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ポン・デュ・ガールは永遠に  作者: デクストラ・シニストラ
第一章 「ポン・デュ・ガールの旅人」
5/65

648-1839「機甲塔にて蠢く」


 ―― 1 ――


 カルディエがささやかな破壊活動を行ってから、四作業単位が経過した。

 本日は作業工程第648フェーズ、第1839作業単位。現時刻、午前九時十二分。晴天。微風。波は穏やか。遠方の中空に浮揚海月(バルーンジェリー)の群体と、そこから垂れ下がる触手ををついばむ螺旋魚の群泳あり。遠くで海面から吹き上がる水柱は、無頭鯨の仕業だろう。

 黒き原罪の海の変わりなき日常。過去から続き、未来へと繋がる現在(いま)が繰り広げられている。

 ―――ああ、今日は冒険をするには良い日だ。

 そんなセリフがヴァニタスの脳裏をよぎる。強がりだと言われればそれまで。実際、足は朝から震えたままである。

 アトラクの起重機を用いて海面におろした小型艇に乗り、ヴァニタスはカルディエと共に海原を進んでいた。この小型艇も久々の活躍だが、普段からのメンテナンスの賜物で調子はすこぶる良かった。

 不調なのは、唯一ヴァニタスの心だけ。

 幾度準備を重ねても、やはり機甲塔に乗り込むのには勇気がいる。ただでさえ勇気の総量が少ないヴァニタスにとって、この冒険は半ば以上、ホラーの領域だ。

「毎度思うんだけど、本当に大丈夫かー? ヴァニタス」

 操縦席の隣に座るカルディエが、意地悪そうに下からヴァニタスを覗き込んできた。明らかに楽しんでいる。

「アトラクで待ってるか? 留守番いたほうが良くないか?」

「へ、平気だよ。僕が行かないと操作できないものもあるだろうし……」

 ちらりと背後に目をやる。橋の上のアトラクは、巨大な金属板と半透明の膜に覆われていた。

「アトラクは待機モードで第三防御形態にしてある。『コルセア』が来ても手出しはできない。留守番はいらないよ。それに、僕だって機甲塔に挑むのは、これで五度目だ。もう初心者じゃない」

