8月:陽の咲く日 - 10
遅い朝食をとって迎えた午後、シュウが屋敷を訪ねてきた。改めて挨拶に、という事らしい。言及すると、朝食は温め直したのではなく作り立てであった。どうせ起きてこないだろうからと支度を遅らせたらしい。鋭い読みである。
散策を終えて戻ってきていた明日美を面白くもなさそうに一瞥して、想子に頭を下げる。
まずいなあと、想子は今日も快晴な庭を見た。襖は昨夜から開け放ったままだが、昼間はただ暑いだけだ。シュウの事である、挨拶や現状報告に託つけて、あわよくばここに残れという話をするつもりだろう。
実際そんな兆候が見えてきた頃、今度はシキが顔を覗かせた。
庭先からひょいと二人に手を上げて、やぁいますな、と言う。
正面玄関から訪れるシュウ、突然庭に現れるシキ。訪問の仕方ひとつとっても、性格が滲み出ている。
「皆さん雁首並べてお揃いで。今日も暑いですな」
暴言を吐きながらすたすた縁側に歩み寄ってくるシキは、昨日とは打って変わった着流し姿だった。それなりに着こなしていると言えなくもないが、どういうつもりなのか模様ひとつ無い純白の生地である。おかげで着流しというよりも、ぱっと見には半ば経帷子のような印象を受けた。これで頭に三角の布でも結べば、そのまま、しだれ柳の下に立って恨めしやと呟いても違和感がないくらいに。おまけに下は草履だ。
とかく、極端な男であった。衣服に関しては信用しない方がいいとの思いを、想子もシュウも新たにする。彼の事を深く知らないだけあって、明日美はそこまでではなかった。ただ、なにあれ、と放った一言が全てを物語る。
額を押さえながら、シュウが何とか言った。
「……なんで白装束なんです」
「涼しそうでしょう。夏は白ですよ、白のワンピース!」
よく分からない話をしている。
「どうです御一同、俺だって決める時は決めるんです。俺の着物姿なんて滅多に見られやしませんからねえ、存分に目に焼き付けて、夜毎いけない事に」
「シキ兄」
「はいな姫、いかがなさいました」
「左前ですよ、それ」
皆が関わりたくなさそうに天井を見たり茶を飲んだりしている中、辛うじて想子だけが、彼を見ながら指摘した。その視線が指し示す胸の辺りを、シキは顎を引くようにして、暫くの間黙ったまま見下ろしてから、
「あれまあ」
と言った。
想子達が何を話していたのか、シキは気配で悟ったらしい。
というより、想子とシュウが顔を付き合わせれば、そういった話にしかならないからなのだが。
よいしょと座敷に上がり込み、広い座卓を二人と一緒に囲む。
「つまんない話してますね」
ポットから勝手に注いだ麦茶で喉を潤すと、シュウの神経を逆撫でする一言をシキは放った。
案の定、ただでさえきつい目尻が吊り上がり、このまま懺悔でも聞き出しそうな程に穏やかなシキの目と、ますます対照的になる。
「そっちの女の子が退屈そうじゃないですか」
「あるイミ面白いっていえば、面白いものを見てるわね……」
じっとシキを凝視する。
シキが首を傾げた。誰も何も言おうとしない。
でも、と、気を取り直したように、太い柱に凭れて座ったままで明日美は続けた。
「さっきもちょっと外出てきたけど、見事に一面、山と野原ばっかりねー」
「発展の余地がない買占め田舎ですからね」
「不満って言ってんじゃないわよ。こんな大自然まみれの風景、なかなか見られないしさ」
「とはいえ若い女の子には物足りないでしょう。
そだ、ちょっとは面白味のある場所を紹介しましょうか」
「え、どこどこ?」
明日美が柱から背を起こす。
不満がないのはそうであろうが、それはそれとして目的も欲しかったようだ。
「ここから少しばかり歩いた先の山なんですがね」
「うんうん」
「色々と採れるんですよ」
「採れるって、山菜とか茸とか?」
「はい。それも他なら時期を外した物や、相当珍しい物なんかも採れます。抱え切れないくらいね。むかーしむかしのその昔、大きな術をかました影響で季節や生態系が歪んじまったとかで……」
相当珍しい物と聞いて、明日美の瞳が輝き出した。
商売人の血が反応したらしい。後半、さりげなくとんでもない話をされた事さえ聞き流せるまでに強く。
「どうです、いっちょ今夜のメニューに貢献してみては」
「行くっ!」
「という訳です。シュウ君、案内して差し上げて」
