1月:探偵少女 - 13
ギィン!!
鋼と鋼を打ち合わせるが如き異音が鳴る。
頭上僅か30センチで散った火花に、明日美が咄嗟に首を縮めた。再び両腕に力が込められ、ぐえ、とジャックが呻く。
「疾いな。だが遅い!」
圧倒的強者の余裕と共に、九縄が吼えた。
ひょう、と空気を切り裂く音をひとつあげ、何かがくるくる舞いながら地上に落下し、土に突き刺さった。薄ぼんやりした街灯の光を受けて、ぎらりと三日月のような銀色に煌く、それ。
刃物。
誰もが一目でそう思う代物だった。見ただけで鋭利な切れ味を連想させる白刃が、その刀身を半ばでへし折られ、先端を工事現場の柔らかい土に刺して立っている。九縄が、振り返りざま抜き打ちに放った糸で、明日美達に襲い掛かろうとしていた敵の武器を砕いたのだ。打ち込みの速さ、弱い箇所を狙う正確さ、打撃の強さ、刹那にそれらを見極め、実行に移す判断力。いずれも並外れた精妙さを備えていなければ不可能な妙技である。
それはみるみるうちに端から風化していき、遂にはボロボロの砂となって風に吹かれ消える。だが僅かな間で、刃物の特異な形状は見る者の心に焼き付いていた。
剣でもなく、刀でもなく、ナイフでも包丁でも、カッターでもない。どれとも違う。刀身全体を彩る緩やかなカーブ。太く膨れた刀身中央部は、その曲線につられるかのように、先端に向かうにつれて、やはり緩やかに幅を狭めていく。
本来は武器として使われない道具にも関わらず、時としてどの武器よりも禍々しい印象を与える、あれはまるで――。
「鎌!?」
「正解だ、小娘」
ガガガッ――
想子の掲げた手の甲に堂々と座し、九縄は縦横無尽に糸を操る。
今度は、僅か一秒に満たぬ間に三発の火花が飛んだ。真横に薙ぎ払った糸が敵の攻撃を弾き飛ばし、打ち下ろした糸が再び鎌を粉砕する。あまりの威力に姿勢を崩した敵へ、返す刀で掬い上げるように一撃を見舞う。
明日美はジャックを抱きかかえたまま半端な中腰になり、下手に動かないようにするのに必死であった。
「あ、アンタ見えるっ!?」
「見えっこねーだろ!! どんな変態だよ!!」
やけくそで叫んだ明日美に、やけくそでジャックが叫び返す。
首を捩って瞳を凝らしてみても、九縄と襲撃者の動きは二者がぶつかり合う閃光と、霞む影としてしか捉えられない。とりわけ動く獲物を追う事に優れる猫の、それも猫又と化したジャックの視力を以てさえ、である。今更ながらに九縄抜きでここに来ていた場合を思い、ジャックは冷や汗をかく心境だった。
「ギャウッ!!」
恐ろしく長く感じた剣戟の時間は、実際には数十秒であった。
獣染みた苦鳴が一声あがると、腹を貫かれた敵が、上空から乾いた地面に勢い良く振り下ろされ、叩き付けられる。どすっ、と鈍い音がした。掘り返された土はそれなりに墜落の衝撃を和らげるが、勢いが勢いだけに、骨の数本が折れていたとて不思議はない。折れていようがいまいが、どのみち運命は決まっているのだが。
ようやく動きの止まった敵の姿を見たジャックが、うへー、と素っ頓狂な呟き混じりに嘆息した。
「試し斬りで、人は存外簡単に斬れると思うたか?