「そういうときが一番危ないデス」

 もっともなことを言われ、ヴァニタスが閉口する。

「き、危険なんて、そう簡単には」

 と、反抗気味に言いかけた刹那だ。

 小型艇の進行方向の海面が盛り上がったと思う間もあらばこそ。

 黒い海を割り、鋭利な鱗を生やした巨大魚が身を躍らせた。

 5メートルを超える全長、その半ばまで裂けた乱杭歯だらけの捕食口。食に対する執念深さを全身で表す造形は、ヴァニタスの総毛を立たせるには十分すぎた。

 最大まで開かれた捕食口が小型艇に―――ヴァニタスに迫る。

 緑の風が操縦席から飛び出した。

 それがカルディエだとヴァニタスが認識した瞬間、巨大魚は不可視の衝撃波に空高く吹き飛ばされ、小型艇を飛び越えて、強く海面に叩きつけられた。

 盛大な水しぶきが小型艇まで濡らす。

 何が起きたのか理解できないのだろう。海面付近でひどく暴れたのち、巨大魚は一目散に海中へ逃げていった。

「ふん」

 鼻を鳴らし、小型艇の先端に立つカルディエは、まるで緑髪の船首像だ。しかも物理的に船を護る、世にも珍しい船首像である。

 巨大魚が襲撃を諦めたことを見届けると、突き出した右の袖を一度振った。袖の表面に紫電が疾走る。袖から顔を覗かせた右手は、普段と変わりない姿をしていた。

 意気揚々と操縦席に戻ると、いまだ総毛を立たせて固まるヴァニタスの頬を指で小突く。

「なー? 危ないって言ったろー?」

 ヴァニタスはぐうの音も出なかった。

「と言っても、ヴァニタスも年頃の男の子だもんなー。カルディエにいいとこ見せたかったりする? する?」

 思わぬところで昨夜の続きが始まった。今度は逃げ場はない。

「そ、そんなこと……」

「ぬわっはっは! うりうり、正直に言うデース!」

「ちょ、もう! からかわないでよ、こっちは操縦してるんだから!」

「ごめんごめん、許してデス」

 ころころと笑って謝るカルディエを見ていると、どうにもヴァニタスは怒る気になれない。不公平だと思いながらも、それを嫌えないことも自覚している。

 相方の快活な笑い声に、ヴァニタスの頬も次第に緩んでくる。

「どう? 少しは肩の力抜けた?」

 と、カルディエが問いかけてきた。

 ヴァニタスは首を左右に傾けて、具合を確かめた。言われてみれば、肩にわだかまっていた緊張がほぐれた気がする。足の震えもわずかに収まっただろうか。

「ヴァニタスの気持ち、すごい分かるぞ。複種擬装構成体(カチナ・ドール)覇海水棲体グレート・ワン、再生型自律兵器、攻性機甲塔、それに『蜘蛛無し』……今みたいに、どこに何が待ち構えてるか、分からない世界な。いくら経験を重ねたって、外に赴くと緊張するのは当然のことデス」

「そう、だね……うん。そうだ。ここが怖い世界だってこと、思い出したよ……」

「決して油断しちゃダメな。命取りになる」

 事実、カルディエがいなければヴァニタスは今頃、魚の胃袋の中だ。

 己の未熟さを思い知らされ、少年の視線が下がる。

 その頬に、優しく手が添えられた。

「でもな、知ってるか?」

「え? なにを……?」

「このおっかない世界でもな、ヴァニタスとカルディエの二人なら、なんでも乗り越えられるんだぞ? どっちか片方じゃダメだ。二人一緒で、初めて無敵だぞ」

 面映おもはゆい励ましに、初耳だよと苦笑する。

「でも、カルディエに言われると、そんな気がしてきた」

「なら、大丈夫な」

 そう言って、カルディエが笑った。

 まさに天使の微笑みだ。これで勇気づけられない者がいようか。

「頑張るデスよ。明日もこうやって笑いあえるように」

「うん、頑張ろう」

 操縦桿を握る手に今一度力を込める。

 機甲塔は、すぐそこまで迫っていた。


 ―― 2 ――


 それから塔に接舷するまで、二人は探索に関する手順と約束事を再確認し、万全を整えた。

 間近で見上げる機甲塔の圧力たるや、もはや物理作用さえあるのではないかと錯覚するほどだ。この巨大さは本当に必要だったのだろうか。

「しっかし、よくこんなでかいものを作ったなー、昔の人達はー」

 カルディエの感嘆を尻目に、タブレットを取り出し、四〇〇番台機甲塔の一般的な見取り図を表示させる。

 この型の機甲塔の入り口は、最上階の大型搬入口を除けば、数階層ごとに設置された非常用出入り口ぐらいしかない。本来は通常使用を想定された出入り口もあると予想されるが、おそらく、それがあるのは海面より下の階層だ。

 船の甲板に立ち、ヴァニタスが複雑な機械の組み込まれたゴーグルを装着する。選択した機能は望遠。目当てのものはすぐ見つかった。

「あった」

 カルディエもヴァニタスの隣で目を凝らす。彼女の機械の目に備わった望遠は、ヴァニタス手製のゴーグルを凌ぐ倍率だ。

 二人の視線が注がれるのは、海面から高さ50メートルほどの所にある、機甲塔の非常口であった。

「あれか。やっぱり、本来あった外の階段は溶けてるデスな」

「階段まではポゼッショナー侵食の対抗処理してなかったんだね」

「そこまでは手が回らなかったんだろーなー」

「階段があれば多少は楽できるけど……そんなケースのが稀だしね。じゃあ頼むよ」

「オッケー」

 カルディエが円筒形の銃に似た装置を構える。

 トリガーを引くと円筒の先端部分が射出され、ワイヤーを引きながら、非常口の右側面に張り付いた。何度か強くワイヤーを引き、接着の強度が申し分ないことを確かめる。

「おっけー。大丈夫」

 ヴァニタスが巧みに船を操り、非常口の真下に接舷した。あとは垂れ下がるワイヤーを頼りに登るだけだ。

 カルディエは自身の膂力のみで、ヴァニタスは電動式の小型ウィンチをワイヤーに取り付け、登っていく。機械を使用するヴァニタスより、カルディエの方が速い。もっとも、彼女自身が機械なのだが。