「――はあ!? どうして僕が!」
予想だにせぬ方角から話を振られ、口を開けば棘が出そうだからと黙って聞いていたシュウが目を剥いた。今にも食って掛かりそうな剣幕を軽やかにやり過ごし、シキは二杯目の茶を注ぎながらのんびり言う。
「客人のもてなしも大切な仕事です。それに君も十五でしょう。女の子のエスコートひとつ出来なくてどうしますか」
「何を言ってるんです」
凄まじく冷たい視線でシキを睨み、
「第一あそこは素人が行くには危ないですよ、山の精気が強すぎます。何が出るか分かりません」
「素人が行くには危ないなら、玄人が付いていけば問題なしです」
「ですからどうしてそれが僕なのかと聞いているんです。行くなら言い出したシキさんが行くべきでしょう」
「君こそどうしてそこで俺を勧めるんです。こんな可愛い子と俺を山で二人っきりになんかしたら、それこそ一体何が出るか起こるか」
げっ、と明日美が叫び、膝立ちで数歩下がった。
シキは何故か声を張り上げている。理由はおそらく誰にも理解できていない。
「あまつさえ、その場に生えてる山菜で怪しい薬調合し始めるかもしれませんよ!
どのくらい怪しいかって、それはもう怪しいやつを! 具体的に効能を述べると、まず鼻」
「わかりました、もういいです。僕が行きますから黙っててください。これ以上塚護の品位を貶めないように」
これ以上続けられたら斬りかかるかもしれない、そんな態度をありありと表に出して、シュウが会話を打ち切った。
億劫そうに立ち上がり、ちらと明日美の方を見下ろす。
「どうします。危ないのが出るかもしれない、おかしな山。僕としては、断ってもらった方が楽なんですけど。修行もしなければいけませんし」
「そーツンケンしないでよ。昨日の根に持ってる?」
「…………」
「睨まないでってば。行く行く。準備するから、ちょっと待っててね!」
「結構遠いですよ」
諦めて、シュウは先に縁側へ向かった。
「おっと、忘れてた」
自分の荷物を取りに向かおうとしていた明日美を、シキが呼び止める。
踵で畳にブレーキをかける明日美に、シキは一枚の紙片を差し出した。
「約束のお守りです。気合入れて作っときました」
「あー、昨日言ってた……」
何となく腰が引けた様子で、すぐには受け取ろうとせず、シキの差し出す符を明日美は眺めた。昨日は興味津々だったというのに、今日はあまり触りたくなさそうである。
これにはシキも苦笑して、ひらひらとやりながら更に勧めた。
「変な物は混ざってないです、大丈夫ですよ。効果は俺の名にかけて保証しますんで」
「……ん、じゃ貰っとく。ありがと」
「シュウ君も欲しいですか」
「いりません」
「ぶーぶー、せっかく作ったのに」
「歳を考えてください」
「ほらジャック、ジャックも行くわよ」
荷物へ向かう途中に寝ていたジャックを、明日美が拾う。
「――へ?」
ジャックはといえば、抱き上げられて明日美が荷物を漁り始めてから、やっと反応する有様だった。
「まま待てよ!! 俺まで!?」
「聞いてたわよね、危ないかもしれない場所だって」
「だったら尚更行きたくねーっての! しかも山だぞ、暑いし狭いし毛に土がつく!」
「狭くはないでしょ……てかアンタ寝っぱなしじゃない。二日目なんだし、外に出て自然をその身一杯に感じなさいよ」
「お断りだお断り! 猫は外に出さずに飼うって最近はなってんだろ? 風潮には従えよ!」
「ねえお願い、ジャックぅ……あたしを守って……」
「猫撫で声出すなキモい」
「想子も行こうよ」
ジャックの首を絞めながら笑顔で振り返った明日美に、想子が答えるよりも早くシキが告げた。
「残念ながら、姫はちょいと用事があるんですよ。
そのぶんお嬢ちゃんが頑張って、山盛りの収穫物で驚かせてやんなさい」
「そうなの?」
「え?――ええ」
何とか調子を合わせつつ、想子がこっそり横目でシキを見ると、明日美からは見えないように片目を瞑られた。
続いて、シュウに視線を移動させる。こちらは、余計な事をしやがって、という内心を露骨に顔に出している。
想子は心中嘆息した。彼の気持ちは分かるし気の毒ではあるが、正直山の中で小言は御勘弁願いたい。暑いし。
明日美は単純に残念そうだった。が、すぐにさっぱりした顔で袋を肩に担いでみせる。
「まー久々の実家ならしょうがないわね。お土産期待しててねー!