そこで満足しておけば良かったものを、身の程知らずが調子に乗るから死を招くのだ」
九縄は牙と牙の間に渡した糸を、しゅっと砥ぐ仕草をしてみせた。
こわごわ顔を持ち上げた明日美が、両腕で抱いたジャックの頭に顎を乗せ、地面でもがく相手を観察しつつ言う。
「じゃあ、これが鎌鼬……?」
そうだ、だが――。
「奇形か」
淡白な一言に、抑えきれぬ興味の色を窺う事ができた。
どの生物にも、先天的に通常とは異なる姿で生まれてくる可能性がある。それと同様に、異形にも稀に異形が生まれる。そうした存在は同種を遥かに凌ぐ身体機能を持ち、狂った力の流れがそうさせるのか非常に凶暴な場合が多い。
狐、蛇など、元から高い霊格を備えた存在であれば、力の暴走を自ら律し己を保てる事もあるが、それとて確実ではない。まして大多数の弱い者は、行き場を失くした力のうねりに呑まれ、手当たり次第に欲望を振るう悪鬼と化す。この現象は獣の妖に限らず、植物、魚、精霊、何にでも起こり得る。
この鎌鼬もまた、そのような存在だった。
名の通りに、鎌鼬は鼬の姿を持つ妖怪である。細長くしなやかな胴に、尖った頭、短い四肢。尾はすらりと伸び、巻き起こした風に乗って空中を舞う。手の爪は長く鋭く、時にこの爪で人や家畜を切り付ける。
実在の鼬が獰猛な肉食性の野生動物であるのに反し、鎌鼬はどちらかといえば用心深い、臆病な性質で、人を襲うにしても殺す事は無く、傷付けるにしても深手を負わせる事は無い。
しかし、この鎌鼬はまるで違っていた。姿形こそ鼬だが、体つきは優に三周りは大きい。小さく尖った頭、くねる胴体に尾、短い後肢。黒地に茶の毛が混じる毛並みは普通の鎌鼬と似ても似つかないが、何より異常なのは、その前腕だった。胴の長さに等しい程に伸びた前腕は、筋肉と毛が少なく、骨と筋がそのまま浮き出してごつごつとしている。その前方、丁度、手首の部分から、三本の鎌が生えていた。
左右三本ずつ、計六本。三対六本の大鎌が、あたかも蝙蝠の翼の如くに広がり、がちがちと噛み鳴らされているのだ。うち何本かは九縄によって折られていたが、残った鎌から、容易に完全だった頃の姿を想像する事ができた。
九縄の糸で体を貫かれ、地面に縫い止められていながら、鎌鼬は唇を捲り上げ犬歯を剥き出しにし、泡交じりの唾液を撒き散らして、憎悪に眼を赤く煮え滾らせて猛り狂う。だがどれだけ全力で暴れようとしても、首、手足、胴体を強固に縛り上げた糸が、それを許さない。加えて背から腹へと胴体を貫通した糸は、九縄が武器として用いる最も鋭いものであり、それ自体が剣に等しい切れ味を持つ。故に、もがけばもがいただけ貫通点から肉と内臓は切り裂かれていき、四肢と首、胴に食い込んだ捕縛用の糸がきつく締め上げられ、切れた皮膚から血が滴る。
それでも尚、鎌鼬は抵抗をやめようとしない。そのたびに新たな血が飛び、明日美が気分を悪くして呻いた。
「妙に手こずっていると思ったら、捕まえていただけでしたか」
「生かしたまま見せたかったからな。儂も面白いものが見れたわ」
酸鼻な光景に動揺する気配すら無く、想子が掲げたままの腕を揉んだ。
暗に、殺すだけならもっと早く済んだと、両者は言っている。
爪から伸び、鎌鼬を捕らえている糸は、九縄が日常で諸作業に使う糸である。剣糸のような切れ味は持たないが、柔軟性と作業性に富み、その器用さたるや人間の指に匹敵する程であった。また一本しか出せない剣糸と異なり、こちらは8本の脚先と口で最大9本、口から伸ばす剣糸との併用でも8本までを同時に操れる。