 下を見ると足がすくむことを、ヴァニタスは経験で知っている。必死に上だけを見る。

 すると、機甲塔の屋上付近を飛び回る影が目に入った。

「カルディエ、塔の上、あれはもしかして……」

「ん? ……塔棲生物タワー・シングかな? だいぶ大きいから、もしかしたら亜人鳥類オキュペテかも知れないなー」

 この世界には陸地というものがほぼ存在しないため、水生生物以外の生命体は、極めて生息数も生息域も少ない。

 例外が、こういった機甲塔の頂上部であり、そこを住処にする生き物である。機甲塔の頂上部は広く平坦なケースが多いため、住処としては好条件と言える。

 カルディエが口にした亜人鳥類オキュペテも、代表的な塔棲生物の一つだった。雌のみで構成される単性の亜人種だ。人の女性の頭部と胸部を持つ巨大な鳥―――一種の合成獣キメラである。

 ヴァニタスが脳内からオキュペテの情報を引き出す。

 知能は低いが性格は極めて温厚、好奇心が強い。他種の雄と交配して卵胎生で子を成すが、生まれてくるのは雄の種族にかかわらずオキュペテとなる。主食は小魚。長い舌、もしくは足の鉤爪で海面近くを泳ぐ魚を捕らえる。言語を有していないが、美しい声で歌うようにコミュニケーションを取る。群れで遠距離を飛ぶ場合、途中の海上で休憩するために、抜けた羽根を接着性のある唾液で固めて作った『イカダ』も同時に運ぶ。そうやって生息域を広げるのだ。

 危険性のある存在ではないが、注意するに越したことはない。二人はオキュペテの動きも視界に入れながら、慎重に登坂を再開した。

 心配したようなオキュペテの襲撃もなく、非常口に無事に到達。すぐさま、カルディエはその周囲をまさぐった。

「お、ヴァニタス隊長殿、発見でありマース」

 鋼鉄の指が小さな金属板を剥がす。その奥には複雑な配線盤が収められていた。

 いくつかのコードの片端を外し、ヴァニタスに手渡す。

「ありがとう。それじゃあ、僕の出番だね」

 ここからは両手をウィンチから離しての作業になる。ウィンチと自身の命綱がしっかり結ばれているか確認。問題ない。作業中に落ちることはなさそうだ。

 渡されたコードの先端に変換プラグを噛ませると、ヴァニタスは愛用のタブレット端末にそれを繋げ、非常口のロック解除作業に取り掛かった。

「今回は何分かかるデスかねー?」

「せかさないでよ」

 とは言うものの、己の力量を測る試験としては、機甲塔のセキュリティ関連はいい相手であった。

 知識を総動員しながら、ミスを避け、答えを目指す。

 今回の問題は、なかなかに難問だ。何度も手が止まる。

 およそ七分をかけ、ようやく答えを探し当てた。

「よし、開けるよ」

 タブレットから非常口に開門を命令。反応は遅滞なく。圧縮空気の排出音を共に非常口が左右に開き、外界と機甲塔内部を繋げた。

 先行はカルディエ。勢いよく中に飛び込み、周囲の安全を確認すると、ヴァニタスを引き入れる。

 非常口の先には無機質な通路が広がっていた。

 通路には明かりが灯っていた。珍しいことではない。四〇〇番台の機甲塔の多くは、保全作業ドロイドや自己修復システムを備えている。だからこそ、アトラクに乗るものにとっては宝の山となるのだ。

 警戒を怠らず、二人は通路を進んでいった。


 塔の中は静寂に満たされていた。

 高い天井の通路は音を良く響かせるのもあり、足音が際立って聞こえる。時折止まって耳を澄ますと、自身の鼓動が地鳴りのように耳の中で唸る。普段聞こえない体内の音が、自分自身を翻弄してくるのだ。

