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1-1「始動」

『ハインリヒ・セクター通信途絶』

 ブン―――と音を立て、薄暗い部屋の中央に、暗い緑の文字が浮かび上がった。

『シルウィウス、メネニウス両セクター崩壊確認。全管理電脳:応答なし。マルクス中央本部設置デッドマン・ブザー:停止から三十六時間経過。アグリッパ機関:機能不全と推測。自律稼働条件:適合』

 前文をかき消し、絶対的な終焉を意味する一文が新たに描き出された。

 世界の終わりを憂う弔辞としては、はなはだ短く、加えて味気ない。

「間に合ったか……」

 無味乾燥とした弔辞を受け、満足げな声が部屋の隅から浮き上がった。

 声は、ひどく掠れていた。だが、同時に満足げでもあった。それは声の主が命をかけて何かを成した証であり、その命が消える兆しでもあった。

 声の主が咳き込む。ひどく湿った咳だ。苦痛を伴うことは容易に想像出来る。

 だが、咳に混じる紅いものを見ても、声の主は動揺する素振りもなかった。

 咳が治まると、気を取り直すように手近な窓へと歩み寄る。

 声の主が目を細めた。咳き込んだ時より、よほど苦しげな表情を浮かべながら。

 小さな窓から見えた景色は、まるでこの世のものではなかった。

 闇―――否、黒。

 一切合切、全てが黒色の絶望に埋めつくされている。

 黒い雨。黒い雲。黒い海。大地の一片すら見えない、黒き水の世界。古今類を見ないほどの暴風に煽られ、雨はつぶてとなり、波は牙となって全てを砕く。天蓋は余す所なく黒雲に支配され、明かりはストロボじみた荒れ狂う雷光のみ。

 そのストロボが、一つの巨影を照らし出した。

 海のただ中に建つ黒い巨塔。他の『黒』とはどこか異質な黒き存在。

 奇妙な塔であった。入り口も窓も見当たらない。明かりもない。旧き神話に語られる混乱の塔のように、ただひたすら、不遜なまでの高みを目指すために作られたのかもしれない。

 塔は、世界を食らう嵐に必死に抗っているようにも見える。

「あとは―――任せたよ」

 外の景色を目に焼き付けた声の主は、これから自身に起こることを受け入れるべく、静かに目を閉じ、床に身を投げた。

 一際大きな警告音が部屋の闇を切り裂く。

 その音も直ぐに消えた。

 圧倒的な黒い水が、部屋にあった全てを飲み込んでしまったから。



 数えることも虚しいほど、多くの昼と夜が巡った。

 世界の全てを包んでいた嵐が薄らいでいく。黒い雨はついに止み、烈風はそよ風に身を転じ、次第に大気へと溶けていく。世界を蝕んでいた両者が完全に消え去ると、天蓋の代わりとばかりに空を覆っていた黒雲も、あとを追うように消滅し始めた。

 ついに、白い光が雲間から差し込む。

 まるで、天から降ろされた白いきざはし。祝福たるヤコブの梯子。

 光は、無限の如き嵐を耐えてきた巨塔に降り注がれ、その姿を克明に現した。

 黒の巨塔は半身を黒き海に沈めていた。

 それだけだ。他になにも塔の周囲にはなかった。ただ水平の彼方まで広がる黒い海が見えるだけだった。

 永劫とも思える時の中、破壊の嵐を耐え、黒い波にその身を幾度も打たれ、ついに巨塔が迎えた世界の末。それは愕然とするほどの孤独が広がる、寂寥(せきりょう)たる世界だった。

 だからこそ「彼女」は―――巨塔は、一際大きく唸りを上げたのかもしれない。

 黒の海に響く、絶望と歓喜の不協和音の咆哮。禍々しく、神々しく、我が子を生み出そうと産痛に身をよじる、黒山羊の慟哭。

 咆哮に誘われるように、巨塔の頂点が、ゆっくりと音もなく左右に割れだした。

 永劫とも思える時の中、ひたすらに塔が守り続けてきたものが、次第に姿を現す。

 光沢のある装甲が日差しを空へ打ち返した。

 現れたのは大質量の鉄機。黒く、重く、なにより巨大な、巨塔の落とし子だ。そのシルエットは、まるで蜘蛛そのものであった。

 落とし子が節々から蒸気を噴きあげ、強靭なる八本の脚を駆動させた。

 眼前に広がる世界の残骸に向けて歩む。黒い海を眼下に臨める巨塔の縁まで、一歩一歩、ゆっくりと。

 蜘蛛の旅立ちに呼応するように、どこからともなく声がした。

 性別も年齢も判然としない、不思議な声。

 塔の頂点から、世界へ向けて、声が高らかに響き渡る。

『ユニット:イマキュラータ・コンセプション起動承認。アルタエゴ・メソッド:ファーストステージ……ラルヴァンダード覚醒。セカンドステージ……ホルミスダス覚醒。サードステージ……エラー。グシュナサフ沈黙。無演算領域への永劫回帰処理。不完全性容認。代理表層ペルソナ構築……補助電脳連結。具現化武装限定解除』

 蜘蛛が唸る。

 嘆いたのか。悦び震えたのか。

『例外発生。ユニット:ハリストス受胎不能。ベツレヘムクレイドル・プロジェクト:実行不可能。非公式ゲノムマップ確認。緊急要項該当。代替遺伝子許可。管理権限レベル2制限処理』

 塔が哭く。

 最期の力を振り絞るように。

『メインフレーム:セブン・ギアセス全権限移譲。ミッション1からミッション102まで破棄。非公式新規ミッションをミッション103として受諾。縮退炉駆動開始。各機能オールグリーン』

 事務的に、そして機械的に、声は鉄の蜘蛛がなすべき手順を読み上げていく。

 それは、望まれぬ反逆。

 そして、託されし使命。

『独立大型建築システム、ユニット:アトラク=ナクア……コード:ポン・デュ・ガール始動。作業工程第1フェーズ……第1作業単位開始―――』

 蜘蛛―――アトラク=ナクアの巨大なマニピュレーターが、己の後部より白く長い棒状の建築素材を取り出し、いくつもの作業工具が内蔵された別のマニピュレーターで、巨塔の縁に接続し始めた。

 日が沈む頃には、巨塔より伸びる短くも幅の広い巨大な橋が完成していた。

 だが橋の先端には何もない。黒い海へ向かって架けられただけの短い橋は、一体何のためのものなのか。

 蜘蛛が橋を見下ろす。

 黒い海に架かる、生まれたばかりの白い橋を。

 まるで、その先に続くであろう、橋の未来の姿を思い描くかのように。



 今このときより。

 鉄の蜘蛛の糸が、終わりの世界を繋ぎはじめる。

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