを……農作業用ドロイドに? 良い余生送ってるデスな、あいつ」
「完全に作業用にされてるならいいんだけどね……もし、戦闘機能がまるまる残ったままなら……」
ヘカトンケイルの戦闘能力は嫌というほど思い知らされている。行きに襲いかかってきた巨大魚など、ヘカトンケイルに比べれば、ただの小魚だ。
注意深く巨人の動向を追う。
巨体を縮めて作物の世話をする姿は、牧歌的とすら思える。中身もその通りであれば言うことはないのだが……期待するのは愚か者のすることと、ヴァニタスは肝に銘じている。
巨人の作業は滞り無く進み、部屋の中央、ヴァニタスたちの隠れる茂み近くに差し掛かった。
否応なしにヴァニタスの心音が大きくなっていく。いまだ見つかっていないのだから、ヘカトンケイルのセンサーはそのほとんどがスタンバイ状態にあるのだろうが、なにがきっかけで作動するか分からない。心音で見つかってしまうのではないか、いや身じろぎ一つで居場所がばれてしまうのでは。恐怖心が際限なく大きくなっていく。
ヴァニタスの心配をよそに、巨人は歩みを止めずに茂みの前を横切っていった。どうやらやりすごせそうだ。安堵のあまり、少々大きなため息が漏れた。
瞬間、巨人の動きが止まり、今までの緩慢な動作が嘘のような速さで、二人の隠れる茂みへ体を向けた。
ヴァニタスの尻尾が最大まで膨らんだ。どれだけの恐怖を感じたのか、実にわかりやすい尻尾であった。
見つかったのだろうか。ため息が聞かれたのか、いや、見つかってはいないはず。そうに違いない。そうであって欲しい。頼むから、こっちに来ないで。
残念なことに、少年の願いは儚く打ち砕かれた。
ヘカトンケイルの装甲板が押し上げられ、内部のいたるところから重火器が飛び出したではないか。
ヘカトンケイルは、ただ火力任せの兵器ではない。無数の目を持つ頭部は、各種センサーアイが備わっている。普段稼働しているのは光学カメラのみだが、不審な存在がありと感知すれば全センサーアイを起動し、索敵を行う。そうすれば、やつにとって、こんな茂みなど無いも同然となる。
―――ここは危険だ!
恐怖に負けて茂みから逃げ出そうとしたヴァニタスを、しかしカルディエが覆いかぶさるようにして押さえ込んだ。
理由がわからず、半狂乱に陥るヴァニタス。
近づくヘカトンケイルの足音。もう間に合わない。逃走の機会は失われた。あとは神頼みだ。
鼓動が早まる。今にも穴という穴から血が吹き出しそうな痛みを感じる。両手で必死に口を押さえ、漏れ出そうな悲鳴を殺す。
なぜ、カルディエは自分を逃がそうとしなかったのか。まさか判断を間違えたのか。
ついに殲滅者が茂みの前に到達した。
凶悪な大きさと重さのメインアームが振りかざされる。勢いを持って落とされれば、ヴァニタスの体などあっけなく四散するだろう。
せめて苦しまないようにしてほしい。ヴァニタスはすでに生存を諦めていた。
ふと、思う。カルディエと一緒ならば、それも悪くないと。
剛力と質量を合わせた一撃が、空を裂いて振り下ろされた。
ぐちゃりと音を立て、鋼鉄の拳に潰されたものの中身が飛び散る。
鋼鉄の巨拳は―――茂みのすぐ横に落とされていた。
潰したのは、一匹の巨大な蟲。作物の葉をかじろうとしていた害虫だ。世界が滅んでも生き残るしぶとい生命力でも、巨人の拳には敵わなかった。
ヘカトンケイルは狼藉者の成敗が終わると茂みから離れ、来たときと同様、ぎしぎしと体を鳴らしながら台車を押して去っていった。
「……もう大丈夫」
カルディエがヴァニタスを解放し、恐怖に震える彼の体を優しくさすった。
「カルディエ……い……いまの……は……」
「あいつ、センサーアイがほとんど死んでる」
「えっ、そうなの……?」
「たぶん、単純な光学カメラぐらいしか稼働してない。素体が剥き出しだったでしょ? 植物を観察しているとき、各カメラのコネクタ部分が見えたデス。配線がどれも切れてた。サーモも磁気観測もできないと思う」
「それで、茂みに隠れてた僕らに無反応で、動いてた蟲に反応したんだ……」
カルディエの行動に合点がいった。下手に動くより、茂みの中でやり過ごしたほうが良かったのだ。むしろ、恐怖に駆られて飛び出していたら、弾丸の洗礼を受けて土の一部となっていたかも知れない。
カルディエには押さえ込んだ理由を説明する暇もなかったとはいえ、ヴァニタスは生きた心地がしなかった。
「びっくりしたよ……死ぬかと思った」
「ごめんな。重火器出されちゃったから、ヴァニタスの生存率が最も高い方法、あれしか思いつかなくて……」
「ううん、僕こそごめん。カルディエ一人なら、あんなやつに負けないのに……足引っ張っちゃったね」
「気にすんな。言ったろ。カルディエとヴァニタス、二人で一つな」
軽く握られた鉄の拳が、少年の胸板を静かに叩いた。
ヴァニタスの動悸を鎮めるには、効果てきめんの一撃だった。
「これからどうするデス……? 不意打ちでアイツをぶち壊せば、危険も減るとは思うけど」
「できれば戦闘は避けたい。あいつの仲間がいないとも限らないし」
「もっともな。じゃあ、当初の予定通り、下層へ一直線デスな」
凶悪な障害物があると判明した以上、大幅な寄り道は愚策となる。必要最低限のコースを選ばなければいけない。
ヴァニタスは足腰に力を入れ、茂みから抜け出した。