第12話 王国の日々
side:ユキ
突然、群衆の向こうが騒がしくなる。
「何事だ……」
隣を歩いていたカケル君が呟いた言葉に私は内心同意し、辟易する。
とてもではないが、『今まで』を全く参考に出来ないというのは非常に辛いことだ。この都市、クレンハルグでは全てが未知なのだから何かが起きる度に私の頭と心はぐちゃぐちゃに掻き乱される。先を知れないというのはこうも不安に駆られるものであったかと思わずにはいられない。一度目はこんなにも心苦しいものだったかとか、何故白フードの知識に関することが無いのか、とかいう思考が脳裏に姿を見せては直ぐにまた何処かへと隠れて行く。
「凄い騒ぎだね……乱闘でもあったのかな」
「そうだとしたら避けた方がいいな。こっちへ行くか」
こんな風に、何ともなさそうに話してるカケル君もこの町に到着したらしばらくもせずにあの有り様だった。確かに、あのような症状は『今まで』にもあった筈だ。だからこそ、なんとなくカケル君の精神状態を察して、最低限対処はできた。しかし、あそこまで彼の症状は重かっただろうかと思わずにはいられない。
けれども、チラリと視線を移した先に映る横顔に、当分の間は大丈夫だろう、という感想を抱く。同時に、向こうも此方に視線を転じたようで、黒く染まって見える二つの水晶体が此方を捉える。
「どうかしたか? ……もしかして、こっちは嫌だったか」
「……いや、そんなことはないよ。只、何かの騒ぎの方が目的の者が見つかる可能性が高いんじゃないかなと思っただけだよ」
この口から出た自分の言葉に溜め息を吐きたくなるが、事実である以上仕方が無い。未知なる事象に挑むのは非常に怖いが、アイルミからそれは変わらないと思っている。
ならば、ここで思いきって進むべきなのだろう。私は『今まで』の私とは区切りをつけたのだからって……。
「なるほど、それもそうだな。よし、だったらあちらへ行こう」
カケル君が頷いては、口の端に小さく笑みを浮かべる。それは、随分と在り方が据わったのではないか、という現実。
対して私は、と……そう、決心した筈だ。
しかし、それも再び揺らぎそうである。こんな短時間で決心が手の平を返すことになるとは思いもしなかった。いや、まだ返してはないが、やはり私はなかなか捻くれてるらしい。少しもすればくるりと表と裏が入れ替わる。そんな確信にも近いものを私は既に抱いている。
どうもこの魂までに染み付いてしまっている腐った性根はそう簡単には直らないようだ。
「……どうしたんだユキ。放してくれないと進めないのだが」
ほら、今も知らない内に向こうへ行くことを恐れている。無意識の内に彼の手を掴んでいる。とてつもなく、未知の世界を恐れている。
「……ごめん、ちょっと考え事をしていたよ。じゃあ、行こうか」
「考え事……か。あぁ、いや。なんでもないならいい。にしても、目的の人物が見つかるといいな」
嫌だ、向こうに行くのは嫌だ、と言うだけなのに、やっぱりそんなことが言えなくて、たった一言が言えなくて。結局、私に剣の勇者を、カケル君を応援したい気持ちは残っていて、どうしても保身と諦観には走れない。
全てを捨てて逃げれない。
「――そうだね。聖女様が見つかればとても助かる。これからの行方は不安しかないからね」
何分本当のことが漏れてしまう。このように思っているのは嘘偽り無く本心である以上、仕方が無くはあるものの。何気ない一言で未来を変えてしまったりするのかもしれないから気を付けるべきなのだろう。
「―――っ。そうか」
カケル君は何故そんなに顔を歪ませているのだろう。何故そんなに申し訳なさそうな、泣きそうな表情をしているのだろう。なんで、なんで、どうしてそんなっ……!
