7月:七夕三者三様 - 4
織姫と彦星が無事に再会を喜び合えるか否か、その判定まで残り数時間という頃合。七夕といえば笹飾りである、という想子の強固な主張により、半ば強制的に飾り付けられている笹田であった。
調子外れに笹の葉サァラサラだの口ずさみつつ、手作りの星などを引っ掛けていく想子は、とりあえず楽しそうではある。若干むず痒そうにしているものの、笹田も満更ではなさそうだった。
笹田は小さい。よって、飾りは小さな折り紙で作った物を、数個付けるのが限度である。切り抜きの黄色い星と、桃色の花。あとは何故か、兜。興味なさげに馬の図鑑を捲っていた九縄が、初めて胡散臭そうに言及した。
「……兜は七夕飾りか?」
「これしか折れないんですよ、わたし。どうしても他にというなら、鶴もいけますけど」
どちらにせよ、七夕飾りとは何か違う。
九縄にも積極的に修正を図るつもりはなかった為、それはそのまま目立つ位置にぶら下げられた。部分的に、五月の香り。
『想子さん、私でしたら、まだまだ大丈夫です!』
ゆさゆさと笹田が茎を揺らしてみせる。この程度の重みでは挫けない、という主張らしい。
確かに笹田の言う通りである。スペースは少々厳しいとはいえ、ぶら下げられる箇所はまだ幾つかあるだろう。それに、出会い頭から死にかけていた事もあって、とかく、か弱いイメージばかりが先に立つ笹田だが、実際には数十年を生き、その気になれば鉄の車体を両断できる妖樹、化け笹なのである。
力そのものは低いとはいえ、それは九縄やジャックといった他の妖怪と比べての話。人間基準で見れば充分に怪物である。たかだか紙の飾りを数個括り付けた程度で、どうにかなる筈がないのだった。
しかし想子には別の考えがあったようで、フフフとわざとらしく笑うと、予め分けておいたそれらを床に並べた。
「空いている場所には、これを飾って完成形とするのです。
やはり七夕といえば、これが無いと……」
一人で目を閉じて頷く想子の前にあるのは、長方形に切った短冊であった。
なるほど、短冊あってこそ七夕飾りが締まるには違いない。
締まるというよりも、これが無ければ始まらないと言って良いくらいだ。
久しく手にしなかった願いの渡し舟を前に、少しの間だけ感慨深そうに沈黙してから、想子は、笹田の前に緑の短冊を、九縄の前に青の短冊を差し出した。残った白い短冊が、想子の分である。
「おい待て、儂にまで書かせる気ではなかろうな」
「いいじゃないですか。お祭りなんですから、隅っこにいないで九縄も参加しましょうよ、ね」
「……参加しろと言われたところで、星夫婦に願わねばならん事など無いぞ」
ぶつくさ愚痴りながらも、九縄は忠実に糸を伸ばしペンを取る。
命令実行と自由意志の線引きが何処にあるのか、それは判断する九縄にしか分からない。
「笹田さんは? ペン使えます?」
『はい、なんとか』
「では、ここにある中から、好きな色のを選んでくださいね」
『わかりました。……想子さんの短冊は白いのですね。この、色に意味はあるのですか?』
「へっ……いえ、適当ですけど……」
「主体性無く、ふらふら流されては染まる生活ばかり送っているからであろうよ」
「……こんな日くらい、そういう嫌味はやめてください」
想子は唇を尖らせ、九縄を睨んだ。
しばらくあって。
「そろそろ出来ましたかー、皆さん」
「ああ」
『は……はいっ……私……も……書き終わりまし……た……』
「って何か笹田さんが壮絶にバテてるー!?」
「無理に物を動かすからだ、阿呆が」
九縄が呆れ返った声を出す。
笹田は笹である。故に手も指もなく、九縄の糸のような代替品ならぬ代替能力も持たない。まさか葉を曲げて掴む訳にもいかず、つまりペンを動かすのは100パーセントの力技、要は気合であった。
物を思うがままに動かすような力は、笹田の範疇ではない。
ここで再び話は戻る。
人間基準では充分怪物といえる笹田だが、妖怪基準での笹田は弱い部類に入る。九縄のような規格外であれば多少の無茶はきくが、そんな笹田が得意分野でない力を使うというのは、それだけで結構な疲労を招いてしまうのである。ペン程度だから何とかなったものの、もっと大きく重い物であれば、動かす事すら出来なかったであろう。
「さ、笹田さん……そこまでして、この行事に命を懸けてくれるなんて……」
『いえ……これしき、どうという事はありません……私が受けた、ご恩を考えればっ……』
「笹田さん……!」
星屑飛び散る感動空間に突入しているふたりから、九縄は心底関わり合いになりたくなさそうに身を引いた。
「という訳で、まずは九縄のからいってみましょう」
『あ、私も気になります』
「お前らな……」
疲れた様子を漂わせつつ、九縄が床の上を滑らせて寄越した短冊を、想子はわくわくしながら裏返す。
『人肉』
