花葬屋ニコル
人は死んだら花になる。
つい数分前まで身体を構成していたはずの骨も筋肉も血も皮膚も全てなかったことにしてその場に落ちていくのだ。
幼い頃、ニコルにはそれが不思議で仕方がなかった。
大人は皆、そこに発生した花を死んでしまった人のように扱うけれど、花は花だ。
ニコルが初めて『死花』を目の当たりにしたのは4つの時で、祖父のものだった。
孫のニコルを大層甘やかす祖父は度々彼を書斎へと連れ込んだ。
本の独特な香りと祖父が好んでよく飲んでいたコーヒーの香りは大人になった今も鼻腔にこびりついたように消えることはない。
そして祖父が死花として残した黄色いマーガレットの花が、祖父にはなれないはずのそれが何日も祖父の代わりに書斎に佇んでいる光景は花葬屋となり、多くの花葬式を執り行った今もなお脳裏から薄らいでいくことはない。
「ニコルさん、ニコルさん」
「何だ、フォックス。仕事か?」
「よくわかりましたね」
「ぐうたらなお前がわざわざ寝ている俺を起こすなんて仕事くらいしかないだろ?」
「ぐうたらって酷いなぁ。俺は、仕事はちゃんとするって決めてるんです! ただその仕事が他者と比べて少ないだけで」
「まぁ、な」
ニコルが4つの時、祖父の花葬を担当したリンデル=フランケインに弟子入りをして16年が経ち、リンデルが花葬屋を引退したと同時にニコルは彼の後継者として国お抱えの花葬屋となった。
ニコルのなったのは花葬屋は第一級と呼ばれ、中でもニコルはワケありの故人の花葬を主に担当している。
師匠であるリンデルがそうであったのと同じようにニコルは自らそれを希望した。
祖父がリンデルに救われたように多くの故人を救えれば、とそんな聖者めいた考え方からではない。
ただそこが唯一の空き枠だったため最年少で第一級の花葬屋になるには最適だったこと、試験で出た適性がそのジャンルにおいてグラフが天井までくっついていたこと、そして何より年のほとんどが暇なわりに給料が一番高かったこと、この3つの理由からニコルはこの仕事を自ら選んだ。
師匠であるリンデルには「お前ならそうすると思った」とさして驚くことなく、祝いの品である黒のコートを贈られたのだが、多くの花葬屋を希望する者達の間ではニコルの決断は異形者の決断かとばかりにすぐに噂として流れ出した。
それもそのはず、第一級の花葬屋は大きく3つに分類されるがその中でニコルの選んだ花葬は一番人気がない、もとい適性が出にくいのだ。
仕事がうんと少なくて、その分給料は他と同じだけ、もしくはそれより多く出ようが誰も意義を唱える者などいないほどに。
ニコルの師匠、リンデルの48年の花葬屋人生において、その課に所属した者はたった一人、彼の前任者だった男ただ一人であった。
それに自ら選んだニコルとは違い、リンデルは前任者ウラに無理矢理入れさせられたのだ。
彼曰く、そのウラというのは余程の変人らしく、花葬して残った灰は土に還すことをせず、海に投げ捨てていたらしい。
その方が綺麗だからというただ一つの理由だけで。
リンデルが変人と言い切るウラの影響からか、リンデル本人にも変わった習慣があり、土に還した後で故人の死花と同じ種類の花をその上に植えるのだ。
理由は弟子であるニコルにすら教えてはもらえなかった。
その代わりに彼は煙草を吹かしながら第一級の花葬屋として生きる上で重要な言葉を残していった。
『第一級は変人揃いだ。そしてそいつらには多かれ少なかれこだわりってもんがある。それがあいつにとって海に埋葬することで、俺にとっては花を植えることだ』――と。
この仕事に早15年携わっているニコルにはその言葉の重要性が身に染みて感じる。だがその言葉よりも彼自身と共に過ごした16年間の方が今に生きている。
なぜならニコルはリンデルが生きていた頃も、そして彼の死花を葬った後も彼よりも変わった人には会ったことがないのだ。
ニコルはその言葉を思い出す度、さすがは誰も携わらない場所に引き入れられるだけはあると感心しているのだが、彼自身もよほど変人だということには気づいていない。
ただ少しだけ他人と合わないなと、リンデルとの生活を懐かしく思うだけなのだ。
「ニコルさん、聞いてます?」
「ああ……えっと、何だっけ?」
「何だっけ、じゃありませんよ。読むのが面倒だっていうから読み上げてるのに……」
「それもお前の仕事のうちだ。もっかい読め」
「はいはい、分かってますよ……。それでは早速」
ブツブツとニコルには聞き取れない程度の声で文句を言っているが、彼自身やはりこの仕事が他の者達よりも楽であることを自覚しているからか、それ以上意義を唱えることなく依頼書の内容を読み上げた。
