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「貴方は――娘を幸せにしてくれるのかしら?」
それは確認というより、“是”以外の答えを一切受け入れないような強い言葉だ。真織さんのまっすぐな視線と交差し、震えるほどの威圧感の中で俺は笑う。
「無理です」
俺のはっきりとした回答に周囲がざわめいた。けれど真織さんは動揺せずジッと俺を見つめたままで。
「彼女を幸せにする自信はありません。俺は一般人だし経済的観点から見ても圧倒的に彼女より資産は少ない。金が全てとは言いませんが、金はないよりはある方がいいです。俺は彼女を養えるような器量もありませんし権力もありません」
金や権力が全てではないとは分かっている。
けれど実際に手元にあると心強い武器になる。
それに愛が勝るかと問われれば酷く難しい。
だから――。
「一緒に幸せになれるよう努力します。育ちや生い立ちに格差がある分、きっと喧嘩もするし泣かせることもあるでしょう。彼女の残りの人生を隣で過ごし、彼女が笑顔でいられるよう、病める時も健やかなる時も、善意も悪意も共に受け止めて歩んで行きたいです」
何度だって。
何度だって誓おう。
君と一緒に幸せになりたいから。
少しだけの沈黙後、真織さんはふっと笑って見せた。
「いいわね。その方が人間くさくて。少なくとも“幸せにする”と断言し、豪語する人よりは信用出来るわ」
さっきそれを口にした人物がいる事を知らないはずなのに、真織さんがそう言ったものだから心当たりのあった御仁はサッと表情を変えて体を小刻みに震わせる。再び真織さんが彼女へと視線を向けると、珍しいほどモジモジとしているのだが、いつもの事なのか真織さんが気にする様子はない。
「縁、素敵な人を見つけたわね」
「うん。すごく誠実で正直な人なの。良くも悪くも、だけど」
「おい」
俺が思わずツッこむと、親子揃ってクスクスと笑うから困ってしまう。
「あの、忙しいとわかってるけれど……結婚式で着る衣装選ぶの一緒にしてくれる?」
「そうね。楽しみにしているわ」
たったそれだけなのに、彼女が無邪気に笑った。本当に母親が好きなんだなとわかる喜び方に、俺も思わず嬉しくなる。ふと真織さんの後ろに控えていたうちの一人が小さく「お時間です」と言ってきた。
「ごめんなさい。もう行かなければ」
「うん、会いに来てくれてありがとう。嬉しかった」
本当に多忙で時間がないにも関わらず、合間を縫ってきてくれたのだと理解できるほど短くも濃密な時間だった。たった数分だったにも関わらず、彼女は名残惜しそうにもちゃんと気持ちを伝える。もしかしたら彼女が何事にもはっきりと返事をするのは、両親が多忙故にちゃんと意思を伝えなければいけないと学んできたからかもしれない。YESもNOもはっきりと言うのは育ってきた背景があったらしい。
真織さんが改めて周囲に邪魔したことを謝罪して、最後に改めて振り返って。
「縁。結婚おめでとう」
そう笑った真織さんに勢いよく抱きついて、そんな唐突な行動をおこした彼女の体を難なく受け止めて抱き締め返す。
「お母様大好き」
「ええ、私も大好きよ。幸せになりなさい」
人目もはばからず抱き合い、そして好意を口にできる親子関係は本当にすごいと思う。
「娘をよろしくね」
「はい」
愛娘を抱きしめながら告げられた言葉に、俺は力強く答えた。
◇◆◇
突如現れた大物は、去り際も優雅かつ大胆だった。
自分の後ろに控えていた部下に声をかけ、周囲ににこやかに笑みを浮かべながら颯爽と去っていく。声をかけられた部下が幹事である茂住さんに歩み寄ったかと思えば、真織さんからの言伝を聞いた瞬間に「えっ!?」と驚きの声をあげる。それから何度も同じ事を繰り返し確認しているところで、俺はもう一つ解決しなければならないことに対峙することにする。
真織さんの登場で周囲の空気は感動に包まれていたものの、やがてその熱が落ち着いてきたタイミングで、次に呼び起こされるのは当然、俺と彼女との結婚についてと御仁の関係性である。自分達だけであれば何とか取り繕い俺を排除できたかもしれないが、真織さんが現れそして認めたとなればどう足掻いても状況をひっくり返すことはできない。
