プロローグ
赤色灯の目まぐるしい明滅に彩られながら、巨大な機械の顎門に何かが放り込まれた。
美しい悲鳴。それをかき消す、重々しい駆動音。
悲鳴はすぐに絶叫へと変わった。
重なるは、筋が裂けて跳ねる音。骨が砕けて弾ける音。舞い飛ぶ無数の羽根。鮮血。
「ぎゃあああああああ!!」
骨も肉も等しく砕かれる痛みに、あらん限りの力で叫ぶのは、人と鳥の特徴を合わせ持った少女だった。胸元から頭部は人のそれであり、他は鳥の造形そのものである。
叫びに歪めていなければ、美しいと評することの出来る顔立ちだろう。だが、回転する鋼鉄の牙に右脚を巻き込まれ、残された部位も、ゆっくりと引きずりこまれようとしている今、彼女の顔は恐怖と言う醜い化粧に覆われ、見るも無残な形相と化している。
仰々しい稼働音を鳴り響かせ、少女を食らう魔物―――巨大な破砕機は、嗜虐心を煽る絶叫に喜びも昂りもせず、ただ鋼鉄の牙を回転させていた。
シュレッダー投入口内に互い違いに並ぶ、鋭い凹凸の刻まれた極厚の超硬度ディスクは、回転しながら対象を内に巻き込み、圧倒的な力で粉砕する。
本来は堅固な大型機械類を粉微塵にするためのものだ。なれば、柔らかい少女を粉砕するなど造作もない。
少女の右の鳥脚は、すでに足首まで引きずり込まれ、粉砕されていた。どうにか逃げようと足掻くも、すり鉢状の投入口は深く、角度も急だ。しかも表面は何かの脂で覆われている。這い出ることは不可能に近い。かと言って、足元にはシュレッダーのディスクを避けられるような場所もない。片方の足先を失った状態では、姿勢を維持することすら困難だ。
パニックに陥った少女は、飛んで逃げようと大きな翼を羽ばたかせた。
その判断が間違いだと気づくのに、時間はかからなかった。
ばたつかせた右の翼がシュレッダー底面のディスクに触れた瞬間、強大な力で一気に引きずりこまれる。
「ひぎっ!?」
右の翼腕上部まで飲まれ、シュレッダーの刃に倒れ込んでしまった。
勢い余って左脚もディスクに触れ、右脚と同様の運命をたどる。
「いぎあああああ!!」
肉が爆ぜ、血飛沫が上がる。もはやシュレッダーに捕えられていないのは左の翼のみだ。だが、その一つ無事だったところで少女に何が出来ようか。
見る間に両脚と右の翼を砕かれ、少女が半狂乱に頭を振り乱す。
その拍子だ。
少女の頭が強い力で引かれた。
方向は下。シュレッダーのディスク唸る、地獄の入り口。
振り乱した勢いで、巻き毛気味の長い金髪がシュレッダーのディスクに絡め取られたのだと、少女は気づけただろうか。
「あっ!? あっ、あ、あああああああ!!」
糸巻き機に巻かれる糸のように、少女の髪がシュレッダーの奥へと巻かれていく。
巻き込まれた量が多い。前髪どころか後ろ髪もほとんどだ。どんなに頭を持ち上げようとしても、微塵も効果がない。
もがこうが叫ぼうが、シュレッダーの刃は次第に目前に迫ってくる。回転する牙のなんと恐ろしいことか。食われている途中の脚と腕の痛みすら、完全に忘却するほどの恐怖。
眼の前。鼻先。ある。そこに終焉が待ち構えている。
「けうっ……くぅ、あ、ああああ……」
張り詰める髪。限界まで引き絞られた弓の弦の如く、少女の頭皮に満ちる緊迫。
泣き叫びながら、少女は願った。
ただ、ひたすら。
許しを得られるように、情けをかけてもらえるように、助けを与えてもらえるように。
自分に、ではない。
―――どうか、あの子らが、わたしと同じ末路をたどらないように。
世界は、かくも残酷であった。
ぶづりと音を立てて、顔の前面が削り取られた。
少女の全身が異常な痙攣を起こす。
皮、脂肪、筋肉とディスクの回転によって削られ、硬いはずの頭蓋骨すら容易に破砕されていく。中に収まっている柔らかい臓器など、シュレッダーには存在しないに等しい脆さだ。
脳漿を撒き散らしながら、少女の脳が前頭葉からゆっくり挽肉に変わっていく。少女を少女たらしめていたもの、魂の座たる脳の全てが、砕かれ、潰され、ただの屑肉へと堕とされていく。