 ヴァニタスを惑わせるのは音だけではない。冷光灯の光が、通路のあちこちに白と黒の境界を刻んでいる。その立体感のない不規則な模様は幻惑迷彩となって、彼の心にさざなみを立たせる。

 動かないはずの影が動くような、明度の変わっていない光が瞬くような、何かがそこに潜んでいるような。

 全て幻。泡沫うたかたの万華鏡。

 ここは、生者を失いし領域。時を忘却せし空間。

 沈んだ世界(クスクルツァ)から黒き原罪の海(ハマルティア)に伸びる、遙か過去の残影なのだ。

 もう初心者ではないとカルディエに強がってはみたが、何度訪れても、機甲塔の持つ独特の雰囲気には背筋が凍る。

 通路のそこかしこを飾る奇妙な幾何学模様は、何の意味があるのだろうか。十字路の中央に立つ、翼を生やした顔のない細身の像は、何を象ったものなのだろうか。無骨とすら思える塔の外観に反し、中の様相は繊細かつ異様だ。

「不思議なところだよね、機甲塔って……世界が違う」

「カルディエもアトラクも、こいつらと同じ時代のものだけどな。もっとも、カルディエにも過去の記憶はほとんどないけど」

「そういえば、そうか……」

 ならば、アトラクやジャガーノートを整備運用できる自分は、機甲塔を作りし者の子孫となるのだろうか。実際、機甲塔の技術はアトラクのそれとほぼ同じだ。アトラクの主電脳セブン・ギアセスから学んだ各種の知識や技術は、問題なくここでも通用する。

 ―――まあ、おかげで生きていけるんだけど。

 途中、機能を保っているターミナルを発見し、ヴァニタスは接続を試みた。アクセスできる領域はごく限られているため、おおまかな見取り図ぐらいしか入手できない。

 部屋の配置や通路と階段の位置が、従来の情報と相違ないか確認する。内部構造はほぼ手持ちの図面通りだった。

『ほぼ』ということは、他の機甲塔と相違点があるということでもある。

 タブレットに表示した機甲塔図面の一点―――最上階付近を指先で叩き、ヴァニタスがぼそりと呟いた。

「大型ハッチ、広い空間に起重機のみ……ここは、大型マスドライバーの運用でもしていたのかな……?」

「え、まいなすどらいばあ?」

「マスドライバーだよ。物体を凄まじい速度で投射して運搬することを目的とした装置。本来は大気圏内のみで運用するものじゃないんだけどね……」

「へー」

 理解しているか、どうにも怪しい相槌た。ヴァニタスはこれ以上の説明を諦めた。

「まあいいや……うん。他には違いもないみたい。これなら物資を探すのも難しくはなさそうだね。あとはセキュリティがどの程度稼働してるかなんだけど」

「あんまり動いてないんじゃないデスか」

 ヴァニタスが首をかしげる。カルディエの推測の根拠がわからない。

「これ」

 と言って、カルディエは何かを床からつまみ上げ、ヴァニタスに見せた。

 白い羽根だ。

「これは……オキュペテの羽根?」

 よく見れば、埃まみれの通路にまとまって落ちている。ここでオキュペテ同士、喧嘩でもしたのだろうか。

「オキュペテが中に入れるってことは、どこかのハッチが開けっぱ……な上に、セキュリティも働いてない予感がするデス」

「それは、ちょっと参ったね」

 セキュリティが動いてなければ探索はしやすい。だが、内部が雑多な生物に荒らされている可能性も高くなる。資材や食料を欲するのは、なにもヴァニタス達だけではないのだ。

「とりあえず、最優先で超圧縮金属溶液を探そう。それと具現化媒体。食料はオキュペテに食べられてても、こっちなら大丈夫なはず」

 言いながらタブレットを操作し、目当てのものが格納されているであろう施設を図面に表示する。

「下層階、特殊貯蔵施設。直通の運搬用大型昇降機は、その施設でないと操作できないのか……仕方ない。ここから居住セクターを抜けて、中階層の総合兵器工場エリアを行こう。それが現状、一番早そうだ」