あぁ、すぐこれだ。だから嫌になる。
……。
うんん……そう、今はそんなことよりもこれからのことを考えなくてはならない。一度状況を整理しょう。うん、それがいい。一歩先を行くカケル君の後ろで歩みを進ませながらそんなことを考える。彼の影を横目に、私が選んだのは問題の先送りだった。
Side:out
時は少し遡る。
トネミスア王国某所
「まったく、なんでこの時期かしら」
そう姿見の前でぼやくのは剣の勇者達と共にアイルミへ行くことが叶わなかったひとりの少女。王国三大貴族の一つ、ステイル侯爵家の長女エレナである。鏡に映る、王国の正装を纏うきっちりとした姿とは反対に、内心情けなく嘆く彼女の脳裏に浮かぶのはアリスやユキ、カケルにソウタといった面々である。
正直言ってこの面子には不安しか感じることが出来ず、自分がついて行って支えてあげたかったというのが彼女の本音だ。先程から襟元を直してばかりで、他のところに手が移らないエレナの様子が彼女の心を如実に表していた。
「あの子達大丈夫かなぁ……」
誰も彼もが性格に一癖どころか二癖、厄介なものを幾つも抱えてる一筋縄ではいかない子達、というのが彼女の認識であった。そして、何かあった時に支えるのが自分ということまで自覚していた。小さい頃からそれが当たり前だったから。故に、止まらぬ不安は日を追うごとに増していくばかり。自らの事が考えられなくなる程のものであった。
そしてその不安が的中していることを知る由もなく、迎える今日という日。彼女が彼らに付き添う事を妨げた理由の一つである、王国にとっての一大行事が行われる日である。
「―――姉さまっ! 入ってもよろしいでしょうか」
幾分かを経て、エレナが居る部屋と廊下を隔てる扉の向こうから溌剌な声が聞こえてくる。その声音からだけでも、その声の持ち主がどのような性格なのかとうんと分かるわね、と何度思ったか知れないことをエレナは思考の隅に浮かべながら声を返す。
「入ってらっしゃい。開いてるわよ」
「―――姉さまっ! お久しぶりです!」
その途端、素早くエレナに駆け寄る小さな人影が一つ。両腕を広げながらエレナにぶつかったかと思うと、ぐるりと腕を回して彼女に抱き付いた。それにエレナも応えて優しく受け止めていた。
「久しぶりね、セリア。元気にしてた?」
「はい、姉さま! 姉さまも元気でしたか?」
「えぇ、勿論」
緩やかなウェーブを描きながら腰元まで伸びた髪を、ふんわりと風に浮かせながら、エレナに満面の笑みを向ける少女。それを見たエレナも自然と頬を緩める。
「まだまだほっておけないもの」
「……それはアリスお姉さま達の事ですか? ――姉さまはいつもそればっかりです」
そういって、つい先程まで満開の花のように明るい笑顔を浮かべていた少女、エレナの妹であるセリアはその未成熟ながら輝かしき将来が約束された端整な顔をぷくりと膨らました頬で歪ませる。
「もう、少しは自分自身のことも気に掛けて下さい」
不満げに曲げられた口から聞こえてくる自身を気に掛ける言葉。それを聞いたエレナは自身の妹に対して幾らかの申し訳なさを感じながら苦笑を浮かべることが精々であった。それを見たセリアは諦めまいと、姉を追撃すべく協力者を求めるように黄金に輝く髪を靡かせながら後ろを振り返った。未だエレナに抱き付いたままであるのはご愛嬌だ。
「まったく、これだから姉さまは。兄さまもそう思いますよね」
「えっ、そこで僕かい?」
そう言って彼女に答えたのは、彼女の後ろからゆっくりと歩いてきた優しげな風貌を携えた青年である。
「お兄様までですか……」
「あはは……まぁね、これでも兄だから」
性格が見てとれる自然な微笑を携えながら、そう呟く彼の姿は彼の目の前で戯れる二人の姉妹にとって見慣れたものである。
「セリアの言う通りだと、僕もそう思うよ。エレナは毎回自分自身の事を顧みない。……本当に、困ったものだよ」
飴色の柔らかい髪を押し上げて、おでこに手の平をあてる、まさしく困ってますと体で表現する兄の姿に、エレナは感じる申し訳なさが増すのをしかと実感した。
「……ごめんなさい、ハルト兄様。けど、もう少し、後少しでいいのよ。そしたら、私もきっと安心出来ると思うから」
