第13話 焦燥
Side:ユキ
いかなることが起きようとも、予想を上回ることが多発しようとも、私は私の決めた道を歩むと覚悟した筈だった。
でも、結局よく分からなくて、とにかく怖くて、知らないことが沢山で、本当にどうしようもなくて、悩んで……途方に暮れる。
……どうしてこうなった、って。
なんだかもういろんなことが吹き飛ぶ位の出来事にでくわすと、中々不思議な気分を味わうものだとぼんやりした頭で、まさしくふわふわとした気持ちで思う。
―――いや、だからどうしてさ。
さっきから再びどうして、さらにどうして、と思考がぐるぐるループしている。碌に思考が纏まりやしない。
「まいったな」
「……うん、そうだね」
ふとそばから聞こえた、思わずといったカケル君の言葉に心の底から激しく同意。……自分がつい口から出してしまったのではないかと勘違いするぐらいには。
とことんこの世界は私に喧嘩を売っているのではないだろうか。そうだろう。そうに違いない。そうなのだ。
「うぅん……」
なんて、アホみたいなことを考えていた思考から私でもカケル君でもない声が、目の前の現実へと私を連れ戻す。
鮮やかな緑を纏う大きな木々と赤茶色のレンガの石畳が広がる、公園のような場所のベンチにて。私の膝を枕に横になりながら、小さく唸るひとりの女性。被るフードの隙間からは溢れ落ちるかのように垂れる金色の髪。触れないようにと退けた私の手に、そんな気遣い知らんと言わんばかりに頭を動かしてはしなだれかかるそれはまるで滑らかな絹のようで。それらに隠された、ほんのりと紅色に染まった頬は赤子のように柔らかくて。そうまるで―――。
――いや、何を考えてるんだ私は。今なにを思った。こいつは今の私の悩みの種そのものだぞ。なにをそんなに気を許しているのか。しっかりするんだ私。
……決して私に落ち度はない筈だ。まったく、毎度未知と恐怖は向こうからやってくる。改めて整理してみるのもよいだろう。なに、先程のことだ。
それはカケル君と私がさぁ、聖女様を探しに行こうと歩きだしてから幾分か経ての出来事だった。
「なぁ、何か聞こえないか」
人々で賑わう大きな交差点に差し掛かろうかというところで、先行するカケル君がふと立ち止まり、こちらに話し掛けて来た。言われて耳を澄ましてみるも、この時私には町の喧騒以外には何も聞こえなかった。
きっとカケル君にはその何かが聞こえたのだろう。しかし、私には聞こえない。これが勇者との差か、と少し残念な気持ちになったものだ。明らかな身体の、基礎スペックの違いに抱く複雑な想い。まぁ、その程度一周目にはよくあったと直ぐに思い直し、言葉を返した。
「いや、私には特に変わったものは聞こえないね。……どんな音が聞こえるんだい?」
「いや、特に変わったものではないんだが……随分と激しく走る音といったところ―――っ!」
「―――あっ、ごめんなさい!!」
そんな声と共に、突然目の前に現れたのは白い人影。しかし、その影は止まる間も無く、カケル君と重なり……次の瞬間、私の視界の中から消失。二人は縺れながら倒れたのだと気付き、慌てて下に顔を向けると、地面に倒れたカケル君を下敷きにし、彼の丁度腹辺りに頭が当たるような体勢で、その白い装いをした人物も重なるように倒れ伏せていた。
「っ! 大丈夫かいカケル君! それに君も……ってあれ」
「俺は大丈夫だ……って」
直ぐにカケル君は返事をしてくれたものの、もう一人からの返事がなかった。カケル君が控えめに揺するも、反応は無く、思わず脈を計るも定期的に鼓動するそれが異常は無いことを伝えてくる。一先ず安堵するも、かといって放置するわけにもいかず暫し途方に暮れるのだった。
結局、誰とも知れない者を連れて宿に戻るわけにも行かず、街中を彷徨った果てにたどり着いた公園のような空間。そんな場所の、木の傍にある、木漏れ日浴びるベンチに身を寄せたのは何時間前だったか。
「……ふわぁ」
「いいご気分のようだね」
「……へ? ……――えぇ!?」