想子は穏やかに短冊を元に戻した。
「却下です」
「願う権利は誰にも等しく認められるべきではないのかね」
「どこの世界に人肉短冊下げた、ザ・夏の猟奇祭りな七夕があるんです! しかもカラーペンで無駄に達筆!」
ご丁寧に色も赤である。
文字から滴り落ちる血液までは表現されていなかった。九縄も、そこまでデザインに凝る気はなかったらしい。
これは願われた天の川夫婦も泣く。そんな事を思い、想子はそっと九縄の短冊を後ろに隠した。ぶら下げる前に分かって良かった。書いてしまった時点で願い配達完了なのだとしたら、手の打ちようがないけれど。
地が肉食動物の九縄にしてみれば有り触れた願望であり、世界平和と人類融和が書かれていても逆に怖いが、なんだかなぁと想子は額に手が行ってしまう。端的に言って、それだけ頭いいんだし空気読もうよと。
「こういう肉々しいのはやめてくださいよ。願い事って、もっと夢やロマンに溢れた感じじゃないですか?」
「叶うか怪しい夢やらロマンやらよりも、手近にある現実を採りたいね、儂は」
「こっ、これだから夢を失くした大人なんて……」
「お前も年の上ではとうに大人だろうが。いい年して、いつまで子供ぶるのが許されると思うなよ」
「いい年言うな。とにかく人肉関係は駄目です。後始末に困りますから」
『あ、後始末の問題なんでしょうか!?』
ざわっと、大仰に笹田が全身の葉を揺らす。想子は思わず短冊を忘れ、そちらを向いた。九縄も、少し面白そうに笹田を見ている。
「余った分は、そやつの鉢にでも埋めておけばいいさ」
『ええええ』
「純粋な笹田さんが変な方向に成長しそうだから、それも駄目です。
……あのそれと、笹田さんもあまり本気になさらず……」
笹の茎の下には死体が何とやら。
血肉を糧として動植物を育てる方法は存在するが、それはもう術の領域に踏み込んでいる。真紅の葉脈走る葉を好戦的に輝かせる笹田。あるいは妖艶な笹田。どちらも目の当たりにしたくない眺めだ。
「……えー、では気を取り直して、次は笹田さんのを」
『はい、よろしくお願いします』
よろしくと言うような事でもないけれど。幾分か緊張を帯びている笹田に、想子は微笑ましい気持ちになった。会話に慣れたかと思えば、まだ所々で不慣れが出る。九縄も言葉を得たばかりの頃はこうだったのだろうかと想像して、想子はほくそ笑む。実際には想子も同じ過程を辿っている。生まれた時から会話の中に生きるか、そうでないかの違い。
笹田の努力の結晶。植木鉢に寄り掛かって立っている短冊を、想子が手に取り、捲る。慣れぬ作業に苦労した証の、ぶるぶると震えた、幼児のような不恰好な文字。
『みなさんが なかよく していけたらいいですね ささだ』
笹田の葉が、照れたようにしな垂れている。
想子が、胸の前でグッと拳を握り、怒涛の勢いで湧き上がった万感を込めて唸る。
「……くうっ、かわいいっ!
これこれ、これですよ! こういうのを『お願い事』と言うのです! この肉空間に欠けていたのは、まさにこれです!」
「悪かったな可愛げが無くて。……それで? 想子、そういうお前は何を書いたのだ。そこまで言うからには、さぞや気の利いた立派な願い事なのであろうな」
「えっ、あっいえその、要修正……」
「見せろ」
「ちょっ!」
急にうろたえ出した想子が服の隙間に突っ込もうとするより早く、九縄が糸で短冊をひったくっていた。想子自身への害意があった訳ではないので、この辺りの行為に制限は無い。止めろと命じれば、早い話なのだが。
あわあわしている想子を放置して、さりげなく笹田からも見える角度を選び、九縄は短冊の文字に目を走らせた。
――――――――――。
「…………」
「…………」
「……既に叶っているだろう」
『失礼ながら、私もそのように……』
閉め切った室内が、冷房の設定温度よりも更に一度ぶん、冷えた気がした。
あくまで蜘蛛なりに嫌そうな表情を浮かべながら、九縄は糸先で短冊をぴんと弾いて想子に返す。
ひらひら空中を舞う短冊を、想子が慌てて掌で受けた。笹田が二、三度左右に体を揺らし、結局何も言わず黙る。
「く、九縄ってば! もっと丁重に扱ってくださいよ、私の十……ええと何年振りかになる、渾身のお願いを!」
「ところでお前、いつ文字を覚えた。読むのはともかくだ、書く方は出来ぬと思うておったが」
『それはですね、おふたりが留守の間に、こっそり練習していたのです』
「そうか。向上心があるのは結構な事だ」
『ほ、誉められてしまいました!』
「……あのー……笹田さーん? 九縄さーん? ……もしもーし?」
想子の嘆きも虚しく、それきり短冊の内容に話題が及ぶ事はなしに、間もなくカササギの橋は空に架かろうとしていた。
三者三様――いや、四者四様の願いが、果たして聞き届けられるかどうか。それは、天の裁量に期待するしかない。