「…… あぁ、いや、分かってるよ。彼女達の事だよね。エレナは優しいから……」
そう呟いた言葉とは裏腹に、ハルトの表情はとても納得しているとは言えないような、苦しさの混じった複雑なものだった。
「えっ、兄さま。そこで分かってしまうの!? 姉さまの為にも諦めないでください!」
「あははは……ごめんよセリア。けど、そういうものなのさ」
しかしそれも一瞬、セリアの抗議に小さく笑い声を出しながら謝るその姿に、先程の表情を感じさせるものは見当たらなくなっていた。
「悪いわね、セリア。……ところでそろそろ時間ということでいいのかしら」
「あっ! はい、姉さま。そうでした、私は呼びに来たのです。いよいよ今年も始まりますね、姉さま兄さま!」
「……ふふ、そうだね。というより急がないとかな」
「では、行きましょうか」
そう言って今ハルト達が来た通路へと歩き出すエレナにハルト。その後ろにいつの間にかエレナから離れていたセリアが慌てて小さな歩幅を懸命に重ねながら続く。
こつこつと、三者三様に踏み締める度に硬質な音をたてる石の床を歩く彼らの先には、王国が世界に誇る催し物が待っている。
それは、ここ国立闘技場で年に一度行われる王族主催の闘技大会。始まりは、まさに建国期。
不安定であった王国が主権を確立すべく富国強兵策をとるなかの事である。迅速な成果が要求させる中、強兵策は実を結ぶまでに長期間要求されることが問題としてのし掛かった。
そこで、当時の王国が採った方法は、真っ当な強兵策を進める一方で、短期間で実を結ぶ方法を並行して押し進めることであった。それは世界中から腕利きを集め、選別し、その強者達を登用する事により、短期間で戦力を高める策。その策こそ、この闘技大会を開催することであり、いわば、人材を集める為の大会であった。
加えて、世界一を決める大会であることを掲げ、功名心を擽られた腕利きを周辺国から呼び寄せる。すると、自然と選りすぐりの強者が集まり、場合によっては他国の人材を引き抜く結果となるなどと王国の策は当たりを引いた形となった。
こうして人材が集い、順調に軍事力を高めていった王国はごく一部の例外を除き、他国の干渉を近年に至るまで排除することに成功した。
そんな人材収集の為の闘技大会であったが、それも今では昔の話である。その側面が今も残っていないかと問われたら、嘘であるものの、長い時間を掛け小国とは程遠くなった王国にとって、どこの馬の骨とも言えない輩を身内に数えるのは利益が少なすぎた。
故に、今では表向きであった趣旨のみが掲げられてる。つまり、己の力を競う、世界で一番という称号を求めて集う者達の決戦場であった。
「お待ちしておりました。こちらからは私がご案内致します」
「あぁ、頼むね」
途中からは、従者に導かれながら闘技場内の特別通路を進む彼ら。この通路は王族と上位貴族しか入れないものの、その身分の者が使うのは通路の極一部であり、大半は彼らステイル侯爵家の為に存在するものである。
この通路は闘技場中央の舞台に対して、それを見下ろすよう四方に存在する部屋に繋がっており、その部屋の床には一面埋めるかの如く緻密な魔法陣が描かれている。その場にて、代々ステイル侯爵家の者達はその血筋に受け継がれる力を必要されるとき発揮してきた。
闘技場中央に存在する舞台を囲むように、観客席を守るように展開される唯一無二の障壁。
王国が誇る至高の盾。
その名を『虚無』の原初と人々は言う。
「今大会におきましては、南側にハルト様、東側にエレナ様、西側にセリア様と配置につかれるようにと陛下からのお達しです」
「拝命する」
幾つかあるとされてる『原初』の力。その中でも『虚無』と呼ばれる力は、王国の中では『流星』に次いで2番目の知名度を誇っている、絶大な効果を発揮する原初である。誰もが知るその能力は、事象の無効化。因果関係等も意味をなさない、全てを消滅させる能力。どのような変化も無かったことにする、強力無比な力。
そう、世間では現在まで言い伝えられ続けている。これが事実かは誰もが一度は疑うこと。しかし、それも直ぐに考え直すのことに至るのが王国民の通る道だ。