パチリパチリと確かめるように、静かに大きな目が開いたのを気に、その瞳に声をかけてみると、みるみるといった内に紅く染まる頬。只でさえもう夕暮れ時で赤橙色に照らされてるというのに元が真っ白だから、全然目立つと感じるのは仕方がないだろう。
「そんなに驚かなくてもいいのでは」
「いや、でもだって……起きたら目の前に人の顔が」
「あんた自分からぶつかってきて大概だな」
「あっ……それはごめんなさい」
私達の様子を見守っていたカケル君の直球な言葉に、先程の事を思い出したのか、シュンと縮こまる目の前の少女というには少し年を重ねたものの、まだまだ花盛りと言える若々しさを備えた女性。反応から見る限りその予想はそう外れてなさそうだ。むしろ、その素直さからはまるで小さな子どものようにも感じてしまう。
「それであのー、あなた達は一体……どなたかしら?」
縮こまった体勢から小首を傾げるかのように、疑問を内包してぽつりと呟いた言葉。その瞳は何処か不安げに揺れていて、初めて見る外敵を伺う小動物を彷彿させる。
「あーなんて言えばいいか……」
「冒険者だよ、王国から来たね」
カケル君が言い淀んだのを見て、不審に思われない為にも言葉を引き継ぐ。正直、今時冒険者とかの方が不審でもあるが……。いや、クレンハルグの南には未だ魔物蔓延るアイルミの森を含むノールト大森林が、大山脈があるのだ。それさえ知っていればそこまで不審でもない筈だ。
「冒険者ねぇ……、それにしてはあれだけど。まぁ、いいわ」
アウトでしたね。
なんでそう思ったのか全くわからないけど。一体どこで疑問に感じたのか。白フードも役に立たないしなぁ。足りない知識といわれ知らなかった知識を補充されても、まだ足りない。どうしろと言うのだ。……まぁ、彼女から不安そうな雰囲気は晴れたようでなにより。
「私もあまりおおっぴらには言えない立場だもの」
一転そう暗い表情で続けては、こちらも切り出しにくいのだが。そろそろ辛い。
「あー、取り敢えず身体を起こしてもらっても良いかな」
「えっ、あ、ごめんなさい」
そう言ってくれると、直接は硬いと思って膝枕したかいがあったものだ。ただ、こんなにも眠り続けるのは予想外だっただけに私の膝というか、太腿は限界である。お昼だったのがもう夕方だと思えば、つくづく自らの見通しの甘さを実感する。このような些細なことが見通せず、どうしてこの先生き残れるだろうか……。
慌てて起き上がっては、此方に向き直る彼女を見ながらそう思う。でも、それだけ彼女は疲れてたってことでもある。疲労回復に貢献できたのであればまぁ……って、これはつまり、ぶつかった時の走ってた様子からしても、もしかするかも、しれない。あぁ、嫌なことに気付いたかもしれない。
「それでだけど、あの、その、助けてくれてありがとう」
「ん? いや、いくらなんでもぶつかって来た相手とは言え、そのままにしとく訳にはいかないだろう。気を失っていたしな。気にするな」
私が思考を巡らしてる内にカケル君が勇者していた。
「それでもよ。こんなに寝ちゃったし。久しぶりにこんなに長く寝られたわ」
「それは良かったよ」
カケル君に続けて、当たり障りの無い言葉を返す。
その裏で思うのは、それに加えてこんな言葉だ、ということ。やはり、彼女は今何者かに追われてる人物だと見るのが適切だろう。相手が犯罪組織や荒くれ者等その位の者達であればまだなんとかなるかもしれないが、それが帝国政府だったら? 調べる対象に自ら目をつけられたら只の馬鹿である。私達が身分を偽ってこっそり行動しているのが台無しだ。
……あぁ、悩みの種だということがほぼ証明されてしまった。やっぱり私は見通しが甘い。考えが甘い。
一体どうするか、……私達の目的は無論、帝国の動きと法国の聖女を調べるということ。これを第一に行動しなければならないのに、この子を抱えるのか。幾ら何でもそれは御免願いたい……。
いや、まだ大丈夫か? ここでリリースすればいける?