「よし、じゃあ気を取り直していくデスか」

 二人は頷き合い、下を目指して歩き始めた。


 ―― 3 ――


 居住セクターの名が示す通り、ここは人が住む場所だ。

 ただし『生きた』住人はいない。

 通路に等間隔で並んだ機械式のスライドドアは、どれも開け放たれていた。その全てが、規格統一された居住室のドアなのだ。

 ヴァニタスが中を覗く。動くものの気配はない。

 いつも通りだ。

 部屋の中にあるのは、時に侵食され、朽ち果てた過去の遺物。本、服、なにかの電子機器、玩具、アクセサリー。数多の残骸が無数に転がっている。

 だが、ないのだ。

 人の残滓が、微塵も。

 機甲塔の製造年代は、いまから遙か昔だということは分かっている。それほどの時が過ぎているとはいえ、風雨も太陽光も当たらない密閉された空間から、人体が完全に消え去るということはあるのだろうか。

「みんな、一斉に逃げ出したんデスかね」

 カルディエがヴァニタスの疑問を代弁した。

 ヴァニタスもそう思ったことはある。

 しかし、どこの機甲塔も同じ有様なのだ。各地に建造された恐ろしく巨大な施設を、それこそ皆が申し合わせて一斉に放棄する事態とは、一体なんなのか。

 恐る恐るヴァニタスが部屋に踏み入る。

 床の上で朽ちる寸前の本を見下ろすと、彼は保存用ステイシスパックをリュックから取り出し、崩さないように本を入れた。

 満面の笑みで成果を見つめる。新たな知識の収穫完了だ。

「ほんと、ヴァニタスは本が好きな」

「貴重だからね。昔の人の考えを知れる媒体は」

「このあいだ手に入れたのは……なんだっけ……変人? とかいう題名の本だっけ?」

「変身、だよ……とても哲学的な話だった。『林檎』というものが何か、僕にはわからなかったけど」

「ふーん……」

 さして興味もないと言わんばかりに、カルディエの目が泳ぐ。

 その後も、あちこちの部屋から一見すればガラクタ同然のものを拾い集め、その度にヴァニタスのバッグが膨らんでいく。

 限界まで膨らんだバッグを我が子のように撫で回す相方に、カルディエは冷たい視線を刺していた。

「少しは自重しなさい。この子は全くもー……」

「いやいや、これも大事なことなんだよ。旧世界の情報を後世に残すのも、拘束技師である僕の使命。それには、いろんなものを多面的にだね」

 と、小難しい主張を並べ始めた口をカルディエの右手が塞いだ。

 ヴァニタスの眉が寄る。スキンシップ的な行為でないのは、カルディエの真剣な表情が物語っていた。

 彼女の左の人差し指が、自身の口元に立てられる。

 ヴァニタスの緊張が即座に最大値まで跳ね上がった。

「……音がするデス」

 猫耳が震える。不審な音は捉えられない。

 ヴァニタスの聴覚も決して優れていないわけではないが、カルディエのセンサーは、既存の生命の及ぶ範疇を超えている。ジャガーノートとは、機甲塔を作り出した技術と源流を同じくするものなのだ。

「……どんな音?」

 囁き声で尋ねる。震えているのはご愛嬌。

「ぎいぎいって、なにかが軋む音……なんだろ、なにか錆びついた駆動音みたいな……」

「保全作業用ドロイドかな……」

「わからない……どうする?」

 判断を迫られ、しばし悩む。正体不明の存在への接近は危険を伴うが、場合によっては貴重なパーツ類の獲得も期待できる。

 アトラクやカルディエのパーツは、容易に自作できないものも含まれている。その予備パーツは、食料や超圧縮金属溶液以上に希少だ。

「……慎重に近づいてみよう」

 相方の勇気ある決断に、カルディエのアクチュエーターが奮う。

 微かに漂う海楼白蘭の香りを引きながら、戦乙女は先導を開始した。

 

 もし、彼らが最後に訪れた部屋の奥まで注意深く調べていれば、いつもの機甲塔にはないものを見つけられただろう。

 壁に飛び散った血の染み。床に染み渡る血の海の痕跡。

 凶悪な思惑の残影は、機甲塔の中でいまだ誰にも知られず、訪れた悲劇を孤独に語っていた。

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