鋭さは無くとも力では劣らない分、掴む、縛るなど、相手を捕獲する目的に向いていた。その気になれば、力を込め続ける事で骨を捻り折ったり、肉に糸を食い込ませて切ってしまう事もできる。
これら二種類の糸による連携攻撃が、九縄の強さのひとつの理由だった。疾風の如く飛び交う剣糸から逃げようにも、逃げる先には次々に別の糸が迫り、退路は塞がれていく。いわば複数人による縄での捕縛を掻い潜りながら、剣の達人と戦わされるようなものだ。それがどれだけ困難か、体験として語れる者は少ないだろう。
「ふーん、何気にエリートって線も正解か。意外とすごいな、嬢。勘とか野生の本能とか」
ジャックはジャックで、違う所で感心している。
この場にいる常識人が自分しかいないような気に、明日美はなってきた。
それは妖怪を相手にした局面では正しいかもしれないが、少しでも彼女の裏の面と接触した人間であれば、必ずしも同意しかねる発想である。
そろそろ疲れてきたのか、想子が九縄を乗せたまま腕を下ろす。
「玩具にするのは、高潔な行為とは言えませんね」
「濡れ衣を晴らすぐらいの行為は、認めてくれてもよかろう」
それは木霊への疑いをか、事件は再度起こらないという九縄の発言が外れた事をか。
「とはいえ、いつまで眺めていて飽きぬような奴でもない。始末する」
鎌鼬の胴から、剣糸が引き抜かれた。
地面に這い蹲らせられ、毛を土に塗れさせてもがき、喘ぐ獣へ向かって、大きく糸が振りかぶられる。
「こ、殺すの?」
驚いたように言う明日美を、こちらは予想していたように想子が見た。
想子の静かな目と視線が合い、明日美が少し狼狽する。
「対象の殺害は依頼内容に含まれていませんが、見逃せとも言われていません。ジャックさんが、どうしてもやめて欲しいと仰るのでしたら、今からでも契約内容を考慮できますけれど……。
わたしの意見を言わせて頂けるのでしたら、これをこのまま野に放つのは勧められませんね」
「オレも同感だね。懲りて反省する、なぁんて頭があるよーにも見えねーしな」
軽い声で、案外と辛辣な評価を口にしてみせるジャック。
ギィギィと苦悶し、血を撒き続ける鎌鼬を見る明日美の瞳から、それでも陰りは消えない。ふっと軽い溜息をつき、苦笑いするように想子に向け口を開けてみせると、ジャックは顔を上に向けて言った。
「嬢よ、覚えときな。退治するってのは、煙みたいに消えてなくなる事じゃねえ。その相手を殺す事だ」
わかってるけど、と明日美が呟き、ジャックをぎゅっと抱いた。
九縄が嫌味を言う。
「おやおや、儂の主殿よりもお優しい心根の持ち主がここにおったぞ」
「あなたは間違っていませんよ」
九縄の背中を指で弾き、想子は明日美をまっすぐ見詰めたまま、一句一句をはっきりと伝えていく。
「どんなに凶悪な事をした相手でも、目の前で惨たらしい目に遭わされていたら、哀れに思う心が沸いてしまう。それが正しいかどうかは分かりません。でもそれはきっと、とても大切な感情なのですよ。
……明日美さん、あなたよりは幾らか道を先に行く者として、ひとつ助言をしましょう。忠告、とも言うのかもしれませんが」
想子が再び腕を前方に掲げる。
動作に込められた意思を、命令を正しく読み取った九縄が、銀光を放つ剣糸をヒョウと鳴らした。
「自分を殺しにきた相手を殺せないなら、今日を限りに、妖怪と関わろうとするのは止める事です」
九縄の糸が高々と飛ぶ。
明日美は、もう何か言おうとはしなかった。
刃と化した糸が振り下ろされんとする刹那、明日美がぎゅっと瞼を閉じる。
瞬時に身体を寸断され絶命する鎌鼬の、それでも短く発した断末魔を、笛のように高く鳴いたジャックの声が隠した。