あぁ、これだから分からないというのが嫌いなんだ。白フード本当に役に立たねえな。
「じゃあ「それでなんだけど、少しの間あなた達と一緒に居させてもらっても良いかしら」……」
「ん? ……なんか困ってるなら見過ごすわけにはいかないだろう。勿論構わない」
おぉう。手遅れになっちまった。
なんでもう勇者ぶってるんだいカケル君。あの程度の激励でもう復活かい? 実は私の言葉は要らなかったとか、ほっとけば勝手に立て直したとか、そんなおちだったのか。
……ああ、やっぱり君は勇者たるよ、カケル君。もっと自信を、最初の、あの頃の、私が魅せられた剣の勇者カケルを見せて欲しいよ。
どうしてこの世界はこんな私にばかり苦痛を与えるのか。あぁ、こんなんで本当に変えられるのか、変わるのか? そして、変わったところでその世界は私に優しいか? どこにもその保証は無いし、カケル君が―――。
「だよな、ユキ」
……私に聞くか。そうか。ならば私は諦めない。この程度で諦めては、この人生すら勝ち得ないだろう。ならば、最後まで抗うまで。そうだろう私。
「いや、「見つけたわよ!」」
今度はなんなんですかねぇ。って、この声は。
駆けつけて来た人物の方を見てみれば案の定。
「アリス!!」
「―――ってユキ? なんでその娘と一緒に?」
近付いて来て今更気付いたのか、私とカケル君とを目線を行き来させ、不思議がるアリスの姿が。
「アリスこそ何事だい? 見つけたって……」
この娘はアリス達が探していた人物ってことか? 目的の人物と言えば聖女さま……またはそれに関係する人物。いくらなんでもそれは早くないか? 私がカケル君の相手していた間に見つけたということ?
「それはね、ユキ。その娘は聖女さまよ。私達が探し求めていた、ね」
「「―――!!」」
「まぁ、まだ本人の口から聞いた訳ではないから、定かではないけれど……どうなの? てか、私のこと覚えている?」
そこで顔を私の隣、聖女と思われる少女の方へと転じる。その表情はいつになく真剣そのものである。
「……えぇ、勿論。先程は助かったわ。改めてお礼を。本当にありがとう。……ところで、あの少年は?」
居住まいを正して紡ぎだした言葉。
そこで私達もソウタ君が居ないことに気付く。彼女がソウタ君のことを知っているということはアリス達が二人で行動している時に彼女となんらかの出来事、というかアリス達が彼女を助けたことがあった?
丁度そこにアリスが来た方向と同じ方から駆けてくる一人の青年。
「―――はっはっはぁ、……やっと追い付きました! 速すぎですよ、いくらなんでも。どうしてそんなにはや――……えっ、何故お二人とこの方が一緒に?」
「良いタイミングよ、鈍足使い魔。聖女さまが貴方をご所望だわ」
「まさかの褒め――上げて落とすんですか!? ヒドイっ……て、なんですか」
アリスの言葉に少女の方へと顔を向けるソウタ君。その表情は今ひとつ釈然としない、純粋に疑問が浮かんでいるようだ。
「……貴方にも、助けてくれて本当にありがとう。感謝するわ」
ソウタ君に向けたそのその言葉の声音、顔は本当に優しくて、どこか翳っていて。何かがあったことは感じられる。しかし、それは私には見当もつかない。
「……いえいえ、とんでもない、当然のことです! むしろ余りお役に立てなかったような感じで申し訳ないです。あれからも追われてたようなので。……それで貴女はやはり……」
―――聖女なのですか。
悩む私には声にないソウタ君の言葉の続きがそのように聞こえた。果たしてソウタ君の顔にはそうした疑問がありありと浮かんでいた。
「……ええ、そうよ」
「「「―――!」」」
「やっぱりね」
小さく、静かながらもはっきりと告げられたそれは私達に途方もない衝撃をもたらしたのは言うまでもなく。……約一名、自らの推測的中に驚かず、むしろ大いに誇る少女がいるが。