年に一度開かれる、世界一を競う闘技大会。純粋な腕力だけが要求されるわけなく、魔法すらも飛び交う世界一危険な大会でもある。そんな大会が王国で行われるのには、いや、王国が世界一を決める大会と謳えることにはもうひとつ必然的な理由がある。
このような趣旨の大会は王国にしか開けない。他国ではこのような危険性を内包する大会は主催したくても決して出来ないのだ。民衆はともかくとして、大会の名目上、身分の高い者が観戦する事は避けられない。けれども、舞台上の者達のみが命を懸けるのではなく、観客も一緒になって危険にさらされるのである。その中には当然高貴な者達が含まれるのであって、そのような者達の命を失ってもよいだろうと判断する国はある筈がない。しかし、王国には大会における全ての者の命、並びに安全を確約出来る力がある。
そう、それが『虚無』の原初。大会はその力を定期的に内外の者へと知らしめる絶好の機会でもあった。それは世界一となった筈の者の攻撃すら突破を許さない無敗の盾。それが王国にあるという圧倒的な演出。
“トネミスア王にステイルの盾あり”
トネミスア独立戦争の終盤、ある戦いにて宗主国であるパール皇国の将軍が溢したとされる言葉だ。その戦いは、当時のトネミスア勢力、いわば反乱軍が圧倒的に不利な情勢。敗北すれば後が無い状況で戦端は開かれた。しかし、主と仰いだ者の窮地と知り駆け付けた一人の男。後に初代ステイル家当主となる者によってその戦況は一気に覆されることになった。
全ての攻撃を受け付けず、敵の兵士ひとり、只一歩すら寄せ付けない。更には、味方にひとりたりとも死者を出さず。
これを見て、鎮圧は不可能と判断した皇国の将軍は直ちに方針を転換。たかが反乱勢力とされていた集団の鎮圧にこれ以上の犠牲を出すには行かず、トネミスア独立宣言並びにトネミスア王国とトクルア王家、そして領地を承認、本国へも事後承諾を認める旨の報告を伝えた。本来そのような権限が無いにも関わらず。それほど、当時の将軍がかの原初の力がひとつ『虚無』の力を脅威に見たのである。
全体的には王国側が圧倒的劣勢であるにも関わらず、一戦にて戦局を覆したとされるこの話は、今でも王国成立の要として語り草となっている。また、これを期に、王国、皇国だけでなく周辺諸国諸領も『原初』の力を戦力として認識し始め、停滞していた研究が加速することとなった。
この伝説と化した話を疑う今を生きる世代の者が、この大会に足を運び、考えを改める姿は最早王都に住まう者達にとってこの時期の名物となっている。
「今年も見たことないような姿をした人達が沢山ですね」
「あぁ、セリアはまだそう思うかい。懐かしいね」
彼らの歩く通路は、闘技場の最も高い所、最も外側の観客席を囲む様に造られた一般通路の上部に位置する。屋根を支えるアーチ構造の柱の向こうへと視線を落とせば、真下から反対側となる観客席の様子まで手に取るように分かった。
セリアが何気なしに出した言葉も、この光景を見れば誰もが思うことであろう。ハルトやエレナも小さい頃を思い出し、なんとなく視線を向けた。
「んー……僕はもう見慣れてしまったよ」
しかし、会場に目線を走らせて、ハルトは自らのその考えが少々早いことに気付く。
「……いや、余り見ない人達が居るね」
「そうね。……あの感じ、メザルト帝国にスアラミ共和国……かしら。皇国連盟国外の国ね」
同様に、意識を会場に傾けるアリス。少し考えを巡らすも、目線を交わせ、今はよいかと意見を合致させる二人。そうして、転じた視線の先には愛らしい二人の妹の姿。
「あー……メザルト帝国はともかく、スアラミは珍しいね。それにあっちの人は格好から北方砂漠の方かな」
「白いガラベーヤの人ね。此方はそこまで日差しが強いわけじゃ無いから着替えてもいいと思うのだけど……とても目立つわ」
「伝統や宗教的な理由があるんだろうね。そう言えば、北方砂漠の先にはまた別の―――」
「あぁ――」
等と、まだまだ成長を残すセリアの為か、さりげなく年長者二人が溢していく世界の情報の数々。今年はここ数年では珍しいと、判断した彼らの思考から生まれる言葉は、しかし、セリアには少し早かったようであった。