頭部の前半分が消え去った頃、少女の総排泄腔が盛大に糞尿を漏らし、美しい模様の尾羽を汚した。体を制御する器官が死んだ証左である。
絶命した少女の肉体を、ディスクが内に折りたたむように砕いていく。硬い骨と柔らかい肉からなる、世にもおぞましい破砕音の合唱開始だ。
腹部が潰されるはじめると、小腸に溜まっていた糞になりかけの内容物が勢いよく弾け飛んだ。血と糞の噴水が上がり、重力に従って持ち主の所に還ってくる。
尻穴から漏らしたもの、腹から吹き出たもの、様々な己の汚物にトッピングされながら、少女の全てが挽肉に変わっていく。
美しい羽も、豊かな乳房も、癖の強い髪も、大きな瞳も、叫び続けた喉も、恐怖を刻みつけられた脳髄も。
それらの行く先は、シュレッダー下部に接続されたベルトコンベアの上だった。
がたがたと揺さぶられながら、汚物と肉の混合物が流れていく。
先には巨大な円筒形のタンクが待ち構えていた。
タンクを満たすのは、独特の臭いを放つ茶褐色の液体だった。まるで液化した糞便のように見える。いや、実際それに近いのだろう。
少女由来の挽肉がタンクの中に一つ。また一つ。汚れた飛沫を撒きながら、落ちて、沈んで、混ざっていく。
挽肉が落ちる度に、いくつもの泡が浮かぶ。哀れな少女の怨嗟を含んでいるに違いない。だが、泡もすぐさま弾けて消えていく。弱々しい怨嗟を残すことさえ、少女には許されない。
泡と波紋を生み出しながら、最後の肉片がタンクの中に落ちた。
着水の余韻は短く、厚い部屋の壁に吸われて静かに消え去る。
それで終わりであった。
呆気なく、一人の少女の全てが糞便じみた汚水に溶かされ、影も形も失った。
これらの工程終了を待っていたのだろうか。
残虐極まりない一部始終を眺めていた者が、のそりと動きだした。
赤い薄闇の中に影が浮かび上がる。
大きく、禍々しく、そして歪な影だった。
影は手に持っていた長い棒でタンクの中身を掻き回すと、混ざったばかりの肉を端に寄せ、汚れにまみれたバケツで液体のみを汲み出し、やや大きめの金属容器に次々と注いでいく。
動きは緩慢。しかし、手慣れている。
全ての容器に液体を満たし終えると、今度は年季の入った台車に乗せる。一つ一つ、丁寧に。
容器を残らず乗せると、歪んだ取っ手を握りしめ、台車を押し始めた。
蓋のない容器から液体が漏れないように、ゆっくりと、ゆっくりと。
途中、その足が止まる。
ぎしぎしと音を鳴らしながら、影はシュレッダーの脇に視線を向けた。
シュレッダーの右側面、部屋の隅に当たる位置に、錆びてはいるが頑丈そうな檻が据えられている。中には挽肉の原材料達が、肩を寄せあって震えていた。
だが、歪んだ影が目を向けたものは、檻でもその中身でもなかった。
無機質な眼が見つめるもの―――檻の前にたたずむ、なにか。忌むべき呪縛の『成果』を周囲に捧げられた、この永劫無惨の始まり。
影は恭しく、『それ』に向かって頭を垂れた。
敬虔な信者が神に捧げるがごとく。
しばらくして頭を上げると、影は作業に戻った。
遅い歩みの向かう先は、まばらに明かりの灯った暗い通路。
どこへ続くというのか。なんのために少女の溶け込んだ汚水を運ぶというのか。
それを知る者は、通路の奥にたたずむ闇の中へと、ゆっくり、ゆっくり、姿を消した。
影の退去に合わせ、悪趣味な屠殺場と通路を隔てるように、重厚な金属の壁が降りてきた。
赤錆の浮いた隔壁の表面に、何かが書かれている。ところどころ欠けてはいるが、それは「466―B2」と読めた。
扉が完全に閉まると、赤色灯も消灯し、シュレッダーも停止した。
闇に沈むシュレッダーの脇に、何かが舞い落ちる。
長い尾羽―――犠牲となった少女が、この世に残せた唯一のもの。
檻の中で震える者たちは、じっとそれを見つめていた。
いまや『母』の形見となった、たった一枚の美しい尾羽を。