こちらは親公認であり、御仁は公認どころか認識さえされていなかったのだ。実際、真織さんは彼に一瞥すらくれる事なく去っていったので現実は残酷だ。
彼女の婚約者ではないかと噂された時点で否定しておけばよかったものの、匂わしたまま今日までやってきたのだから自業自得だ。社員達が無遠慮にヒソヒソと彼らを囲んで噂を始める。
「じゃあ天宮さんって結局なんだったの?」
「勝手に自分が勘違いして婚約者だと思い込んでたって事?」
「なにそれ、すっごい痛い男じゃん」
「いや、いくら優秀でもこれはないでしょ……」
「天宮専務が主導してたの?」
「否定してない時点でおかしいよね」
「詐欺みたいなもんじゃない?」
いくら声を潜めているとは言え、団体で会話したら自然と声も大きくなる。専務も御仁も同様に顔色を悪くし、その場に立ち尽くして逃げることも隠れる事もできないでいる様子を見て、俺は誰にも気づかれないよう小さくため息をついてから御仁――天宮さんのもとへ歩み寄った。
「天宮さん」
「っ!」
先ほどまでの威勢や自信ありげな態度はすっかり鳴りを潜め、俺が声をかけただけでビクッと全身が震える。虚ろな瞳で俺をとらえながらもやがてその目に憎しみが膨らみ始めた頃に俺は微笑んで。
「ありがとうございます。おかげで助かりました」
「……は?」
全員が全員、俺が天宮さんに対して嫌味を言うのだと構えていたらしく、俺の感謝の言葉にその場がシンと静まり返る。周りの様子に気が付きながらも俺は続けるように伝えた。
「いやぁ、名演技でした。流石に焦ってしまいました」
自分の後頭部を撫でながら笑えば、天宮さんはまだ状況が理解状況らしく、俺はワザと説明っぽく告げる。
「彼女の知名度を考えると結婚を公表する事に二の足を踏んでいたので、天宮さんのおかげで踏ん切りがついたというか」
つまり、だ。
貴方がプロポーズまがいな事をしてくれたおかげで、自分は結婚公表する気になりましたよ。それって俺の不甲斐なさに腹立たしさを覚え、やきもきしていた彼女に気を遣ってくれたんですよね? というニュアンスを含ませて。
「流石に総帥の登場には焦りましたね?」
「は、はは……あ、ああ」
俺の発言の意図を察したらしい彼女は隣に並び、仕事向きではない穏やかな笑みを浮かべて。
「否定も肯定もしないというのは大変だったでしょう? どちらともいえない態度を取り続けるなんて並大抵の精神ではできないもの。おかげで私たちは無事に入籍を済ますことができたし、葉クンも腹をくくってくれたから良かったわ。本当にありがとうね」
感謝の言葉を並べておきながら、ちゃっかり本人にしかわからないようにディスるあたりは流石である。ちょっと笑いそうになったけれど我慢して、彼女の肩を抱き寄せながら改めて二人で天宮さんを見ると、呆けた表情から少しずつ口元に笑みを作りながら額に大粒の汗を浮かばせて。
「あ……いや……その、さ、差し出がましいことだとは思いましたが……お、お役に立てたようならよかったです、ええ」
頭の回転が速く、これに乗っからなければ立場が危ういと思ったのだろう。ちゃんと乗ってきてくれてなによりである。その会話を聞いていた周囲がまた評価を変えた。
「え? ってことは何? 天宮さんって二人の関係知ってたって事?」
「じゃあさっきのプロポーズって演技?」
「でも頼まれてやった事じゃないんだよね?」
「常務は本気で乗り気じゃなかった?」
情報は交錯しているが、俺達ができるのはここまでだ。あとは天宮さんと常務の頑張り次第である。これ以上の会話をする必要性が感じられないため黙ったまま笑っていると、天宮さんはハハッと乾いた笑いを浮かべながらも俺達を見て。
「えっと……こちらも冗談が過ぎたようで、すみませんでした。あの、ご、ご結婚おめでとうございます。では失礼っ!」
そう言って黙っていた常務を引き連れてこの場を去っていった背中が人混みに見えなくなったのを確認してから彼女を見ると、彼女はペロリと小さく舌を出した。
「これくらいは言わせてもらっていいよね」
「ナイスな切り返しとフォロー、サンキューな」