っと、お待たせ、行こ」
「はい。それでは想子様、失礼致します」
気分はどうであれ背筋の伸びた見事な一礼をして、シュウが歩き出した。後にジャックを抱いた明日美も続く。
暫くは、アンタそんな格好で山登る気なのこれでいいんです、その刀本物なの本物です、といった会話が座敷にまで届き、ようやく聞こえなくなったと思ったらダッシュで戻ってきて、水持つの忘れた!と叫び水筒を発掘しだす明日美などで、出発したというのに騒々しい時間が流れる事となった。
それも済み、やがてふたつの人影が目で追えぬ程にまで小さくなり。
座敷は、束の間の静寂に包まれる。
「元気な子ですなあ」
「……大丈夫でしょうか。
昼間ですし、シュウ君がいますし、まずい事にはならないと思いますけれど」
「なあに、冒険に多少の危険はつきものってもんですよ。いい思い出になるでしょ、はっは」
「適当な……シキ兄はどうするんです」
「俺ですか。昨日暑くてあんま寝られなかったから、いま寝ます」
シキはそれだけ告げると、ごろりと床に横になり、本当にすうすうと寝始めてしまった。
無体を地で行く彼の行動を、想子は口を開けて見守るしかなかった。
30分ばかりが経過して、シキはむくりと起き上がった。
伸びと大欠伸というお決まりのセットをそつなくこなし、同じ場所に座っていた想子を見る。
「そろそろ、いきますわ」
「何しに来たんです」
「難を逃れたでしょ?」
そう言って笑う。シュウの事だった。
やはり用事云々はそれだったらしい。
難扱いはあんまりだと想子は思ったものの、表現を変えたところで内容は変わらないのだ。
シキは縁側で、想子に背を向けながら、草履に不器用に指を通している。
「彼の言ってる事は正しいんですけどねえ。いえ、彼の言ってる事しか正しくない、ですか」
想子の息が止まった。
ほんの刹那だったが、冷たい湯飲みを取り落としそうになる。
「自分の責務ほったらかしにして遠くに行っちゃって、一年半も過ぎて、その間ちったあ何か考えてたのかと思えば、どうやら何も考えてない。彼じゃなくても怒りますよ、これは」
シキ兄、と呟く。彼は振り向こうとしなかった。
膝に、何かが触れる気配がする。顔を下ろす。九縄だった。
そうだ、九縄もこの部屋にいたのだ。長年その身を隠し続けたこの屋敷で、言葉を発さず潜んでいると、時たま、本当にどこに行ってしまったのか分からなくなる事がある。
当主である自分の傍を離れないのを、知っていても。
「まあ姫を苛めたいんじゃありません。そう哀しい顔をなさらないで。
俺はよく姫をおもちゃにして遊びましたがね、決定的な場面で裏切った事は一度もなかった筈です」
やっと草履を履き終わったのか、シキが庭先に降りた。相変わらず想子に背を見せたまま、訪れた時と同じような、気楽な調子で歩き始める。
想子は息が詰まりそうになっていた。聞き慣れた言葉だろうと、口にする者によっては、より鋭利な刃と化す。
それでも、去っていくシキを見送ろうと、のろのろ立ち上がって縁側に近寄り、腰を落としたところで。
既にある程度離れた位置まで庭を進んでいたシキが、足を止めて振り返った。
優しい目だ。誰もが彼に対して抱く印象を、想子は唐突に思う。
夏の日差しの下に突っ立った白い着流しの男が、困惑した想子を見て、にっこりと笑った。
「ところで姫、いいこと教えましょうか。シキ兄さんの耳寄り情報です」
その脈絡のなさに疑問すら持たず、持てず、いい事って何です、と、ほとんど自動的に想子は尋ねている。
「何ってそりゃ、そこの九縄くんを殺す方法ですよ」
まるで美味しいお茶をご馳走様でしたとでも言うように、彼は平然とそれを口にしてみせた。




