5月:ゴールデン・アポカリプス - 3
30分後。
真っ白に燃え尽きた姿でベンチに座る、グロッキー女がそこにいた。
急に腹痛を起こしたのでも走り過ぎて疲れたのでもない、内部に入ればそこには外よりずっと多くの人がいる訳で、つまりは人波に酔ったのである。遊ぶ以前の問題であった。
「社会不適合者……」
明日美の無情な呟きが降ってくる。やかましい、と返そうとしたが、うえぇという呻きにしかならない。えずいているだけである。
と、蒼褪めた顔で口元を押さえる想子の前へ、カラフルな紙コップが差し出された。
「ほら、これでも飲んで落ち着きなさい」
ジュースだった。売店で買ってきたのだろう。
礼を言って受け取り、口を付ける。甘ったるさはやや胃に重いが、グレープフルーツの香りが爽やかだ。
「どうも……」
「どーいたしまして。男女だったら、こういう気遣いから関係が発展するもんだけどねー。想子も精進しなさいよ、うん」
いちいちダイレクトに弱点を見極めて抉ってくるのはやめて欲しい。
鼻を鳴らして先輩面の明日美を冷たく遮ったのは、腕から頭に移動していたジャックであった。
「嬢だって、男女のイロハに関しちゃ人の事なんざ言えねぇだろうがよ。ウケはいいけど、そっから一歩踏み込もうとした段階で、テンションに負けてみぃんな逃げ出すからな」
「うっ……それは」
痛い所を突かれたらしく、明日美が言葉に詰まった。
心中でジャックに拍手喝采する想子。
「で、でもほら、この状況だって、考えようによっては男2女2のダブルデートと思えなくないことも……」
「……嬢……無理すんな……。
ってかよ、だいじょぶかい姉ちゃん。影んなってるとこ行くか?」
「ええ、ありがとう。だいぶ楽になってきました。もう少し、ここで休んでいれば……」
言いかけて、不意に起こったざわつきに中断させられる。
反射的に顔を上げ、声のした方を見た想子は、虚ろな目をそっくりそのままに、暫くの間固まった。もう少し体調がしっかりしていれば、愕然とする、といったような表現を適用できる表情を作れたのだろうが、今の想子では、焦点の定まらぬ瞳でぼんやりそちらを眺めるのが限界だ。
しかしおかしい、確かに気分は悪くても、幻覚を見るほど酷い状態ではないと思うのだが。
いやそもそも、幻覚なら他人がざわめく事もない筈なのだから。
ジャックの方は、低い呻きまで伴っている。
「物の怪……じゃねえよな?」
「……ああ、あれ? あれなら、ここのマスコットキャラよ」
「マスコットぉ?」
ジャックが素っ頓狂な声をあげた。全く予想だにしない答えだったらしい。
「そそ、アポカリプスランドのマスコットキャラクター、ミスター・アーポ。アンタら運がいいわねー、生で動いてる所なんてなかなか見られないんだから」
「見られないといいますか、まず聞いた事さえないんですけど……」
「そりゃーまー、世界規模で名の知れてる連中と比べたらマイナーよ」
明日美が庇うように言う。
だがそれを見れば、問題が知名度にある訳ではない事を、誰もが嫌でも理解させられただろう。それ程までに、そいつの悪い意味でのインパクトは群を抜いていた。辛うじてマスコットらしさが読み取れるのは、頭と体の比率のみである。おまけにそれさえも、この悪夢じみたデザインの前ではマイナス要素と化していた。
2頭身だというのに、存在感の大きさたるや30頭身を軽く超えている。
無論、それ以外の超えてはならない壁も超えている。
ミスターというからには男なのだろうが、性別を語るより所属する惑星と次元を語った方が適切な容貌であった。
不恰好なトーテムポールの如き頭と胴体は生々しい肉の色で覆われ、ぶよぶよと波打っている。そこから生えた複数の腕は、どれもありえない角度に関節が曲がり、先端には手指の代わりになるのであろう触手が、だらんと房のように垂れ下がっている。おそらく、ここまで動かす仕掛けを作る予算が無かったのだと思われた。