「故人フランク=バラッド、85歳。依頼者は彼の息子のフラーレン=バラッドです。亡くなったのは一週間ほど前、死花は真紅の薔薇一輪。依頼を受けた第三級花葬屋がその花を花瓶に写そうとした際、問題が発生したそうです」
「花に弾かれたか……。現在の花の状態は?」
「発生時と変わらず蕾のまま、彼の自室の椅子の上にある、と記載されております」
「はぁ……。それはまた、めんどくさいなぁ……」
「まぁ、それがここの仕事ですからね」
「行ってくる、留守は任せる」
「行ってらっしゃい、ニコルさん」
ニコルは花葬屋の正装である、闇夜に紛れるほど暗いスーツに同色の靴、そしてリンデルから贈られたコートに身を包む。
そしてはぁと大きく息を吐き出してからパイプに火を灯す。
このパイプこそがニコルにとってのこだわりなのだ。
煙を吸い込みながら、フォックスによって調整された転移装置へと足を踏み入れるとそこは出不精であるニコルですらも一瞬で地名が浮かび上がるほどに有名な場所、リード地区だった。
そしてそれと同時にニコルの頭の中でバラッドという名前も浮かんだ。
故人は10年ほど前までこの地を治めていた領主の名前だ。
ニコルは何度か彼の依頼でこの場所へと出向いたことがある。その多くは孤独死をした者で、追悼するものが居なかったからなのだが、まさか彼自身、死後ニコルにお世話になるとは思って居なかったのだろう。
ニコルの記憶に残るフランク=バラッドという男性は人望が厚く、大勢の家族と市民に慕われている、領主として模範となるべき人間だった。
何度も訪れたバラッド家へと辿り着くとニコルは呼び鈴をしつこい位に鳴らし続けた。それは領主を引退後、すっかり耳が遠くなっていたフランクにニコルが来たことを知らせるための合図だった。
だがそのフランクはもうこの世には居らず、出てきたのは依頼人であるフラーレン=バラッドだった。
ずっとフランク本人と取り合っていたため、ニコルとは初対面の男は何度も鳴らされた鈴と鳴らしたニコルへの不快感を顔全面に押し出していた。
「花葬屋のニコルです」
「ああ、ニコルさんですか。父から話は聞いています」
「そうですか」
来訪者がニコルだとわかり、表情を緩めたフラーレンに対し、ニコルは目の前の男に興味はないとばかりに彼の横を通り過ぎた。
ニコルが目指すのはフランクの自室。ニコルが招かれる時は決まって通される部屋でもあった。そのため他人の家とはいえ迷うことなく、ニコルは淡々とその場所だけを見据えて歩き続ける。
「ちょっと、ニコルさん!」
そんな我が道を往くニコルの腕をフラーレンは掴んで制止した。
さすがのニコルもそんな態度を取られれば嫌でもその人物への対応余儀なくされる。
「フランク氏から聞いているんだろう? ならさっさとこの屋敷の住民を外に出せ」
「は?」
「仕事の邪魔だ」
その行動の意味を捉えかねているフラーレンにニコルは面倒臭そうに野良ネコを追い出すように手を振ると、チッと舌打ちをしてから「早くしろ」と男を急かした。
「は、はい!」
以前来た花葬屋とは全く態度の違うニコルに焦りを隠せないフラーレンであったが、ニコルのコートには第一級の花葬屋である印のバッジが飾られており、彼の命令とあれば断ることは出来るはずもなかった。
邪魔者がいなくなったニコルは歩みを再開し、そしてフランクの自室へと辿り着く。
初めてこの部屋を訪れた時からあった、仕立ての良いものばかりが溢れかえるこの部屋で唯一異質に見える古びた木製の椅子にはフォックスの読み上げた報告通り、蕾の状態の薔薇が一輪存在した。
根は張っていない――フランク氏は現世に心残りがあるわけではないのだ。
蕾は固く閉じている――いつまでも枯れまいというフランク氏の心情を表しているようだった。
開かずともわかるほどにその花は紅い――まるでその思いはいつまでも燃え盛っているように。
ニコルはパイプから口を外し、そして煙を薔薇の上空へと吐き出した。
「じいさん、ニコルだ。覚えてんだろ? 早速仕事をやらせてもらうぞ」
亡きフランク氏への挨拶をそこそこに、ニコルは彼の死花へと手を伸ばした。
報告書のように手が拒まれることはなく、彼の手はアッサリと薔薇の茎を掴む。
それこそニコルがこの仕事へと適正を見出された最大の理由である。
花葬屋ニコルは死花に、そして故人に拒まれることはない。
それはニコルが正式に花葬屋となるよりも前からあった、一種の個性のようなもので、それを見出したのはニコルの祖父と師匠のリンデルだった。
花葬屋ニコルは花葬屋リンデルと会わずして誕生することはなかったと言っても過言ではない。
その力を持った者は大抵、花葬屋か花荒らしとなるのだ。