えっ、えっ、と想定よりも多く、また予想外な返答に戸惑うセリアは実に微笑ましかったと、ちらりと控えめに三人の様子を窺っていた従者は後にステイル家の当主にそう語っている。
「も、もう! 兄さまも姉さまも酷いです。先に行きますわ!」
そう言って駆け足気味で一足早く向かっていった小さな背に、残された兄妹は顔を見合せては、穏やかな笑い声を風にのせる。
「ふふふ、逃げられてしまったわね。お兄様」
「ははは……ちょっといじわるしてしまったかな」
ふんわりと弛ませた頬に、微かに細ませた目を添える二人。その表情は実に暖かいものであった。
「久しいな、ハンス。元気そうでなによりだ」
「……陛下におかれましてはご機嫌麗しゅうようで」
「なに、友に会えて喜ばない者がどこにおるか」
そう言って笑うのは、この国の王、グランス・トネミスア・トクルアである。目を細め、少し口角をあげたその顔からは、彼特有の雰囲気が滲み出ていた。
「ありがたきお言葉」
対して、頑なに臣下の礼を崩さない、まさしく優雅といった言葉が似合うこの者の名はハンス・ルウ・トア・ステイル。王国三大貴族の一つに数えられるステイル侯爵家の現当主であり、『虚無』の原初の継承者である。
「相変わらずだな……東方の様子はどうだ。あれから変わりはないか」
「はっ、報告にも申し上げたように以後は大人しいもので、不気味なぐらいでございます。今後も一先ずは安心してよろしいかと」
「ならば良いな。今は何があろうと北方を優先することにしてはいたが、特に問題なさそうだな。……これからも東部地方長官の任を任せる」
「仰せのままに」
そう言って頭を下げるハンス。しかし、次に見せた顔に浮かべていたのは些か不可解といった表情で、彼はところで、と続けて口を開いた。
「本日は幾分か普段とは会場の雰囲気が違いますな。これは『虚無』の強度を上げた方が良いですかな」
「お前から見てもそう思うか……。やはり勇者召喚の影響なのだろうか、ここ数年では見られなかった遠方の客が目立つ」
「しかし、五聖勇者召喚の儀が行われたことは各国どこも公表してないはずでは。それに勇者を出場させるとも」
「あぁ、取り敢えず正式な公表は時期を見てといったところだ。……しかしだ、こうも人が集まっているところを見ると、王宮府も精査が必要かね。それにアイルミの事が広まってる可能性も考えられる。ちと早い気がするが」
「なるほど、官吏はともかくとして、アイルミでは知れ渡ってるわけですな」
府に落ちたといった、訝しげが抜けた表情で王を捉えるハンス。しかし、王は浮かない顔で続ける。
「……勇者殿にそこら辺のところを細かく伝え損ねたからな。ジーラント伯からの報告によるとだが、なんでも剣の勇者だと叫んだらしい」
「戦場でなら一概に愚かとは言えませんな」
「士気の鼓舞と捉えれば優秀でもある。無論、絶対と禁じていたわけでもない」
「如何にも。……しかし、信じる方も方ですな。ここ数年勇者など召喚されるような状況にはないのにも関わらず、存在を信じるとは」
「それは一目見て勇者だとしらしめるものがあったということだろう」
そうして、王は一旦言葉を切る。それを見て気を改めるハンス。王は視線を再び目の前に佇む臣下へと強く向けた。
「先ほどの答えだ。『虚無』は例年通りで良いだろう。お前の寿命を減らす訳にもいくまい」
「私めの命は王国に及ばず。幾らでもご命令を」
間髪を入れない彼の返答に、王国を背負う者は表情をぴくりとも、眉ひとつすらも変えなかった。只、静かに一文字に結ばれた口元を開いて。
「……今はその気持ちだけで十分だ」
「しかし、なにかが起こってからでは――」
「よいと言っておる」
「っ……はっ、出過ぎた真似を致しました」
「いや、お前には苦労をかけるな」
ではこれにて、と告げて去っていく忠臣の背を見送るその青き瞳。深い知性を携えたその瞳に映るのは、只ひとつ。映せるのは友の行く末にもあらず。自らの道すら遥かなる向こう。
「王国よ、永遠に……か」
映し、辿るその道は先長く、果て知れず。誰が拓いたかすら、覚えられていない。しかし、歩む者は未だ途絶えない道であった。
……年一更新になってしまった。今年こそは頻度をあげたいですね。
今年もよろしくお願いします。