足がどうなっているのかは、モップ状の毛に覆われていて良く見えない。一応、自立歩行は可能なようだ。何を考えたのか、やや上下にずれて設置された両目は、睫毛の長い少女漫画風に描かれていた。しかしそこに可愛さ可憐さなど欠片もなく、端的に言って、ただただ不快である。鼻と唇は肉に埋もれて確認できない。代わりに、紫色の西瓜が一個実っていた。
想子の頭上から、吐き捨てるような声がした。騒ぎに眼を覗かせた九縄が、嫌悪を露に言ったのだ。
「……なんだあの不愉快な物体は」
「うわ、旦那の美意識でも耐えられねーのか。こりゃ本物だな。デザイナー魔界出身なんじゃねぇの」
「ここがいまひとつ振るわないのって、設備云々ではなく、あのマスコットが原因なのでは……」
「何だかボロクソね皆。じっくり見るとキモカワイイって思えてこない?」
「間3文字抜かしてキモイってんだよ、あれは」
ジャックが真実を的確に突く。
「んー、その筋では評判高いんだけどなあ。
全国ご当地キワモノキャラ選手権でも、並み居る強豪、新顔を押し退けて毎年トップ争い繰り広げてるし。去年の『脱穀太郎』とのデッドヒートは熱かったわね……」
「そいつについては絶対聞いてやらねぇからな。……てかご当地キャラ? 遊園地のマスコットだろ?」
「そうなんだけど、あんまりキモイから特別枠で認められたんだって」
「やっぱキモイんじゃねーかよ!!」
理解不能な過去を懐かしげに追う明日美に、ジャックが叫ぶ。声量は抑えているとはいえ、それなりに大きな声を出してなお見破られないのだから、たいした術である。
その時であった。それまで、自分を遠巻きに囲む客に手を振り腰を揺らして愛想を振り撒いていた――もっともそれは、どこからともなく狂ったフルートの調べが響いてきそうな妖しい儀式にしか見えなかったが――ミスター・アーポが、不意にその冒涜的な踊りを止めると、生肉色の身体をうねらせながら、想子たち一同へ向かい動き始めたのだ。
歩み――否、這い寄ると言ったが的確な動作に同調し、背に生えた翼が、ばさり、ばさりと羽ばたく。無駄に凝っている。
「なんかオイこっち来てんぞ」
「ほら、想子が気分悪そうにしてるから、きっと元気づけようとしてるのよ。疲れる事続きの毎日、ふとしたきっかけで訪れた遊園地で、マスコットに癒されて力を貰う。ちょっといい話よね」
「力を貰うどころか、いろいろ吸い取られそうな動きをしていますよ、あの方」
全身から醸し出される圧倒的な迫力に押され、近寄ってくるミスター・アーポを為す術なく見守っていた想子は、キキキキキ、と硬い物同士が擦り合わされる異音を聞き、ぎょっと背筋を強張らせた。
明日美が目を丸くする。同時に本物の殺気に当てられたジャックの、尾の毛がぶわりと逆立つ。
「九縄!?」
「だ、だだだ旦那?」
「……猫、貴様あれに伝えろ。それ以上近寄るならば、斬る、とな」
「待って九縄、落ち着いて下さい、あなたらしくもない! その威嚇音を止めて! こんな所で野生に返らないでー!」
「ちょっ、洒落んなってねー! 洒落んなってねーよこの殺気! 怖い! オレこの空間に居んの怖い!」
「マジメに嫌がってるわねー、くじょっち。相手止まる気配ないけど、どーするの?」
「ど、どうすると言われましても……」
冗談事ではなく殺気立つ九縄を、帽子の上から必死に押さえつけ、大いに焦る想子。そうこうしている内にも、じりじりじわじわとミスター・アーポは迫り来る。動き出すとやや前傾姿勢になるようである。余計に怖い。
迂闊に視線を逸らすと、その隙に飛び掛られそうだったので、目と目を合わせたまま、ゆっくりとベンチから腰を上げる。急な動作は避け、相手を刺激しないようにする。果たして、熊に遭遇した際の対処法がどこまで通じるのかは不明だが。
明らかに客が逃走を匂わせている姿勢だというにも関わらず、ミスター・アーポの歩みに静止は無い。虚無を漂わせた瞳で、彼は何を思うのか。
想子はごくりと喉を鳴らし、じり、じりと似た調子で一歩ずつ下がっていく。
近寄る、下がる、近寄る、下がる。下がる。下がる。
やがて、ある程度の距離が取れたのを確認してから、相手が走ってまで追ってくるつもりはないと判断すると、ばっと身を翻し、かつてない全力ダッシュで一目散にその場から逃げ出した。