珍しいその力は本人には自覚症状はない場合がほとんどで、どちらになるかははっきりいって運次第だ。
花葬屋がその力を見つけ出せば、リンデルがそうしたように弟子に取るなりして花葬屋として生きる道を提示する。
そして花荒らしが見つけ出せば、簡単に大金を稼ぐ方法があると甘い言葉を囁いて、死花を盗み出して、それを欲する物へと売りさばく犯罪者へと身を落とす。
どちらの道が幸せかと問われればそれは一概に断定することは出来ない。
だがどちらも知られてしまえば、他人の目からは異形者として映ることには変わりないのだ。
ニコルはたまたま、初めての死花を目にしたのとほぼ同時期に花葬屋リンデルと出会った。だから花葬屋となったのだ。
そしてその力をもってして花葬を執り行う。
故人の生前の行動を周りの人達から聞き取り調査を行ったり、残していった物から花葬を行うことの出来ない理由を導き出すリンデルとは異なった方法で。
それはいささか強引すぎる技ではあるが、ニコルは死花を通して故人の記憶を読み取ることで原因を突き止める。
回りくどいことはせず、分からないなら直接記憶を覗けばいいというのがニコルのやり方だった。
フランク氏の記憶へと入り込んだニコルはまるで映画のワンシーンを切り取ったスライドショーを観ている気分になる。
カチカチと音を立てながら、彼の脳裏に強く焼きついた光景ばかりが流れていく。
それは領主の就任式。
またあるものは子どもが産まれた日。
同じような光景が続く中、一つだけ彩りが鮮明なものが目立った。
その光景の中で、とある青年は木製の椅子に腰掛けていた。隣には幼さが残る、メイド服に身を包む少女の姿があった。
青年は少女を『ミュラー』と呼んだ。
そして少女は青年を『フランク様』と呼ぶ。
フランクの心残りはミュラーという少女と関係があるに違いないと見当をつけたニコルが意識を引き上げようとするとカチカチと音を立て、映像は切り替わった。
それは今までの明るい記憶とは違い、モノクロの光景、忘れたくても忘れることの出来ない記憶だった。
身を打つような雨の中、フランク青年は走っていた。走っているせいかヒューヒューと鳴る喉で意識的に酸素を取り込んでいるフランクの前に現れたのは泥にまみれた一輪のバラだった。彼はそのバラをミュラーと呼んだ。花になってしまった女の名前を雨音に掻き消されながら何度も呼び続けていた。
そしてまたカチカチと音を立てて、切り替わる。
背の高い木の茂る森の中、唯一太陽の光を浴びることが許された場所に青年姿のフランクと、そして若かりし頃のリンデルの姿があった。
フランクがその場に薔薇の花を置くとリンデルはそれに火を灯した。
ごうごうと燃える火は二人を照らし、そこで映像は終わりを告げた。
「森、ねぇ」
意識を引き戻したニコルはフランクの本棚から地図を拝借するとリード地区周辺の森を探した。
該当したのはそこから南に30キロも離れた、リード地区のはずれに位置する森だった。
すでに花葬方法を決めたニコルはフランクの死花を、コートの内ポケットから取り出した白い紙とリボンで簡易的な包装をこなすとさっさとその場を後にした。
フランク=バラッドの死花が触れられることを拒み、そして枯れない理由――それは彼が選んだ死に場所で死ぬことが出来なかった後悔からだった。
フランクは妻や子どもたち家族ではなく、若くして亡くなったミュラーの元で最期を迎えることを望んだ。
その想いはあまりに強く、花葬されることを拒んだのだ。
意識してか、そうでないのかニコルにはわからない。そして彼はわかろうと努力することもない。
ただ故人がそう望んだのならば、そうしてやるのが仕事なのだ。
「フォックス、仕事だ」
フォックスへと連絡を取ったニコルは転移装置のコードを書き変えさせると、窓からフラーレンに「花葬はしておく」とだけ告げ、すぐさまその場を後にした。
辿り着いた場所は、フランクの記憶に残っていた場所は、あれから少なくとも50年は経っているだろうというのにたった一箇所を除いて変化は見られなかった。
唯一違うその場所には見事な薔薇の木が植わっていた。
色鮮やかな真っ赤な薔薇を身につけるそれはリンデルが植えたもので間違いはないだろう。
この場所こそがフランクが死に場所として選んだ場所であり、ミュラーという少女の花葬場でもある。
ニコルは薔薇の木の根元にフランクの死花を置くと、その花は時期が来たとばかりに顔を見せ、そしてすぐに枯れていった。
花葬の条件『故人の残した全ての花が枯れる』を満たしたのを確認したニコルは薔薇の木もろともに火を灯した。
ごうごうと燃える火を目の前にニコルはパイプを蒸す。
口から漏れた煙が空へと舞い上がるのをフランクが天に昇る姿と重ねながら。