「あなた方は知っているようね。聖女と言ってもラーディルティ教の。パール教のではないわ」
ラーディルティ教の聖女。
つまり、私達の求める聖女さま。
「なんで」
「こんなところに、かしら」
私の疑問を見透かして問う聖女。
そう、何故ここに、帝国の、それも南方の城塞都市クレンハルグにいるのか。そもそも彼女が聖女なのか、真偽は私には分からないが、それについては先程の様子からアリスが何かしらの確固たる証拠を持っているようだから、本物だとして、その聖女が居るという噂は本当と分かった今、次に知るべきはその理由。それが、伯爵しいては依頼人が求める本当に大事なこと。
私達は本人を求めていたものの、まさか本当に本人が居るとは、そして出くわすとは思わなかった……。私はせいぜい噂話を探るか、ラーディルティ教の関係者を探る程度の気分だっただけに望外の幸運と思わずには要られない。そう、厄介事かと抱え込んだものが、実はお目当ての宝だった的な。これはついてるのかもしれない。しかも今日は調査を始めて初日だ。
「そうね、それについてはあなた方も知るべきかしら。助けてもらったのだし……でも、ここではなんだから」
ん? ここではなんだから?
皆が無言で見守る中、聖女の、迷う素振りを見せて呟いた言葉。それはどういう意味なのだろうか。ここでは……つまり公共の場では、声を大にして言えないような、理由? そういえば何者かに追われていた可能性があったのだっけ。正体を明かした時の衝撃が大きすぎて忘れていたけど……やっぱり嫌な予感がする。
「どこか人には聞かれないような場所は知らないかしら?」
これ本当に宝……幸運だよね?
そんなこんなで、私達が拠点とした宿の部屋に場所を移しては。
「実は私、帝国軍に追われているの」
ポイッてしよっか。
……っと、なんとも大人げない考えが鎌首をもたげてしまった。あぁあ、というかよりによって帝国軍かぁ。なんでそんなドンピシャな、私達に不都合な状況なのだろうか。
「本当なのか?」
事態のややこしさに気付いたのか、些か動揺の影が見えながらも訊ねるカケル君。
それに対して少女は答えることなく、アリスとソウタ君の方へと顔を向けた。
「まぁ、面倒くさそうなのに追われてはいたわね」
「えぇ、はい。鎧も統一されていた集団でしたので、帝国軍でもおかしくはないかと。街中であの格好という点からも体制側かと」
「なるほどね」
これは参った。うん、本当に。
私達がこれから採るべき最善の行動としては帝国軍に気付かれる前に、この少女と別れて行動すること。しかし、それはカケル君の言葉を覆すことになるし、最低でも少女から聖女としての活動の情報を聞き取りしてからではなくては勿体なすぎる。けれども、もし、今この瞬間に帝国軍が来たら……?
「さすがに心配しすぎか……」
「どうかしたのか?」
小声で思わず呟いてしまったことに、カケル君が気にかけてくる。しかし、態々話すような、再び別方向とは言え、不安がらせるのもあれだろう。
「いや、なんでもないよ」
「……そうか、なら取り敢えずこの……そういえば名前は?」
そしてカケル君は、今更ながら誰も訊ねなかったことを問うた。
「あぁ、そうね。ごめんなさい、私の名前はリリア。聖女リリアって国では言われてるわ。まぁ、余り名前は呼んでもらえず、もっぱら聖女様だけどね」
「リリア、ね」
「好きなように呼んでちょうだい」
折角なので、確かめを込めて白フード知識に問うてみたら珍しく返ってきた答え。聖女さまの名前はリリア、合っているそうで。こんなときだけ役に立ちやがる。あのやろう覚えてろう。……あいつ野郎で良いのだよね?
「では、何故帝国軍に追われていたのか話してもらっても?」
「つれないのね……ええ、いいわよ」
そう言ってリリアと名乗った少女は静かに語り始めた。